女性の患者さんである。電車で片道2時間かけて通院されている。
「先生、お伺いしたいことがあるんですけど。」
「ハイハイ、何ですか? 」
「小2の息子なんですけど、ずっと部屋に閉じこもって、壁を殴ったり、暴れたりするんです。全然言うことを聞かなくて…。上のお兄ちゃんも、暴れるっていうことはないんですけど、やっぱり言うことを聞かないのは同じで…。」
「特にひどいのが小2の下のお子さんなんですね? 」
「そうなんです。」
「…そうですか。うーん…ちょっと待って下さいね… 考えますね。」
「はい…」
「うん、まずね。子供って大切なんですよ。」
「はい。」
「大切で大切で仕方ないからこそ、ついつい忘れてしまうことがある。それはね、子供は “預かりもの” だってことです。自分で生もうと思ってその子を生んだわけではない。生もうと思って生めるなら、思い通りの子供を生むはずです。でも、実際はどんな子が生まれるかは生んでみないと分からない。生んだのはお母さんではなく、自然です。自然が生んだもの、つまり、自分の所有物ではないということです。」
自分のものではない。天の神様から預かっているのだ。大切に育てなさい…と。
そう考えれば、我が子であろうと「一人の人間」として尊重できる。
自分のもの、自分の所有物だと考えると、それは「モノ扱い」となってゆく。
モノならば、無理にこじ開けたり閉じたり、動かしたり止めたりしてもよい。
しかし、「人間の命」にはやってはならない。
命は、モノ扱いを最も嫌がるからである。
「いま携帯持ってますか? もしよかったらね、帰りの電車でこれ (祈り…母親にも効いた小児鍼) を読んでみてください。」
「はい、分かりました。読んでみます。」
〇
8日後、来院。
治療中、その話は出ず。
その後どうなっただろう。子供さん、相変わらずかなあ。こちらからは聞かずにおこうか…。
そんなこんなで治療が終わる。
「はい、今日はこれで結構ですよ。起きて着替えてください。」
「先生、子供のことなんですけど…」
「うんうん、その後、どうですか?」
「先生が前におっしゃっていた “大切な預かりもの” っていうのをずっと考えていて、今までだったら “これはダメ” “ああしなさい” って常に強制、強制だったんですけど、あの話を聞いてから、子供の話をまずは聞いて、なぜこういうことをしたのか丁寧に聞いて、だからこうしたほうが良いとちゃんと説明して、それで時間はすごくかかるんですけど、そんな風にしてるんです。時間はすごくかかるんですけど、先生の “預かりもの” っていう言葉がすごく腑に落ちて…」
「うんうん、そうですか、それ大事ですね。それでバッチリです。で、ちょっとは落ちついてる? 部屋の壁を叩くとか言ってましたやん? 」
「はい、もうあれからそんな事しなくなって、トラブルが全然なくなりました。」
「え…? 叩かないの?」
「はい。」
「… 一度も? 」
「はい、一度も。素直になりました。」
早く、それを言ってよ。 (心配&切実)
「あああ、よかったなあ……。でもねー、ぼくもアドバイスするにはしたけどねー、なかなかあんな一言二言でこんなふうにはならないですよ。お母さんすごいんやで。普通はね、そんな簡単には変わらないですよ。なかなか難しいだろうなって思ってた。」
「え ! ? そうなんですか?」
「そうです。これは奇跡ですよ。普通はね、ずっと続いてしまうんです。こんなスンナリ話が届かないんですよ。話が届いてもなかなかこんなふうに実践できないです。…でもね、こんなふうに次々と良い知識が吸収できて活用できれば、これから良いことがドンドン起こりますよ。ドンドン良い方に変わっていく。この調子ですよ!」
「いえいえ、先生に教えてもらうことがいつも “なるほど” って思えて、先生のおっしゃることが何でもピッタリくるんです。」
ありがとうございますm(_ _)m
それにしても、小2で壁を殴るという状態がこのままずっと続いてしまうなら、専門の診断を仰げば発達障害と言われてしまう可能性がある。もしそうであるという仮定で考えるならば、今回のこの出来事は、その芽を摘み取ったということになりはしないか。
発達障害とは、生まれつきのものなので治ることはないというのが常識である。
これは奇跡だ。
ただし、今回のこの奇跡は、子供の異常行動が瞬時に改善したことではない。お母さんの「心と行動」が、瞬時に改善したことなのだ。これがなかなかというか、絶望的なほどにできない。だからすべてのそれが不治の病であると位置づけされて当然なのである。
グレーゾーンは、改善の余地がある場合があるのではないだろうか。またこんなにスピーディーに改善することもあるということが、今回大きな学びであった。小学校2年生…。おそらく、善くも悪くも外部環境を吸収する力が旺盛なのだ。
この種の病の「前向きな捉え方」として参考になる。
貴重な経験だった。