そんなに大した事ないだろう。
ウソなんて誰でもついたことあるし、ついたからってどうこうなるものでもないし。
ぼくも昔はそう思っていた。しかし、今はそうは思えない。
約束と「誠」… 夢を現実化するトレーニングでも詳しく説明したが、ウソとは過去を偽ることだ。そして今を偽る。すると、未来は…。
偽りの未来となる。
自分の思ったものにならない。自分の願ったようにならない。
妥協のない真剣勝負の臨床を行えるようになってから、その思索は確信となった。
大切な患者さん、お二人の死をもって。
症例1
お一人目は皮膚病の患者さんだった。 57歳・男性。
ステロイド限界量を服用。20年来の皮膚病は全身に広がっていた。
会社の社長さんであったが、とても社員思い、家族思いの方であった。
その方らを紹介する度に、
“僕よりも早く治してあげてください!”
全身に広がる皮膚病の写真撮影をお願いすると、
“この写真を公開していろんな方を助けてあげてください!”
そういう方だった。
週に3回の治療をかかさず、治療が終わると僕に向かって手を合わされ、つねに感謝の言葉を口にされた。偉ぶる素振りすらなく冗談ずき、 “ぼく、ここの広報部長ですわ” と自らを任じ、一緒にいて楽しく気持ちの良い方だった。そんなお人柄だから、積年の皮膚病もわずか3ヶ月で改善した。
かわいい一人娘がいた。その娘さんが一人暮らしをすると決めてから、様相は一変した。寂しさを紛らわせるために朝は2時に起きて仕事に没頭した。その引っ越しが済むやいなや発熱し、こじれて動けなくなった…と患者として通院されていた娘さんから聞いた。「車の後部座席に寝かせてでも連れてきてください」と指導したが、1時間以上かかる遠方ということもあってか、その後ふたたび来院されることはなかった。
というのも、そのまま入院されたのだ。まもなく意識がなくなりICUに入り、意識がないままに突然暴れるので、縛られていると伝え聞いた。すさまじい邪熱が暴れているのである。しかも、邪熱には出口がない。行き場がない。
毎夜祈った。
だがそのまま、病院を出ることなく亡くなられた。発熱からわずか40日後のことだった。
訃報を受けた後も、四十九日まで祈った。何もせずにはいられなかった。
じつは、娘さんが一人暮らしを決断したのは、当該患者の酒癖の悪さに原因がある。一緒にいるのが嫌、家を出たい。僕は娘さんからたびたび相談を受け、脈診までしてその是非を確認した。もうこれ以上は限界、そんな表情が見て取れた。そして最終的に、ぼくがゴーサインを出したのだ。
いっしょに通院されていた当該患者の御母堂からは、何度も頼まれていた。
「先生、どうか息子に言ってください。お酒ばっかり飲んで、飲み過ぎなんです。私達が言っても、聞かないんです。先生のおっしゃることなら聞くかもしれません。私はあの子がどれだけ努力して今の会社を築いたか、それを一番知っているだけに頭が上がらないんです。」
お酒については本人から十分聞いている。昔は飲んだが、もう飲んでない。
初診にそう伺い、今聞いても答えは同じである。いつもの表情で、即答である。
こんな誠実な人が、ウソをつくんだろうか。御母堂のおっしゃることと真逆の返答は、現実か異空間かの判別に苦しむほど僕の頭を混乱させた。
飲んでないという。だからしつこくは聞かない。
聞いても仕方ない。御母堂の仰ることが本当であっても。
そして、娘さんの将来を考え、一人暮らしにゴーサインを出した。
だから亡くなった。ぼくのせいだ。
お母さんから相談を受けたんですよ。本当は飲んでるんでしょ?
こういうことは僕は言わない。
一対一の臨床には、たとえ母上であっても他人が口を挟むべきではないと考えるからだ。
本人の自主性によってのみ、病気は治る。
患者さんが言ったこと、願ったこと、それが全てである。
本人が言わず願わざることは叶わない。
たとえどんなに良い治療をしたとしても。
だから亡くなった。ウソのせいだ。
このお人柄、誠実さ、人思い、気遣い、温かさ。それはウソでない。紛れもない現実だったのだ。
だが、健康で生きたい、他人を愛し続けたいという願いにウソをついた。
僕にウソをついた。その現実。
だから現実が逆になった。ウソになった。
生きたいという強い願い。
飲みたいという強い願い。
矛盾する2つの強い願いが、邪熱となった。たがいに鬩 (せめ) ぎ合い、激しく拮抗した。
どちらを優先するのか。そこから逃げた。ウソ。
だから出口がなくなった。
道がなくなった。
当該患者の紹介で今も通院を続けておられる取引先の奥様から、涙ながらのご質問を受けたことがある。
“〇〇社長のことなんですけど、実の親以上に親身になって寄り添ってくださり、本当に親代わりだったんです。天国で、いまも守ってくださっているような気がするんですけど、そんなふうに思っていてもいいものなんでしょうか…。”
もちろん。
全力で肯定した。きっと、守ってくださっている。
頼まなくても。
なのに、どうして…。
ぶっちゃけて言ってよ! 〇〇さん!
水臭いじゃないか! もっと一緒にいたかったんじゃないか!
天国で、照れくさそうに苦笑いされているのが僕には分かる。
そうでしょ? 広報部長。
症例2
肺ガンの患者さんである。
56歳。自営でデザイナー。できる女性である。
病院に通院はしているが、積極的な治療を断っている。千葉からここ奈良まではるばる当院に来院、1〜2日で2〜3回の短期集中の治療をしつつ経過をみる。
神シン はある。逆証ではない。
初診の後、よく眠れる、食事が美味しいと喜んでおられた。
重症ではあるが、よい経過をたどりつつある…と見ていた。
だが、だんだん声がかすれ、咳こむ。感染症かとも思われたが、そうではなかった。
気道が狭まるような呼吸をし出したのである。ガンが気管を塞ぎ始めたのだ。
このままでは窒息の危険がある。
病院での手術を勧めた。気道だけは確保してもらってください、と。
苦渋の決断だった。
帰り際、笑顔で握手を求められた。また来ます、と。
その手を強く握りしめた。8月8日のことだった。
親交の厚いご友人2〜3人で来院されるのが常だった。
その方らに伺った。
亡くなった。
8月22日。わずか2周間後だった。
手術はできないと病院に断られ、放射線治療となった。すぐに食欲がなくなり、おかゆも食べれなくなった。放射線治療に耐えるためにモルヒネ投与となった。パンプキンスープなら食べたいと、メールを受けたご友人がスープを作って持っていった時、すで亡くなっていたのだという。
つらくても文句一つ言わず、いつも笑みをたやさない。おしゃれ。人思い。
その日、たずねた。
息ができないこんな苦しい状態で、なんでここまで来るんですか?
ここにくれば何とかなると思って…と答えられた。それが最後となった。
「先生が、 “幼少期からの家庭環境で問題やストレスはありませんでしたか” と聞かれたとき、〇〇さん、 “ありません” って答えていたでしょ。私、あれが大きかったんじゃないかと思うんです。」
お亡くなりになられた後、ご友人が治療に来られ、そのように話された。当該患者に問診する声が、カーテン越しに聞こえていたのである。
「そのとき〇〇さん、 “ありません” って答えていたんですけど、実は大ありだったんです。で、後日に先生が 、もう一度 “ありませんか” って聞かれたんですよ。なのに、その時も “ありません” って、即答で答えてたんです。その帰りに、 “先生、また同じ質問されたよね。2回目だよね。なんで『ある』って答えなかったの? ” って聞いたんですけど…、でも返事しなかったんです。彼女、そのことは私以外には誰にも言ってなくて、じつはお母さんと大変で、人生を変えてしまうくらい、ずっとそれで苦しんでたんです。デザイナーの仕事もできるし、気遣いもできるし、やらせたら何でもできる人で、とにかくカッコよくいたくて、そういうのが出ちゃったのかなって。」
そうだったのか。
たしかに、そういえばそうだ。2回聞いた。
2回目に聞いた後、前に聞いたカルテの記録が目に止まり、すでに幼少期うんぬんは 「ない」と確認しているのに…これは診察ミスだ…と、ドキッとした記憶がある。ちゃんと診断できていれば、1回で済む。体の反応も、思った通りのものとなり、気持ちよく前に進める。いつもならば。
カルテに貼られた付箋を見つけた。当時の僕がいかに混乱していたか、記憶が鮮明によみがえった。
——ACもレベルもみなおす——
たしかにAC (Adult Children:幼少期からのストレス) の反応が出ていたのだ。しかし患者は「ない」という。僕はバカだから疑うことをしない。だから僕の診察力に問題があると思った。診まちがいか? たしかに「気」を診るのである。診まちがいもあるだろう。しかしACはデリケートなことなので、そこは的確でなければならない。しつこくしてはならない。やはり診まちがい。感覚と、現実が、そろわない。シックリ来ないまま、しかし築き上げた信念を崩さないように…という不安定な状態で、診療を続けたのである。
“幼少期からの家庭環境の問題やストレス” というのは、アダルトチルドレンのことである。多くは親が関わる “幼少期の蓄積” は、絶望的なくらい減らない。蓄積がつめこまれている「押入れ」は、カギがかかって開かないのである。
しかし、僕はそれを、別の押入れに移動させることができる。その押入れにはカギがかかっておらず、整理可能でだんだん片付いてくる。その移動の方法は、アダルトチルドレンとしてのストレスを、まず僕が体の反応 (神道と左右心兪の反応) から「見抜く」、そしてそれを患者さんに「伝える」、そして患者さんが、それがある (あった) ということに「気づく」「認める」ことである。その瞬間、蓄積 (かたづけもの) が、カギのかかっていない押入れに移動する。この押入れなら、少しづつ減ってくるのだ。ガンであろうが何であろうが、邪気 (疲労) の蓄積を減らすことが治療の眼目であり、それが叶わなければ治らない。 “幼い頃からの家庭環境で問題やストレスはありませんでしたか” という問いかけは、それくらい重要事項だったのである。この「心の苦しみ」が、どれだけ「体の苦しみ」の原因になっていることか、多くの人は知らない。
取ることが可能な蓄積の塊 (ガン) を、カギをかけたままにしてしまった。
そしてそれ以前に。
僕にウソをついてしまった。
それが、未来を偽ったものにしてしまった。未来を違うものにしてしまった。
ぼくは、助けようと思った。できるはずだった。しかし未来は違うものになった。
診立ては、ことごとく「偽り」になったのだ。
幼少期からの真実は、そしてガンは、あばかれることなくウソというベールにかくれて進行していった。
親から受けた避けようのない苦しみ。
親だってそうだ。そのまた親から受けた、避けられない苦しみにあがいていたのだ。
何も悪くない。誰も悪くない。
あんないい人が、なぜ死ななければならないのか。
今度も祈りは届かなかった。
亡くなるその日。
大好きな友人がパンプキンスープを持ってやって来てくれる。
食べられるかな。美味しいかな。
未来の楽しみを待ちつつ逝った。僕にとって、せめてもの救いとなった。
せめてもの?
いいや、そうではない。アダルトチルドレンに苦しむ世界中の人々を、これから力を合わせて助けるのだ。ぜひ、やりましょう〇〇さん! (でも、まずは一休みしてください)
あの世とこの世を超えて。
これからも、祈りは続くのである。
初診はわずか3ヶ月前。8回奈良に来て、19回の治療のご縁があった。
ただならぬご縁。
「先生に食べていただきたくて…。来るとき京都駅で、おいしそうだねって、いつも帰りにはもう売り切れてて…。だから今、買ってきました! 私の分も!」
美味しかった大きな大福を、あの笑顔とともに思い出すのである。
そもそも当該患者がはるばる千葉から来院するきっかけになったのは、当院を受診したことのある紹介者がいたからだ。その紹介者に、僕のブログ記事を見せられたのだという。とめられなかったガン… 逆証 (死の証) 鑑別診断の実際 である。死をも見抜く診断の記録であるが、ウソをついてはいけない…ということも同時に綴ってある。それを読んでいてさえ、つかざるを得ないほど、心のコアまで貫通した苦しさ・悲しさだったのである。