まぶしくて目が開けられない (T_T)

63歳。女性。1週間に一度、メンテナンス的に治療している方である。

6/27 (火) の診察。

昨日 (月) の朝から、光が眩しく目が開けていられない。無理に目を開けると涙が止まらない。

当院まで、自宅から車で10分ほどの距離だが、運転中、目を開けていられなくて、ハンカチで涙を拭き拭きやってきたという。運転できないほどだったが、なんとかここまでやってきました…と、目を閉じながら訴える。

薄目を開けた目が充血して赤い。

「思い当たるような原因は?」
「とくに無いんです…。」
「うん、そうですか。まずは診ていきますね。」

顔面・舌・脈・要穴を順番に診ていく。

念のため、肺兪を確認する。左肺兪に絶対的虚の反応がある。間違いない。表証 (風寒) である。表証は、そうとう体に弱りがないと、そんじょそこらで起こるものではない。週に1回治療しているのに起こるとなると、それ相当の原因があるはずだ。

じつはこの時点で、患者さんすら忘れかけている「過去に起こった原因」を見抜いている。

「腕が冷たいなあ。汗もかいてるね。いつもはこんなじゃないんですよ。僕のこのあったかい手、気持ちいいでしょ? 」
「はい、気持ちいいです。」
「いま、暑いですか、寒いですか?」
「暑いです。」
「でもね、冷えてるんですよ。冷え (寒邪) に取り囲まれている。ここ数日で、『寒っ』て思ったこと、なかったですか? 」
「(しばらく考えて) ああ、そう言えば…」

6/22 (金)  仕事中、クーラーが効きすぎて寒かった。でも着ると暑く、着たり脱いだりしていた。
6/25 (土)  スーパーで買い物、クーラーが効きすぎ、おまけにノースリーブで行ったので非常に寒かった。体がワナワナするほどだつた。

天突の反応をチラチラ見ながら話をしている。相変わらず表証がある。

「それから、食滞の反応 (足三里) もあるんですが、ああ、そういえば食べすぎたかなあ…という覚えは? …とくに? 」
「あります。そう言えば、金・土・日と、食べすぎました。」
「週末やからねえ、スーパーでご馳走いっぱい買った? 」
「はい。」

  • ここで足三里の反応は消える。食滞に向き合ったからである。自分に正しく向き合うと、ツボの悪い反応はその場で取れる。
  • 天突の反応はまだ変わらない。もう少し踏み込んだ説明が必要だ。

「食べ過ぎるということは、お腹にある器 (うつわ) に入り切らず、あふれてこぼれてしまうことだ…って話、したことありましたっけ。」
「はい、聞いたことあります。」

器 (脾) に入り切らなかった飲食物は、あふれてこぼれてしまう。こぼれて床に落ちた飲食物は汚いものなので、掃除する必要がある。この、掃除の手間のかかる邪魔なもの (邪気) を、痰湿という。痰湿を掃除するために、生命力 (正気) は必死になる。人手が足りないので、皮膚表面を護衛していた兵隊 (衛気) も駆り出され、痰湿の掃除にあけくれ、みんなクタクタである。

しかし、本人は美味しそうなご馳走を前に、アドレナリンが出ている (興奮状態) 。だから生命力 (正気) がクタクタになっていることに気づいてやれない。

そんなとき、ノースリーブで買い物中にクーラーがきつかった。つまり寒邪が攻めてきた。ふだんなら皮膚表面の護衛が蹴散らすところだが、今日に限って護衛が手薄である。だから、皮膚表面に寒邪の侵入を許し、寒邪に取り囲まれてしまった

寒邪に取り囲まれると、魔法瓶のような状態になる。魔法瓶は表面が冷たく中が熱い。当該患者も皮膚表面が冷たく、でも暑いと感じている。中の熱は外に逃げることができず、熱は上 (頭部) に昇るので、目の炎症 (あるいは急性ドライアイ) となった。

「光が眩しくなったのは、スーパーで寒かった後?」

「… … はい、後です!」

土曜日がスーパー。月曜日の朝から眩しい。

ここで天突の反応がとれる。

その時。

「先生、いま、眩しさがなくなったんです。さっきまで目が開けられなかったのに、え!? すごく楽なんです!」

ふだん訴えない光の眩しさ、これをここまで極端に訴える、しかもある時から急に起こるというのは、変わった病気、つまり奇病である。こういうものは「風 (ふう) 」が関与する。風は、勝手気ままで風変わりな病態を呈することがある。風が寒邪を連れて皮膚から入り込み、体を取り囲むのである。

「そう。いま、楽になりましたね。なんでか分かりますか?」

「食べ過ぎに気をつけるって決心したから。」

「そのとおりです。正しい決心 (約束=腎志) をされたのですね。だから寒邪は『こいつ、急に強くなりやがって、もう太刀打ちできない。逃げろ、逃げろ』って具合に、今、いなくなったんです。だから急に魔法瓶じゃなくなり、熱が外に放散して目の邪熱が取れたんですね。今のこの気持ちですよ。この気持ちでいてくださいね。」

腹痛… 望診の “その上”
運転しながら、一瞬振り向いて後部座席の娘の残像を焼き付ける。前を見て運転しながら、その残像で診察する。この季節、疑わしいのは冷えだ。寒府は? 邪が出てるな。やっぱり冷えがあやしい。

人間の体は自然である。非常にうまくできた大自然の一部であり、もちろん人工物ではない。当院でよくみられる「説明を受けただけで症状が消える」というこの現象は、説明が天地自然の道理にかなっているからだ。この説明に、人体という「大自然」が大きくうなづいたのである。

中医学という先人の積み重ねてこられた理論と、人体という大自然に起こる現象が、見事なまでに融合する。そして人体から読み取った病因病理が、大自然の道理に照らし合わせて、的を得た正しいものであるとき、このような奇跡が起こるのだろうか。つまり、以上の説明が「正しい病因病理」なのである。これをつかみ取る事こそが、鍼であろうが漢方薬であろうが他の治療であろうが最も重要かつ実用的な事である…それを、人体はつねに僕に見せつけてくる。

このように考えると、どのツボに鍼を打つか、どんな治療をするかよりも、病因病理を正しく理解することのほうが重要である… という世界が見えてくる。病因病理を正しく理解するということは、
真に、
・患者さんをハッキリと理解すること
・患者さんにビッタリと寄り添うこと
である。
医療者にとって最も「大切なこと」が、すなわち最も「効く治療」となる。そういう世界が此処にはある。この「大切なこと」は、おうおう理想論として軽視される。しかし、この理想論が現実的効果として顕現するのだ。おそらく信じられないだろう。しかしそれは、対症療法とは真逆の世界を知らないからである。一般のそれとは真逆の道を信じ抜き、いつの間にかたどり着いていた別世界である。

補足の説明をした。

「いまは梅雨なので、湿気が多いですね。体内に少しでも痰湿があると、外の湿気に刺激されて、痰湿がパワーアップするんです。ほんの少しの食べ過ぎがほんの少しの痰湿を生み、それが湿気で大きな痰湿になって、体調をくずすんですね。痰湿が0なら、湿気10でも0×10=0です。でも痰湿が1あれば1×10=10、痰湿が2なら2×10で20になる。この雨の多い時期は、ほんの少しの食べ過ぎに気をつけたいですね。もしも週末の食べ過ぎがなかったら、スーパーでノースリーブでも大丈夫だったと思います。土曜日に寒邪に入られたとしても、弱っちい寒邪です。土・日と食べすぎて痰湿ができて正気が弱ったので、寒邪のほうが強くなったんですね。もし腹八分にしていれば正気が回復するので、寒邪はこわがって逃げたと思います。」

「光が眩しいというのは血虚 (血の弱り) です。血を作るのは脾 (消化器) なので、食べすぎて脾が弱くなると、血も弱くなるんですね。血は車で言えば燃料 (ガソリン) です。血がが弱くなるとガス欠寸前の不安定さがあり、変に敏感になる。だから光に敏感になって眩しく感じるんです。でも敏感になってしまうのは『どうでもいいところ』にで、『肝腎なところ』には頭に血が回らず鈍感になってしまう。だから、ついうっかり食べすぎてしまうのですね。しかも実は、この血が皮膚表面を護衛する兵隊 (衛気) の食料にもなります (営気) 。血のレベルは低くなっているのはまだ変わらないので、油断なく行きましょう。」

東洋医学の「血」って何だろう
東洋医学には "血" という言葉があります。でも少し違意味で用います。石油ストーブをイメージします。血は石油です。血 (石油) は目に見えますが、気 (温かさ) は目に見えません。

百会に一本鍼。

帰り際、ニコニコしながら僕の方を見て、

「先生、本当に楽になりました。ぜんぜん眩しくないです! ここまで車で来るには来たものの、ここに車を置いて帰りはタクシーで帰ろうと思っていたんです!」

「よく此処を信じて来られましたね。選択肢はあったでしょうに、えらかった。それにしても、そんなに辛かったんですね。なんとか帰れそうですか笑」

「はい! 帰れます!笑」

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