evidence。科学的根拠。
信じていいこととは何か。
〇
ハイリスク・ハイリターン。
ハイリスク・ノーリターン。
この2つをフィルターに掛ける必要がある。
二者択一なら、前者を選択する必要がある。後者を選択してはならない。
かつて、ハイリスクである水銀に、不老不死のハイリターンがあると信じられた時代がある。
しかし実際は、水銀は中毒死するハイリスクがあり、長寿に関してはノーリターンである。
よって始皇帝のように、水銀中毒死するケースが出る。
evidenceの必要性はここにある。
ノーリターンをハイリターンかのように説く人が、絶えない時代があった。
ハイリスクゆえに、損失が出る可能性が高い。
そのうえノーリターンならば、損失を超える利益が期待できない。
これを信じた人々は、損失を受けるリスクを背負う。
その反省から、エビデンスの必要性が説かれるのである。
〇
ノーリスク・ハイリターン。
ノーリスク・ノーリターン。
この2つをフィルターに掛ける必要は特にはない。
どちらを選択したとしても、損失はないからだ。
ダメでもともと、当たれば儲けもの。
ものごとをポジティブに捉える人は、こういう考え方の特徴がある。
周囲の誰もが「そんなの無理に決まってる」と言う。
それでも前に進んだのは、エジソンやアインシュタインだ。
当たって砕けろ。
そういう人は成長が止まらない。
例えば、「感謝」が体にいい…そのように説く人がいるとする。
信じるべきか信じざるべきか。
感謝は、ノーリスク。
体にリターンは「?」。
だから信じていい。 一番目の選択でいい。損することがない。
ここに、件 (くだん) の必要性は見当たらない。
“感謝” ほどノーリスクではないが、それに準ずるものはいくつかある。
早寝早起き元気な子。
腹八分目に医者いらず。
〇
ハイリスクを選ぶか、ノーリスクを選ぶか。
ハイリスクの方から試してはならない。
一番目の選択は、ノーリスクの方からである。
ノーリスクを選択し続けるならば、リターンの有無は度外視できる。
リスクを考えたうえで、見返りをもとめず挑戦し続ける。
ノーリターンの場合もあるだろう。
だが時に、ハイリターンが舞い込む。
そうやって新しい道は切り開かれてゆくのだ。
後でゆっくり確かめればいい “根拠” もある。