腹痛… 望診の “その上”

11月に入ったばかり。秋も深まる休日の夕刻。

携帯の家族割で、僕も同行しないといけないらしい。よって妻と長女と3人で携帯ショップに。

3人とも運転免許証を持っているが、何のはずみか僕が運転することに。 (普段は助手席が僕の指定席。めんどくさがりなので ^^)

妻は助手席、長女は後部席に座っている。普通に走れば5分で着く距離なのだが、いくらか渋滞している。。

長女「あ… お腹痛い… いてて…」
ぼく「え お腹痛い? そういえばさっきも言ってたなあ?」

さっきも、ついさっきも、これで3回目。ルームミラーにしかめた顔が映る。

長女「そうやねん。なんでやろ。」
ぼく「生理はこないだ終わったばっかりやんなあ」

職業柄だが、娘の生理を把握している父である。

運転しながら、一瞬振り向いて後部座席の娘の残像を焼き付ける。前を見て運転しながら、その残像で診察する。この季節、疑わしいのは冷えだ。寒府は? 邪が出てるな。やっぱり冷えがあやしい。

余談だが、こういう遊びはよくやる。次女が車酔いすることがあるのだが、後部席に座っている次女が「酔ってるか酔ってないか」を、前に座っている僕が振り向かずに当てる遊びである。

ぼく「なんでやと思う? なんでお腹痛くなった?」

“病因” である。ここが大切なところ。

長女「今日、バイト先でお茶を出してもらって、なんか変な味がしたから、それでかなあ。」

変な味? もう一度、振り向いて焼き付ける。お茶が当たったのなら、裏内庭に出ているはずだが。
…出ていない。

「お茶は関係ないかな…。こないだ急に寒くなったとき “パジャマと朝イチの服装は真冬と同じにしろ” って言ったことあるな?」
「うん、そうしてる。」
「バイトで寒かった?」
「ううん、寒くなかった。」
「今日、なんか “寒っ” てことなかった? 」
「なかった…。あっ、そう言えば今朝、 (長男を) 駅まで送ったときに寒かった。」

今日、長男は部活 (朝練後に県大会) で、最寄駅の始発では間に合わないので、乗換駅の始発に間に合うように、長女が早起きして車で送ってくれたのだ。前日に、長女が自ら言い出したことだった。大学を卒業し、もうすぐ一人暮らしを始める。思うところでもあるのかな。

5時ごろ起きてすぐに運転したのだが、その時の服装がいつもより薄着だったらしい。

「それやな。今ちょうど、日が暮れて寒くなってきてるやろ? 朝に受けた冷えが今きたんやな。」
「それかー。」

もう一度さっと振り返る。残像は…。寒府の邪が消えた、これでいい。今の会話が効いた。

「今、お腹は?」
「今? 今は… 痛くない。波があるねん。痛かったり痛くなかったりする。」

ときに痛み、ときに止む。気滞の特徴だ。寒邪が衛気に肉薄し、衛気は寒邪の防衛に手を取られて、気の推動 (宗気) を助けるべきところに手が回らない。推動できない正気は、邪気 (気滞) となる。不通則痛となり、腹痛となる。

腹痛は “弁病” である。寒邪 (冷え) という “病因” から、このように “病理” を導く。これが “弁証” である。

気滞とは << 正気と邪気って何だろう をご参考に。
気滞証 をご参考に。
痛み…東洋医学から見た7つの原因と治療法 をご参考に。

携帯ショップに到着。

手続きに1時間余り。

帰宅して、みんなで夕食。

「ところでお腹、どう? 」
「え? (もぐもぐ) … あ 忘れてた。ん? 痛くないけど。」
「いつから? 」
「いつからやろ…。携帯ショップに着いてからずっと…。」
「原因が “冷え” って話してからやろ? あの時、 “これから気をつけよう” って思ったんと違う? 」
「思った。えっ、もしかしてあれで?」
「ハハハ ツボの反応があのとき消えたから。それでどうなったかなあって。」
「マジで ! ? パパやばっ。いつの間にそんなんできるようになったん?」

病気の原因 (病因) が何かを知る。知るのは「意」である。脾である。

そして、それに気をつけよう…と決心した瞬間、体は変わる。それだけで治ってしまうこともある。こういうことはよくある。決意が強ければ強いだけ、治す力は強くなる。決意とは腎である。「志」である。

そうか、腎が補われたのか! …そのとき気づいた。経験の積み重ねが理論になった瞬間である。

腎臓と「志」 << 東洋医学の「腎臓」って何だろう をご参考に。

日常の些細な出来事のなかで、些細な結果がでる。それは些細ながら新たな自信となる。そんな自信の積み重ねが、確信となって臨床のなかで脈々と息づく。だからアンテナは常にビンビンでなければならない。実戦は決して甘くはないのだから。

それにしても、今朝、あんなに早起きして、弟のために送迎役を買って出て、それで腹痛とはどういう意味があるのだろう。寒さから身を守ることにスキがあったことは確かである。そうだ、どんなに環境が変わろうとも、リズムが変わろうとも、今まで続けてきた正しい習慣は不動でなくてはならない。

これから一人で生きていく長女に、体はそれを教えようとしたのだろうか。

 

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