オーストラリアから鍼灸師が来た。

「こんにちは。よろしくお願いいたします。」

「あ〜こんにちは〜。は〜じめまして〜。」

問診票に記入中である。椅子の背もたれにふんぞり返って肘を付き、この寒いのに半ズボンで足を4の字に組みながら、こっちを見て笑顔で挨拶を返してきた。

なんだ? こいつ。

受付さんがその前を通るたびに、問診票を書く姿を観察していたらしい。最初は椅子にもたれて肘を付く程度だった姿勢が、だんだんとふんぞり返って行き、僕と挨拶を交わす頃には角度が45°に達し、時間とともにさらに水平に近づき、しまいにこの人あお向けになるんちゃうか思うくらいであったという。

39歳。男性。オーストラリアから来るとは聞いていた。

海外からの患者さんには、まず断っておくことがある。

「腰が痛いということですね。でも通えないでしょ? 遠すぎてね。たぶん一度きりの治療ですよね。でもそのことを、僕は考慮に入れません。そもそも一度きりで治すという前提はないので、これから継続して治療に通うことができるという前提で、今日の診察を行います。そうでないと真剣なものになりません。今日これからやるこの一度の治療ですら、まともなものにできないんですよ。で、まず足を組むのを止めましょか。」

90°のいい感じで座っていただいた。

「先生のブログを見て感動しちゃって、すごい先生だなあって思って、一度治療を受けてみたいと思ってきました。実は僕、鍼灸師なんです。先生と同じく中医学を勉強しています。これから、別の先生の治療も受けに行こうと思っているんです。」

聞けば、18歳で渡豪、永住権を得て向こうで鍼灸師資格を取得、オーストラリアで鍼灸を業としている。なるほど、この自由な角度はそれでか。

「おお、そうですか。これから巡礼の旅に出るんですね。一番札所がここですか?」

「はい、明日は四国の池田政一先生のところに鍼してもらいに行きます。」

「へえ、ほかは?」

「九州の首藤傳明先生のところにも行きたかったんですが、学習目的の人はダメらしく断られました。先生のブログを見てると、百会を多く使われていますね。今日治療をしてもらってツボを覚えて帰ったら、自分で治療できると思いまして。」

「うーん、たぶん無理ですね。おっしゃるとおり百会を使うと思います。でもそれを真似しても効かないと思います。これは結果なんですよ。どこに鍼を打つかというのは、結果なんですね。結果に囚われていたらたぶん真似しても効きません。原因があってプロセスがあってそして結果がある。この行程を踏まないと良い “結果” は出ません。原因とは “病因” のこと、プロセスとは “病機” (機序) のこと、そしてどのツボを使うという結果ですね。結果よりも原因やプロセスのほうが大切なんです。」

「へえー、そうなんですか。」

「原因を無視して結果のみを良いものにしたい…と考えるのは、社会も認めぬところです。たとえば企業は決算というのをやりますけど、これはいわば企業の成績表ですね。どの企業でも株主に対して成績をよく見せたいというのはあると思いますが、それが行き過ぎる。すると粉飾決算ですね。これは法で罰せられます。学生さんの学業で言えば、ふだんの勉学が原因となり、テストの点数が結果です。勉強してないのにテストの成績はすごくいい。なんで? カンニングしたか問題盗み出したかでしょう。これも法で罰せられる。政治なら文書改ざんで公文書偽造罪とかね。」

「なるほど〜。たしかにそうですねー。」

「ところが、医療の世界だけはこれがまかり通っている。たとえば徹夜麻雀が原因で、頭痛という結果が出た。しかし、 “あの先生、頭痛だけ治して麻雀やめろって言わなかったんだってー。悪い人だねー、だから警察に捕まったらしいよ” …なんてことはありえないですね。」

「そうかー。たしかにー」

「原因を治す。これを僕は徹底してやってきました。それは、結果だけを良くするよりもはるかに難しく時間がかかることです。でも僕は、人の何十倍かかろうとも、バカだと言われようとも、その信念を曲げなかったんですね。だから、そのプロセスでつかんだものがたくさんあるんです。そのつかんだ膨大なものを使って、鍼を百会に刺すんです。それを一瞬で真似できるわけないですよね。他人には捉えられないもの、見えないものが僕には見えています。見えるから、コンセントにプラグを差し込むことができるんです。真っ暗で何も見えないと、プラグをコンセントの近くに持って行くことはできても、差し込むことはまず無理でしょ? 僕がこれから打つ百会の鍼は、僕にしか見えない百会に打つんです。僕は不器用なんで、はずすこともあります。そんな時でも、体の方から百会の位置を僕の鍼に合わせてくれるんです。原因をちゃんと分かっている僕のことを、体は好きでいてくれているのかも知れませんね。体も人間だから、わかってほしいんですよ。」

「そうですか〜。いや〜、ブログ読んでると分かりますわ〜。ほんとに症例見てると奇跡ですよね〜。いや〜素晴らしい。なかなかこうは行かないですわ〜。」

「こうやって患者さんとお話してるとね、相手が泣くことがよくあるんです。」

「え ! ? 泣くんですか? 先生に怒られて?」

「いやいや逆、逆。 感動。 僕の話に。 感動の涙。 流さはるの。 怒って泣かしちゃダメでしょ。なくはないけど。」

「なんか、先生の眼光がすごすぎて、こわくて萎縮しちゃいますわ〜。」

大事なとこ間違うからだろ。

「相手が感動して泣く、それくらい共鳴することが大切なんですね。そのくらいの共鳴、共感があれば、鍼の精度がグッと上がります。医療っていうのは患者をモノ扱いにしがちだけど、僕は絶対にそれをしない。人間扱いにする。人間としてあつかうとね、人間としての反応が返ってくる。モノだったら反応は決まってるでしょ? でも人間ってとんでもない奇跡的な反応をすることがあるんです。だからここでは奇跡みたいなことが起こる。それには、相手が感動の涙を流すくらいのものである必要があると思うんですね。」

ひとしきり話をし終わって、やっと診察に入る。

14歳のときにギックリ腰になって以来、腰が痛い。今も、曲げ伸ばしで突っ張る。治療してもらってその時はよくても、すぐ元に戻る。

「ご自分の今の腰の状態、中医学的にどう診断しますか?」
「太陽膀胱経の滞りかと…。」
「たしかに経絡経筋に問題があるんですが、問題は単純ではないですね。問診票を見ると、中学生のころから腰痛がずっとあるとのことなので、そんな単純なものではないです。」
「そうなんですか…。」
「突っ張る (脹痛) ということは気滞があるんですね。でも、曲げ伸ばしすると必ずあるということは情緒的 (五志七情) な気滞ではなく、物理的な気滞です。つまり痰湿ですね。重くないですか? 」
「重いんです。ふだんから何もしていなくても、なんか重いですね。」

問診票には、チョコが大好きで、甘いものの間食をたくさんする…とある。
これが痰湿の原因だ。そしてこの腰痛の主因である。

「なるほどー、湿邪ですかー。」
「正確には、湿邪とは言わず痰湿と言います。湿邪はどちらかというと外感 (気候など) の湿気をいいますね。内生の湿は痰湿とか水湿痰飲とか、そういう言い方をしますね。」
「あ〜痰湿っていうんですねー。テキストは全部英語なので、moistとしか言わないんですよ〜。」
「それはいけませんね。内湿と外湿は分けて考えないと病因病理がサッパリになります。英語じゃわからないと思いますね。そもそも翻訳すると、その訳者の臨床レベルの本になりがちですから、まずは日本語で勉強してアウトラインをつかみ、さらに進めるなら中国語の原文を読んだほうがいいです。日本の中医学のテキストは、中国語を日本語訳したものがほとんどです。翻訳したものは読んでいても頭に入りにくいですね。慣れれば、中国語の原文のほうが分かりやすいです。」
「中国語なんて読めないですわ〜。」
「英語が読めるんだから読めますよ。ただし、テキストを読めばできるようになるとは思わないでください。中医学というのは歴代医家が言ったことを寄せ集めてまとめたもので、いわばフィールドです。広くて整ったフィールド (学) はすでに用意されている。そのフィールドのうえで、どんなプレイ (術) をして見せるかは人それぞれの努力なんです。」

サッカーでも、組織的に一体となることが重要であり、さらに個人技を磨くことも必要である。組織と個人は陰陽で、真逆の概念でありながら、互いが互いを高め合い助け合う関係にある。学とは組織としてのである。術とは個人技である。学と術とは陰陽で、学術とはそういうものである。学のみの偏重、術のみの傾倒は、陰陽のバランスを欠く。

陰陽を欠いたものは成長しない。これは、この医学の根幹となる考え方である。

「常に甘いものを食べてしまうのは、ストレス (気滞) があるからなんですよ。甘いものを食べるとホッとするでしょ? ホッとするっていうのは、緊張がある証拠なんです。」
「ええ? そうなんですか? ぼく、ストレスを感じたことがないんですけど。」
「たぶん、ストレスを感じる前に甘いものを食べているんだと思います。」
「あ〜、もしかしたらそうかもしれないですね〜。あ〜、なんかそんな気がしてきたわ〜。そうやって僕なりに消化しているんですね?」
「いや、それは消化じゃなくて、誤魔化しているだけです。ストレス (気滞) は消えても、痰湿が生まれるのでね。痰湿はさらなる気滞となり、これは負の循環です。すこし甘いものを辛抱してみてください。するとストレスを自覚するはずです。そのストレスと短時間でいいから向き合ってみてください。消化不良にならない程度にね。向き合えば、成長していきます。その成長力が、生命力と直結します。」

僕のブログはよく読んでくださっているので、詳しい説明は省いた。ただ、その理想に向かって1mmでも近づこうとすることが成長であり、その成長の上に健康は乗っかるものであるということを詳しくしゃべった。

太陽にはとどかない、でも成長をやめない
成長とは何か。これを自然から学ぶ。植物の成長である。

問診票を見ると、飲み物は常に緑茶で、1日に5〜6杯は飲むという。脈診で確認すると、今の量はダメで3杯までならOKと出た。つまりカフェインである。カフェインは興奮剤である。それでなくても疏泄太過で興奮状態なのに、この量は多すぎるのだろう。いま腰痛のつらさを感じてはいるが、本来感じるべきつらさを感じ切ることができていないのである。そういうものを消化せずにいる (自覚できずにいる) と、蓄積がだんだん溜まって、60〜70代にびっくりするような病名を告げられることになるのである。

疏泄太過とは「大きく過ぎる」ことである。
・間食などの食べ過ぎ
・夜ふかし朝寝坊 (起き過ぎ・寝過ぎ )
・無理し過ぎ
・怒り過ぎ・悲しみ過ぎ・喜び過ぎ・考え過ぎ・恐れ過ぎ
つまり、食べる・寝る・動く・考える…という生命四大要素すべてを狂わすのである。
過ぎる原因は、自覚できないからである。

さらに、天突に特殊反応があり、表証 (表寒証) があるということも説明した。寒邪が痰湿を取り囲み、痰湿を取れなくしている。痰湿は餅のようなもので、冷えると固まって取れなくなるのである。慢性的な表証があるということは、正気 (生命力) の弱りがあるからである。また、寒邪に囲まれた自覚がないということは、疏泄太過があるということである。瞳はくりくりで、輝きがあって活動力がある。一見、生命力旺盛だが、実は弱いのである。だから中2から腰が常に痛いのである。痛みはブレーキとして、生命を暴走から守ってくれている。

寒邪対策として、①今日の入浴を禁ずる。②冷たい飲食物を禁ずる。③無用の外出を禁ずる。
この3つをできるだけ実行するよう説明した。すると、寒邪がその場で消える。できるだけやってみようと決心した瞬間に、すでに生命力が強くなったからである。

疏泄太過があるということを、僕が明確に把握した。
すでに彼の体と僕とは、つながっているのである。

そして体を診る。

腰に両手を触れる。皮膚表面から深さ2cmのところまで流通がない。それ以下は流通している。流通していない分が、つらい分だ。
邪 (痰湿) の強さを数値化するため、腰にある邪の大きさを定規で測る。10cm✕10cm。
なぜこういうことをすかというと、ハッキリと僕自身が知るためである。
知れば、手に入る。
手に入れば、動く。

細脈、虚証。梁門に邪がない。
疏泄太過である。
任脈・督脈・衝脈 (太極) が、疏泄太過をもっとも治療しやすい。
その三つの中から、最も反応する「生きたツボ」を、望診で判断する。
百会。

画像でみる気の動きと「生きたツボ」
中国伝統医学は「気の医学」である。鍼灸と漢方薬を二本柱とするが、気の医学の真骨頂は鍼灸にある。鍼には気を集めたり散らしたりを、自由に操作する力がある。効くツボには、生きた反応がある。画像とともに詳しく解説したい。

この体表観察は誰もマネできない。他人から教わったものではないからである。
三脈同時診法が数秒でできるくらいの腕前の人なら、伝えることは可能かもしれない。
しかし、その必要は感じない。みながそれぞれ、自分で見つければいいことだと思うからだ。
間違ってはならないのは、病因病理の共有である。これは人それぞれではない。
その真実は、一つだからだ。

病因病理をハッキリと把握することは、治療効果に直結すると確信している。嘘だと思うなら、病因病理を極めてみればいい。極めようとする道程で技能が得られるので、どのツボに鍼をすべきかは自然と見えてくる。ただし、問診だけで病因病理が得られると思ってはならない。患者自身も気づいていない病因もあるし、患者の主観による誇張やウソもある。切診が決め手となる場合があるのだ。

問診とは、教科書に書いてある診断学である。
切診とは、生きた体に書いてある診断学である。
この2つの診断学を高めれば、高めただけ治療効果が高まるのである。

望診とは、その上にある高みである。

証候とは…「天突」の望診にいたる病態把握への挑戦 
中医学では、病態のことを「証」といいます。証には「証名」と「証候」があります。ここに「悪寒・浮脈・頭項強痛」というひとくくりの症状があるとします。このとき証名は「表証」です。このとき証候は「悪寒・浮脈・頭項強痛」です。

任脈・督脈・衝脈は、陰陽を生み出すところである。陰陽とは、活動と静止である。疏泄太過はこれが狂うところから生じる。そして、痰湿・邪熱・気滞を生じる。陳旧化すれば瘀血を生じる。
そこまで分かっている人が使うと、何にでも効く。
しかし分かっていない人が使うと、何にも効かない。

百会に3番鍼。2分間置鍼。抜鍼後、5分間休憩。

寝てる。… … …

「はい、どうぞ〜。もういいですよ〜。」

「ああ、別世界に言ってました。ああ…。いい鍼打ってもらうとこうなりますよね〜。いや〜、この百会は僕には無理ですわ〜。やっぱマネできないわ〜。」

帰りの受付で、宇治茶をくださった。ここに来る途中に京都駅で買ってきてくださったのだ。

「なんか楽ですわ〜。腰が軽くなった感じがしますね〜。いや〜本当にありがとうございました〜。すっごく勉強になりました〜。日本に来ることがあったら、また伺いま〜す。」

質問に答える中で、なぜこの鍼が効くのかを考えさせられた。
そういう機会を得るための貴重な時間だった。

そしてなによりも。
真の医療の担い手として、海を越えた世界で活躍して欲しい。
その願いが、同志を相手にふつふつと湧いてくる。
あれも話しておきたい、これも言いたい。

そんなこんなで、気がついたら3時間の初診が終わっていたのである。

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