ギックリ腰 (急性腰痛) の治し方

54歳。女性。2024年8月24日診。

昨日、駅の階段をスーツケースを持って降りた時、左腰に痛みが走った。
今日も、左腰が痛い。
左髀関穴や左崑崙穴のあたりにも、放散痛らしき疼痛がある。

その場で痛みが出たかどうか。それが急性腰痛 (ギックリ腰) であるかないかの常用な問診事項である。「何時何分何十秒」というのが、言えるような痛みの出方である。本症例はそれに該当、よって急性腰痛の可能性が高い。

さらにその確定診断は、竅陰というツボで行う。これは僕のやり方である。その診察は望診 (目視) を用いる。竅陰というツボは非常に小さく、切診 (触診) は難しい。

竅陰を望診する。左右とも実の反応がある。

「ギックリ腰ですね。」
「やっぱりギックリ腰ですか。」

百会に鍼を打つ。5番鍼で5分間置鍼。

抜鍼後、竅陰を診る。反応が消えている。

「これでいいです。痛みが残ったとしても、それは筋肉の切り傷のようなものです。傷口を引っ張るような動き (痛っとなる動き) さえしなければ、最短で治っていきます。変に痛みだけを止めてしまうと、傷口を引っ張って治りを遅くしてしまうので、それだけ気をつけてください。安静が基本です。この1ヶ月間、相当無理をしたようですから。」

「痛み」は「痛い」から治る?
痛みはなぜ存在するのか。痛みはどのようにすれば治るのか。 これを、模式的に考えてみましょう。 上図のように、手首に「切り傷」を負うとします。 時間がたてば傷口がくっついて、ふさがってきます。この時、手首を動かすと「痛い」と感じる方向 (姿勢...

「分かりました。ありがとうございます。」
「もう一度、腰を見せていただけますか。」

寝返りを打つ。スムーズ。

「はい、もとに戻ってください。」

再度、寝返り。スムーズ。

「寝返り、最初と比べてスムーズにできましたね。」
「はい、ずいぶん楽です。」

帰りの受付で、聞いてみた。ベッドから起き上がるときも靴下や服を着る時も、ほとんど痛みがなかった。治療は午後7時開始であったが、それから1時間の道のりを車で帰宅、その日のうちに痛みは消えた。左髀関穴や左崑崙付近の痛みも、同時に消えた。

鍼灸臨床は32年となるが、ギックリ腰を満足できるレベルで治せるようになったのは、ここ最近である。学生のころは鍼灸接骨院 (一日のべ患者数100人・全身に100本ほど鍼を打つ) で見習いをしたが、そこの院長はぎっくり腰は治せておらず、コルセット (固定包帯) でごまかしていた感がある。効果があったものでも、鍼をしたらその時はマシになるが翌日になるとまた痛くなる…というのが印象に残っている。

鍼灸学生のころ北辰会で一本鍼を学んだ。そのときギックリ腰についても学んだ。胆経腰痛という概念である。特徴は、竅陰・十七椎下などに反応がある、胆経と子午流注で関連のある小腸経の後渓を治療穴として用いる、少腹急結が明らかならば臨泣を治療穴とする…というものであった。

このような診立てをする際に大切なのは、ツボの反応を正しく診ることができるかどうかという一事に尽きる。特に井穴である。

井穴とは より引用

井穴は圧痛で診察するのが通常である。でも正直、ぼくは圧痛を診るのが今も苦手である。たから当然、井穴診 (指を按圧して圧痛を診る診察) が苦手であった。だからギックリ腰もうまく治せなかったのである。

だから、圧痛を診るのをやめた。では、圧痛を診ずにどうやって井穴診をするのか。そもそも圧痛があるということは、そこに気の留滞があって、なんとかそれを取り除こうとしているからである。それなら、気の流れを読み取ることができたらどの井穴に異常があるか分かるはずだ。そう考えて指を軽く捻って気の留滞を読み取ろうとした。自分のやりやすい方法はないか、工夫したのである。だが正確なものではなかった。そもそもツボの診察技術が未熟だったからである。だからギックリ腰もうまく治せなかった。

脈診 (三脈同時診法) で「血の流れ」を読み取るトレーニングは相当期間やったが、それを当てはめて、ツボの診察で「気の流れ」を読み取るトレーニングを始めてから、技術は飛躍的に向上した。脈に触れて診るように、最初はツボに触れてトレーニングした。次にツボに触れずに手をかざして読み取るトレーニグをした。さらに手もかざさず望診 (目視) だけで読み取るトレーニングをした。

腹痛… 望診の “その上”
運転しながら、一瞬振り向いて後部座席の娘の残像を焼き付ける。前を見て運転しながら、その残像で診察する。この季節、疑わしいのは冷えだ。寒府は? 邪が出てるな。やっぱり冷えがあやしい。

そもそも望診のトレーニングはギックリ腰というよりも、乳幼児を診るために必要に迫られてやったことである。乳幼児はジッとしてくれないし、ツボも小さくて診察できたものではない。乳幼児の治療に井穴は重要であるが、ぼくはこれが本当に苦手だった。確証ががないと何もできない。ぼくは怖がりなのである。こわごわやって、効くはずなどないことは素人の目にも明らかである。子供が苦手だったのである。

最初は背部兪穴など、大きいツボの望診からトレーニングした。その成果が一定レベルに達した時、気がつけば、井穴の反応も望診で見分けられるようになっていた。もちろん、脈診という「基礎」があったから出来たことであることを断っておく。

井穴というツボは、触れて診察するには小さすぎて診づらい。だから北辰会では「井穴診」として圧痛で診察するのだと思う。しかし僕は圧痛が苦手、しかたなく診づらい井穴を直接診ようとした。切診 (触診) がダメなら、望診 (目視) しかない。それが、できるようになったのである。

そこからは、話が早い。乳幼児の診察と同時に、ギックリ腰も克服できたのである。苦手な圧痛の診察は、必要としなくなった。望診で井穴診をするからである。竅陰に実の反応が出ていれば、急性の胆経異常という診断を下す。さらに腰に痛みがあれば「ギックリ腰ですね」と患者さんに説明する。

北辰会で教わった「ギックリ腰に後渓」は、ぼくの30年の臨床では、結局のところ一度も効いたことがなかった。しかし、それは当たり前のことである。胆経の異常を見分ける技術もないのに、猿真似をして後渓にいくら鍼を打っても、胆経に届くことはない。だから、ギックリ腰に効くこともない。ただそれだけである。

ギックリ腰に対して、ぼくはもう後渓に鍼は打たなくなった。しかし、北辰会で教わった「胆経の異常」という最重要事項を正確に見抜けるようになった。北辰会で学んだ道標 (みちしるべ) とは、「後渓」ではなく「胆経」なのだ。急性に起こった胆経の異常を正常化することは、イコール竅陰の実の反応をとることである。胆経が正常化すればギックリ腰はスムーズに治癒する。

そのために、どこに鍼をするか。後渓で異常が治せる人は後渓に鍼をしたらいい。

僕の場合は、今回は百会であった。それだけのことである。

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