「合谷」の作用とその根拠… 柱骨之会上とは

《内経》をひもとくと、「柱骨の会上」という言葉が出てきます。

ここは陽明大腸経のみがめぐる部位で、《内経》の全文を通してただ一度だけ出てくる言葉であることからも、特殊な部位ということがうかがえます。さらにこの部位の持つ意味は、陽明大腸経の原穴である「合谷」の作用と大きく関わります。

「柱骨之会上」とは何を指すのか、古典から根拠を提示しつつ、さらに深くイメージしていきましょう。教科書どおりではない深い世界があります。

柱骨とは

まず、柱骨とは何でしょう。

《類経》では、柱骨とは天柱骨のことであると説明しています。

柱骨,項後天柱骨也.《類経》

天柱骨とは何か、《医宗金鍳》に明確に示されています。
「旋台骨」が天柱骨である。旋台骨とは、頸の骨の三節である。

旋台骨.又名玉柱骨.即頭後頸骨三節也.一名天柱骨.
《医宗金鍳・巻八十八・正骨心法要旨》

《医宗金鍳》には図も提示されています。頸の骨の三節のうち、一節目と二節目を合わせて「項骨」としており、三節目を「旋台」としています。しかし、少しこの図はおかしいですね。場所が頸になっていないです。場所を上にずらす必要があります。

医宗金鍳

《類経》では、
・肩背部の上にあるのが柱骨である。
・項頸部の根っこ (支えるもの) が柱骨である。
とあります。つまり柱骨とは、項頸部の「柱となる骨」、つまり頸椎であることが明らかです。

肩背之上,頸項之根,為天柱骨.《類経》

《医宗金鍳》に「三節」とあるのは、歴史的に頸椎は3つというところから来ています。《類経図翼》(下図) にも “頸骨三節” と記されていますね。上の《医宗金鍳》の図よりも正しい位置になっています。

ご存知のように、正しくは頸椎は7つです。

類経図翼

《類経》では、柱骨の上端は瘂門、下端は大椎としています。分かりやすく言ってくれていますね。

柱骨之上下,谓督脉之瘖門 (瘂門) 大椎也.《類経》

よって柱骨は、7椎ある頸椎のことである…といえます。

柱骨之会とは

《素問・氣府論》には、「柱骨之会」という記載があります。「柱骨之会」は、陽明大腸経の流注に出てくる「柱骨之会上」とは何かを知る上で、調べる必要がある言葉です。

《類経》によると「柱骨之会」は、天鼎 (大腸経) のことを指します。

柱骨之会各一.《素問・氣府論59》
柱骨之会各一.天鼎二穴也.《類経》

柱骨之会上とは… 《類経》の見解

《霊枢・経脈10》によると、陽明大腸経は「柱骨之会上」を流注します。
「柱骨之会上」とは何でしょう。

《類経》では、「柱骨之会上」を、
・柱骨… 頸椎。
・会上… 大椎 (第7頸椎下) 。大椎は、手足の6つの陽経が交会する場所だからである。
としています。

大腸手陽明之脉.…上出於柱骨之會上.《霊枢・経脈10》
上出於柱骨之會上.肩背之上.頸項之根,為天柱骨.六陽皆會於督脈之大椎,是為會上.《類経》

つまり、「柱骨の会上」
・・・=「頸椎の大椎 (第七頸椎下) 」です。

《類経》では、「柱骨之会上」とは大椎のことである、としています。

「柱骨之会上」とは… 独自の見解

しかし、これはやや強引です。

なぜなら《類経》では、「柱骨」を頸椎とし、「柱骨之会」を天鼎とし、「柱骨之会上」は大椎とする、という筋道がよく分からない見解で、それに対する説明もありません。いつも丁寧に説明してくれる《類経》にしては少々意外です。

まず、ぼくは「頭上」(頭の上部) とおなじように、「柱骨之会上」を読むべきだと思います。つまり、
・頭上…頭の上部
・柱骨之会上…柱骨之会 (天鼎) の上部
です。

とするならば、「天鼎 (柱骨之会) の上」が大椎とは、うまく理解できません。

これを、僕なりに説明したいと思います。

天の鼎 (かなえ)

天鼎 (柱骨之会) は側頸部にある経穴です。柱骨とは頸椎であるはずなのに、えらく場所が離れていますね。しかしおかしくはありません。解剖学的 (物質的) に考えるから分からなくなるのです。東洋医学は気の医学です。もっと機能的に考えてみましょう。

「柱骨の会」である天鼎とは何か。まず、「天の鼎」とはどういう意味なのか、字源にさかのぼって考えます。

鼎の字源 (百度あるいはウィキペディアを参照)

「鼎」は「かなえ」と読みます。「かなえ」とは古代のナベです。焚き火さえあれば、五徳なしで上に直接乗せられる構造になっていて、かなり便利そうです。

「天」とは澄み切った青い空です。人体の頭部は天のようにスッキリしているのが正常です。そういうものを「清空」といいます。脳と理解してもいいです。冴え渡った頭脳です。

そういうものが図のような器に入ります。そしてそれを三本柱でシッカリ支えています。まるで頭蓋骨 (器) と頸椎 (柱) みたいですね。さらに3本の柱は頸椎と胸鎖乳突筋のようにも見えてきます。

「会」とは集まることです。このような働き (器と柱の働き) が集まる場所 (ツボ) がある。それを《類経》では天鼎に特定しているわけです。しかし機能的に考えるならば、天鼎に決めつけてしまわなくても、「天を容れ保持する鼎」としての機能を助ける穴処であるならば、それらはすべて「柱骨之会」と言えるのではないでしょうか。

そういう意味では、天柱 (膀胱経) 、天突 (任脈) 、天容 (小腸経) なども「柱骨之会」の次候補に挙げられるでしょうし、とうぜん柱骨の下端部である大椎 (督脈) もその一つに数えていい穴処です。《類経》では大椎を「柱骨之会上」であるとしていましたね。

「突」とは上に突き抜けること。
「容」については 容平とは をご参考に。

柱骨之会は三本柱

柱骨之会が「鼎 カナエ」を忠実にイメージして考えるならば、骨は頸椎だけでなく、「首」全体を指すと考えられます。とくに3本のが鼎にはあるのですが、それら3本 (頸椎と胸鎖乳突筋) は、もっとも「柱骨之会」を反映すると解釈していいと思います。つまり広義における「柱骨之会」とは天鼎と大椎であると考えます。

柱骨之会上は頸椎

「柱骨之会」だけでも上図のようなイメージなのですが、《霊枢・経脈10》では柱骨の会に「上」という字をあえて付け加え、大椎や天鼎からまだ「上」に関わるのだよ…ということを強調したいのだと思います。

つまり「柱骨之会上」とは、《類経》の “大椎である” という説に寄せて考えると、柱骨 (頸椎) の一部である大椎を指すことはもちろん、その上にある頸椎もその範囲に含むと考えられます。「柱骨」… (頭部の柱となる「骨」) の原義を考えれば当然ですが。

柱骨之会上は「首から上」すべて

また、もっと拡大解釈すれば、柱骨之会 (天鼎) と、それより上をも含みます。

つまり、頸部を構成する筋肉などの組織全体・頭蓋骨・脳なども、天鼎・大椎よりも「上」に位置するものすべてを含むと考えても良いのではないでしょうか。鼎と、鼎のなかに入る大切なもの、それらすべてが「柱骨之会上」なのです。

大椎は督脈に属し、督脈は脳を絡 (まと) うことから考えても、これには根拠があると言えます。

督脈とは《前編》…流注をまなぶ
督脈とは、長強から齦交までの仙骨部から顔面部にいたる背部正中線上にある “脈” のことです。奇経八脈の一つです。「背中側」というイメージがありますが、黄帝内経 をよく調べると、背部だけでなく、腹部をも流注することが分かります。

「柱骨之会上」に流注するのは手の陽明大腸経です。大腸経は意外にも督脈との親和性が強固だということを、《霊枢》の著者は「柱骨之会上」という言葉を使って言いたかったのではないでしょうか。「首から上」の陽気の盛んな部分は、 “陽脈之海” である督脈の影響下にあり、それは同時に陽明大腸経の支配下でもあるのです。

まとめにかえて… 合谷の効果

さらに《霊枢》の著者は、「首から上」の頭部すべての疾患は「柱骨之会上」なるものを動かしてみよ… と言いたいのです。そしてそれを動かすことができるのは、唯一そこを流注する陽明大腸経だけである、と。

大腸経の原穴である合谷は、気滞を主 (つかさど) る名穴です。

人体の上部、とくに頭部における疾患を治療するために、気滞を取ることがいかに大切か。これを考えれば、十分納得できる内容であると思います。

合谷は、四総穴の一つとして “面目は合谷に収む” と言われ、顔面や目の病証にもっとも効果のある穴処とされます。また歯痛 (とくに下歯痛) に即効性があることも有名です。表寒実証 (麻黄湯証・葛根湯証) を治する名穴でもあり、表証という人体上部の病証、つまり「頭項強痛」などの証候を平らげる作用は、「柱骨の会上」に根拠があるといえるでしょう。

合谷一穴に触れて診断する。
合谷一穴に一本の鍼をする。

その行為 (術) には、かくも深淵な意味 (学) が秘められている。

これが学術です。


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