医業類似行為者の心得

法的に、鍼灸は「医業類似行為」とされる。

「医業と似ている」が、正しくは「医業ではない」。
つまり鍼灸師は、正しくは医療者ではない。

そこで、ここに医業類似行為者としての心得を記す。

  • 医療者以上に患者さんに真摯に向き合うべきこと。
  • 医療者以上に患者さんのことを思いやるべきこと。
  • 医療者以上に患者さんの笑顔を引き出すべきこと。

そもそも「まがいもの」であるならば、偽物らしく、むしろそれを演じきればいい。
演じきって「名優」をめざすべきである。
類似行為とはつまり、似ているようではあるが実際にはそうではない行為のことである。
そう、「演技」である。
患者さんという観客を前に、名演技を行うのである。

名優であるための心得を記す。

  • 現実世界以上に観客の心を打つべきこと。
  • 現実世界以上に観客の考え方を変えるべきこと。
  • 現実世界以上に観客の生き方を変えるべきこと。

演者自身も、自らの演技に感動し、自らの生き方が変わるくらいがよい。

その劇場は次の要件を満たすものである。

  • 演者自身は、演技 (類似行為) でありながら本気であること。
  • 観客自身も、演技 (類似行為) と知りながら本気であること。
  • 演者・観客ともに、本気で笑い泣くことのできる場であること。笑いはもちろん、感動の涙を流す人がいるのは、類似行為による劇場で日常的に見られる特徴である。

演技とは。

  • 演技には台本がある。台本をいかに覚え、そこに命を吹き込むことができるか。
  • 演技には筋書きがある。台本からどういう筋書きを描けば、観客の心を動かせるか。
  • 演技には技術がある。技術の美しさ・巧みさ。観客をいかに感動させられるか。
  • 演技にはアドリブがある。予期せぬ事態が起こった時、柔軟に筋書きに戻せるか。
  • 演技には直感がある。筋書き以上の感動を与えるチャンスは常にある。

そのためには、演者自身が演技に集中しなければならない。没頭しなければならない。

劇場には、もちろん大道具 (鍼) 小道具 (灸) が必要だ。
それがあったほうが観客は、芝居に集中できるだろう。
ただしそれは二義的、大切なのは「いい演技」である。

医業の「類似行為」すなわち「いい演技」の極意とは。

患者さんを育てる。成長を待つ。
いいところはこれからだ。観客はじっくり腰を据え、展開をあせってはならない。
術者は自己本位であってはならない。観客の表情をその都度察しつつ演技する。
術者は目先の利を求めてはならない。じっと見据えるのはクライマックスだ。
症状にばかり目が行って、患者さんの心を動かすという目的を見失ってはならないのだ。

科学としての鍼灸
東洋医学は科学的でないという人がたくさんいます。そういう人にも分かるように、目線を合わせて説明しました。
マージャン

例えば、食べすぎが原因で病気になった。
それが原因であることをひたすら説く。
生活習慣改善の大切さ。
分かりやすく、様々な知識を駆使して。
相手に伝える。2時間かかろうが、3時間かかろうが、4時間かかろうが。

痛いところに鍼をしない、たった一本の鍼
中医学に基づいた一本の鍼は、整形外科的な疾患にも奏効します。弁証論治に則った治療例をご紹介します。
時間

治療をしているうちに、食べすぎるクセがすこし改善した。
たとえそれがほんの些細なものであったとしても、ほめる。この調子!
本気で、しかも大げさに。ほめる!

瘀血と痛み… 越えられない壁 (ハードル) はない
背部痛の中医学的アプローチ (鍼灸) による症例を検討する。
その調子

ほんの少しの努力。積み重ねの大切さ。
それを術者は身をもって知り、身をもって伝える。
成長はゆっくりがいいという真理。
悠久の時を刻み、今も1mmの成長を止めない「縄文杉」のように。

ストレスと滑液包炎… たった1mmの成長こそが「健康」
鍼灸の症例報告である。肝気鬱結 (ストレス状態) から邪熱と水邪を生じ、気機を阻遏して足関節滑液包炎による痛みを生じた。ほんの少しの言葉かけと百会の鍼によって、肝鬱が解決の方向に動く機序と、心と体の相関性について考察する。
ミリ

乗り越えられない壁はない。
乗り越える力があるからこそ、ここまで歩いてこれた。
乗り越えられる目の前の壁。
その先にある壁は考えない。目の前にあるものだけに集中。
乗り越えよう。今ならできる!
可能性を引きずり出す。

瘀血と痛み… 越えられない壁 (ハードル) はない
背部痛の中医学的アプローチ (鍼灸) による症例を検討する。

調子が良くなってきた。
しかし患者さんに油断が出る。スキが生まれる。わーい! となる。
このままだと、また元に戻ってしまう。あるいはもっと悪化する。
気持ちが浮足立てば、波風を生んでしまう。
波立つことのない水の静かさ。それをどのようにして得るべきか。
感謝と謙虚を説く。
これで危を安に転じる。

気閉はコルク栓… 感謝と謙虚で栓を抜く
気閉と気脱は陰陽です。この2つをコルク栓の開け閉めにたとえて説明します。気閉も気脱も重症をイメージさせますが、慢性的な軽症にも当てはめてかんがえてみましょう。そのとき、症状の緩解と悪化を繰り返すカラクリが見えてくるかも知れません。
わーい!

まさに、熱演。

患者さんの心が動く。
患者さんが「なるほど」と感じる。
すると、その場でツボが変化する。
すかさず聞く。「いま、つらさはどう? 」
「あれ? ましです」という答えが帰ってくれば、まさに筋書き通りだ。
真の病因を除去することによって症状を消すこと。
症状だけを消すのではない。
これが二千年かけて作られた脚本である。筋書きである。

精神疾患 (癲病) の症例
「癲病」は東洋医学における精神疾患の一つである。その病理には陽明病 (胃家実) が挙げられる。その病因には飲食の「定時」「定量」の不摂生が挙げられる。癲病の治療の実際を紹介しつつ、インフォームドコンセントの大切さを考える。
なるほど

脚本が正しかった。
脚本家がすごかった。
俳優がそれを演じきった。
筋書きに、観客を巻き込む。

脚本家とは、この「医業類似行為」を作った人、古代の東洋人である。
少なくとも二千年かけて、多くの脚本家たちが残した医学書の数々。
この脚本家は、もともと名のある俳優でもある。
自らの経験に基づき、それをまとめたものがたくさんある。
この膨大なものを一つにまとめたものが「中医学」である。
われわれが勉強し覚える「脚本」である。

  • それを学び実践できる名優 (類似行為者) を目指す。
  • 病に苦しむ人を救うため生涯を賭 (と) すことを辞さない。
  • 命の続く限り学び実践し成長し続ける覚悟を持つ。

以上を、「医業 “以上” の類似行為」を行う者の心得としたい。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました