“盆になったら朝晩は涼しなりましたなあ。昼は暑いですけど。”
ここ飛鳥地方の8月中旬は、こういう時候の挨拶が聞かれる。朝は長袖がほしいくらいの日もある。
いや、「あった」と言い換えねばなるまい。
上記定型文は、すでに死語となった。朝も晩も暑いからである。そもそも10年ほど前までは、奈良市での熱帯夜はひと夏で数回しかなかった。
たとえば2015年で4回。2016年も4回である。
ところが2017年に26回と急に増え、2018年は40回に。
2019年は30回、2020年は27回。
2021年は11回に一旦落ち着く。しかし2022年は28回。
今年の夏はすでに30回を数える。
ここ飛鳥地方はアメダスのデータがないので肌の感覚に頼るしか無いが、ぼくはその感覚をよく知っている。夜はクーラーを使わずに寝るからだ。
枕元はこんな感じである。夏の夜の涼。午前4時。
こんな景色を見ながら、心地よくブログを書かせていただいている。
奈良市よりもかなり涼しいのである。おそらく、吉野山系の冷えた空気が降りてくるのだろう。奈良市は吉野から遠い。
ただし今朝のような涼しさはまずない。この夏は暑いのである。
注目したいのはCOVID-19である。
2019年が境界線。
それ以前の2年間は、夜もめちゃめちゃ暑くて寝にくかった。とくに2018年はきつかった。クーラーを使わなければ寝られなかった。娘が陸上競技中に倒れたのもこの年だった。
そしてその年が開けて、COVID-19。
記憶に新しいあの騒動。
その2019年から一転、暑さはましになり寝やすくなった。
昼は暑いが、夜はクーラーを使わずとも、横になっていれば涼しかったのである。
それ以降、去年 (2023) の夏までは、昼の疲れを夜に癒やすことができた。
2023年5月に5類移行となった。この時点でぼくが一番心配していたのは、また暑くて寝苦しい夜が復活するのではないかということであった。
はたして、予感は的中した。去年 (2023) は大丈夫だったが、今年の夏のこの暑さは…。
5類移行後、この1年余で世界的にも人の動きが活発化した。その活発さは、コロナ以前よりもさらに激しい雰囲気がある。今年 (2024) 、ここ奈良では7月くらいから、米が無くなってきているのである。購入しようにも品目が限られてきているのだ。外国人観光客がすごい勢いで食い尽くしているのだという。食べ残して捨てられる量もハンパじゃないだろう。世界を股に掛けた人の動きがどれだけ活発か、推して知るべしである。コロナ禍での規制や自粛が明けて、リバウンドを起こした感がある。
疫病でも流行らなければ、この暑さは止められないのだ。
夏の夜の一息つける憩いのときは、今は昔となった。
“涼しさは 夕顔棚の 下涼み” という句もあるが、そんな悠長なことはもう言えない。
とくに僕の夏の休日は家庭菜園が忙しく、毎日の明け方4時頃からが勉強タイムだったのに、これじゃブログも書けないじゃないか!
僕だけでなく、みんな疲れている。
それにしても、人間という種の力はすごい。世界の海から魚が減るほど乱獲し、陸から森が減るほど伐採し、そして地球の気温が上がるほど動き回る!
人類の、正しい生き方とは。
地球にやさしいものが前提であることは言うまでもない。
地球を大きく変えることに恐れを抱くべきだろう。
われわれは、この地球によって生かされているのだから。
しかし、そんな声はもはや届かない。
“蝉よりも うるさい声に かき消され”
来夏の安眠は、さすがの僕もクーラーに頼らざるを得まい。