evidenceの必要性

Wikipediaより引用

evidence。科学的根拠。

信じていいこととは何か。

ハイリスク・ハイリターン。
ハイリスク・ノーリターン。
この2つをフィルターに掛ける必要がある。
二者択一なら、前者を選択する必要がある。後者を選択してはならない。

かつて、ハイリスクである水銀に、不老不死のハイリターンがあると信じられた時代がある。
しかし実際は、水銀は中毒死するハイリスクがあり、長寿に関してはノーリターンである。
よって始皇帝のように、水銀中毒死するケースが出る。

evidenceの必要性はここにある。
ノーリターンをハイリターンかのように説く人が、絶えない時代があった。
ハイリスクゆえに、損失が出る可能性が高い。
そのうえノーリターンならば、損失を超える利益が期待できない。

これを信じた人々は、損失を受けるリスクを背負う。

その反省から、エビデンスの必要性が説かれるのである。

ノーリスク・ハイリターン。
ノーリスク・ノーリターン。
この2つをフィルターに掛ける必要は特にはない。
どちらを選択したとしても、損失はないからだ。

ダメでもともと、当たれば儲けもの。
ものごとをポジティブに捉える人は、こういう考え方の特徴がある。
周囲の誰もが「そんなの無理に決まってる」と言う。
それでも前に進んだのは、エジソンやアインシュタインだ。
当たって砕けろ
そういう人は成長が止まらない。

例えば、「感謝」が体にいい…そのように説く人がいるとする。
信じるべきか信じざるべきか。
感謝は、ノーリスク。
体にリターンは「?」。
だから信じていい。 一番目の選択でいい。損することがない。
ここに、件 (くだん) の必要性は見当たらない。

“感謝” ほどノーリスクではないが、それに準ずるものはいくつかある。
早寝早起き元気な子。
腹八分目に医者いらず。

ハイリスクを選ぶか、ノーリスクを選ぶか。

ハイリスクの方から試してはならない。
一番目の選択は、ノーリスクの方からである。

ノーリスクを選択し続けるならば、リターンの有無は度外視できる。
リスクを考えたうえで、見返りをもとめず挑戦し続ける。

ノーリターンの場合もあるだろう。
だが時に、ハイリターンが舞い込む。

そうやって新しい道は切り開かれてゆくのだ。

後でゆっくり確かめればいい “根拠” もある。

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