痛みはなぜ存在するのか。
痛みはどのようにすれば治るのか。
これを、模式的に考えてみましょう。
上図のように、手首に「切り傷」を負うとします。
時間がたてば傷口がくっついて、ふさがってきます。
この時、手首を動かすと「痛い」と感じる方向 (姿勢) があります。どんなときに痛むか。
手首の図の位置に傷があれば、背屈 (後ろに曲げる) は痛くありません。傷口が開かないからです。
ところが掌屈 (前に曲げる) しようとすると痛みが出ます。ひっぱられて傷口が開こうとするからです。ただし傷口が開く前に痛みが出るので、 “いたっ!” となってその動作を止めます。よって傷口が開くことはありません。傷口が開かなければ、カサブタになってそのままスンナリ治ってしまいます。
たとえば腰や関節の痛みだったとしても、筋膜や靭帯などに損傷がある場合は、痛い方向に動かさないことが傷口を早く修復するコツになります。筋肉疲労でも、その疲労を感じる姿勢や動きや仕事を避けて、疲労を感じないできるだけ楽な姿勢にすれば良いのです。
動かすと痛いなら、動かさない。
曲げると痛いなら、曲げない。
走ると痛いなら、走らない。
そうやっていれば、いずれ原因が癒える…という原則がうかがえます。
痛くないように気をつけた上で、そのさきは免疫力や修復力によって傷口は治っていきます。傷口が早く治るためには、全体のコンディションが最終的には物を言うのですね。ここで東洋医学の「全体観」が説得力を持ちます。
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もしこの「痛み」がなかったらどうでしょう。図で言えば、掌屈したときの痛みがない… となります。要するに、傷口がひっぱられてバックリ開きそうになっても、痛くない、気づかない。だから傷口が開くところまで曲げてしまいます。傷口が開いてしまうと、せっかくふさぎかけていたのに一からまたやり直しです。
もし足を骨折しても痛みがなければどうでしょう。痛みがないから歩いてしまう。そしたら骨がくっつくことは永遠にありません。痛みがあるから病院に行き、それで治るのですね。
ぶつけたケガが事なく治ってしまうのも、ぶつけるとケガした箇所が痛いから、その「痛さ」が「いや」だから保護したりぶつけないように気をつけたりする。だから治るのですね。何度もその箇所をぶつけているとケガは治りません。
痛みって、理由があって起こっているのです。理由が分かればその有り難さが分かる。しかし、その理由が我々には見えにくい。それで、見えやすい「痛み」だけが気になって仕方ないのです。
陣痛で考えると分りやすいかも知れません。もし、妊娠出産とか、陣痛とかの知識がない人がいて、ある日とつぜん腹痛が起こったとします。今まで経験のないような激痛です。これは心配です。体がどうにかなるのではないか。なんとかこの痛みを止めなければ! …という気遣いは無用です。というか、痛みがあるから赤ちゃんが生まれる。「良いこと」が起こるのですね。
脳腫瘍ができているために頭痛が起こることがあります。頭痛があるおかげで脳腫瘍が見つかった…ということはいくらでもあります。
徹夜マージャンが連日に及んで頭痛が起こることがあります。頭痛があるおかげで “徹夜は良くないな” と気づく… ということはいくらでもあります。
脳腫瘍が見つかるのも、徹夜が良くないと気づくのも、「良いこと」です。
原因を取り除くことなく、痛みだけが消え去るならば、脳腫瘍も徹夜マージャンも、改善されることなく野放しになってしまいます。これって「良いこと」でしょうか?
脳腫瘍はレントゲン的に見つけることが可能ですが、徹夜マージャンは精密検査をしても出てきません。見つけにくいのはむしろ後者です。
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痛み (症状) がなくなることが大切なのは、切り傷 (原因) が治ることが大切だからです。
切り傷 (原因) が治らないのに、痛み (症状) だけが治ってしまっては本末転倒です。
痛みはなぜ起こるのか。
傷口が開かないようにするためだ。
赤ちゃんが無事生まれるためだ。
脳腫瘍の存在を知らせるためだ。
徹夜マージャンを止めさせるためだ。
子供が聞き分けがなく言うことを聞かないなら、なぜ聞き分けがなくなったのか、原因を考えてそれを改善すべきです。 “ごめんね” の一言がないだけかも知れません。力づくでだまらせる…ということを続けていると、子供はどんなふうに育つでしょう。
原因が解決したならば、痛みはおのずとなくなります。原因にこそ着目すべきです。
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補足です。
痛みって、意識すればするほど痛くなりますね。痛みは脳で感じているからです。慢性疼痛の場合、脳が痛みを作り出す… ということが実際に分かっています。
痛みを敵とせず、味方として認識する。ストレスを少なくして体の免疫力や修復力を邪魔しない考え方です。
ポジティブな考え方は、得にはなっても損にはならない、最良の「体を良くする方法」なのですね。