グレープフルーツが好きで、お酒で割って飲むためにジュースを常備している。ところが寒くなってからは日本酒にその座を奪われ、冷蔵庫のソデに入れっぱなしになっていた。12月も半ばを過ぎた土曜の昼下がり、2ヶ月は入れっぱなしになっていたであろうジュースの存在に気づく。
賞味期限は2023.11.19、今日は12月16日、とうの昔に過ぎている。
捨てるのももったいないので、煮沸していただこうと、グツグツ煮て昼食後にズルズル飲んでいた。それを見た娘が、
「グレープフルーツ? あたしも、それ朝に飲んだで。」
「え? そのまま飲んだ !?」
「うん。なんで?」
「こんなんもう、いつから冷蔵庫にはいってるか分からんやつやで。大丈夫か?」
「え まじで…。」
「え? ずっと飲んでんの? 」
「いや、今日たまたま。」
一瞬凍りつく空気も時の流れとともに過ぎ去り、夕食後のくつろぎタイムを無邪気に娘と談笑している。
すると。
「あれ? お腹痛い。」
「大丈夫か? 」
「もしかしてグレープフルーツかなあ。」
「そんなん、グレープフルーツなんて言うわけが…」
と言いながら、裏内庭に注目する。そして気を感じ取る。イスに座った状態なのでツボの位置は隠れて見えないが、こういうのは普段から訓練している。じ〜っと見る。うわ、反応している。
食あたりだ。
娘の顔を見る。こっちを見て痛そうに、でも笑っている。ああ、この事実を正直に言うべきか、言わざるべきか。ばかばか、現実から逃げたらダメだろ。
「そんなん、グレープフルーツなんて言うわけが… あるな。うん、食あたりや。気の毒に。まあ、オレは煮沸して飲んだから大丈夫やけど。はっはっは。」
「えええ~! まじで〜!」
「だいたい、あんな何時から放ったらかしになってるか分からんようなもん、なんで飲んだんや? 」
「グレープフルーツは父さんの管轄やから、信頼できると思った。」
「あかん! 他人のことを信じたらあかんぞ。自分で見たものだけが信じていいものや。いやいや、信じたらええんやけど、鵜呑みはあかん。先人の言うことを一通り飲み込んで、それを元にして自己一流のものを作り出すんやで。おまえは信頼できると見たら鵜呑みにするところがある。」
とにかく、なんかウンチク言っとけ。ためになることを言ったら良くなるかもしれん。
ほらな。裏内庭の反応、消えたやん。
「分かったらそれでいい。で、お腹は? 」
「あれ? 痛くない。」
「ツボの反応、いま消えた。」
「え? そんなんでお腹痛いの治んの?」
「そう、これから気をつけようって思ったやろ? 失敗は学びの元やで。気づかせるために病気はある。」
翌朝聞いたら、あれからもう痛くないとのこと。
よかった…。とりあえず、責任は回避できた!
この医学に感謝。とともに、
これからグレープフルーツジュースの放ったらかしには気を付けますm(_ _)m
裏内庭は、沢田流の沢田健が用いた穴処である。裏内庭に灸をすえて食あたりを治したとされる。ここからヒントを得て裏内庭を診るようになった。腹痛のほとんどは足三里に反応が出るが、それがないときは「不可解な腹痛」となる。「なにか変なもの食べませんでしたか?」と聞くと「そう言えば…」となる。そういうときに裏内庭を診ると反応している。裏内庭に生きたツボの反応があればそこに鍼をする。なければ八綱を整える。すると勝手に裏内庭の反応は消えてしまう。そこで患者さんに「いま腹痛はどうですか?」と聞くと、「あれ楽です」と返答が得られる。そういうケースを積み重ねて、やっぱり沢田健はえらかったのだな、となる。これが伝統医学の特徴である。
そもそも食あたりは診断が難しい場合がある。たとえば5月の休日にハイキングに出かけようと、おにぎりを作った。にぎっているときに、たまたまくしゃみが出て、その飛沫がおにぎりに付着した。そのまま弁当箱に詰めて、お昼に食べた。その3日後に腹痛が出た。…こういうケースになると、そのおにぎりに付着した細菌が5月の陽気で増殖して、その菌の潜伏期間が3日間だから、ああ、あのおにぎりが原因だったか…などと、わかるものではない。しかも、食べた人全員が発症するわけではなく、そのときの体調にもよるのである。こんなふうに、本人に思い当たるふしのない食あたりを見抜くときにも、裏内庭は非常に便利である。