冬場の邪熱
熱がある。後渓に邪があるのである。
立冬以降、ずっとである。夏なら分かるのだが、冬なのに熱というのは矛盾する。どうして熱が起こるのか。冬は夜 (休息すべき時間) が長い。にもかかわらず、みんな照明を使って夜に活動し過ぎている。自然に反しているからだ。
ただし今、おかしいのは熱だけではない。普通は熱で後渓が反応していれば、僕の診方では、他の穴処 (豊隆の痰湿・合谷の気滞・瘀血の三陰交) には反応が出ない。邪熱・痰湿・気滞・瘀血のうち、何が主要矛盾となっているか、体は僕に正確に教えてくれるはずだ。
そのはずなのに、豊隆にも反応がある。これが大問題である。
後渓の熱 (邪熱) 、豊隆の水 (痰湿) が同等に反応している。主従がないので、どちらか一方を取ったらもう一方も自然に取れるという法則が通用しない。
突沸
両雄がせめぎあう。こういう状態は良くない。不安定だからである。そもそも熱と水は、バラバラだとそうでもないが、何かのキッカケで絡み合うと、急変するような症状を呈しやすい。
焼石に冷水をかけると、必要以上に激しく沸騰する。冷たいものと熱いものがぶつかり合うと激しくなるのである。
突沸もそう。
前線 (気象) の通過もそうである。
そういう現象が、1月10日〜12日にかけて起こった。普段はおっしゃらない「頭痛」を、若干名の患者さんが訴えられたのである。ひんぱんに見ている患者さんで3人ほど、それはその日だけで治まった。しかし、たまにしか診ない患者さんで反応した2人は、一人は中耳炎、もう一人は発熱で、仕事を休むほどの症状が出た。
それらの方々には特徴があって、時間に追われる極端な忙しさがあった。
正月明けの忙しさ・気忙しさは、もともとあった冬の邪熱を、より激しくした。
その熱を、さらに気温が後押しした。1月10日あたりから気温が高くなり始め、12日 (木) は最高気温15℃に達した。こんな温かさは2ヶ月はやい。
そしてこの急激な温かさ (熱) が加わることで、体の「熱」と「水」とがなんとか保っていた関係を崩したのだ。
突沸現象を少し説明する。冷蔵庫で冷えたカレーやシチューなどを、ガスレンジに乗せて強火で温める。冷たいドロッとした液体に熱を加えるのである。そして熱を加え続けると、いきなり爆発する。電子レンジの爆発卵もこの理による。人体で「ドロッとした冷たい液体」とは、痰湿のことである。
冬の照明の使いすぎ、時間に追われる忙しさ、そして前線の通過による気温上昇。これらが重なり、後渓に反応していた肝の熱が激しくなる。
・弱火… 冬なのに活動がすぎる現代人の宿命的な「熱」
・中火… 加えて、忙しさに追われる焦燥感による「熱」
・強火… さらに加えて、急激な暖かさによる「熱」
その熱が、豊隆で反応していたドロっとした水を急加熱する。突沸がおこり爆発し、上に昇って頭部の症状や炎症症状が出たのである。
熱と水が並び立つ
休息は陰である。活動は陽である。
夜の休息のグッスリさがあるから、昼の活動のハツラツさがあるのである。また昼がハツラツとすればするほど夜はグッスリとなる。これが陰陽の正常な関係である。陰 (夜の休息) がたっぷりあればあるほど、陽 (昼の活動) が大きくなる。
照明の使いすぎによって夜 (陰) が犯された現代社会。特にその冬場は、陰が不足している。
詳しくいうと陰を容れる「ウツワ」が小さくなってしまっている。
だから、そのウツワの上に、フタに相当する陽が乗っかれない。乗っかれずにハミ出た部分は、熱 (邪熱) となる。だから冬なのに邪熱があるのだ。
そして、そのウツワを満たすべき陰が少ししか入らない。入り切らなかった陰は水 (痰湿) としてあふれてしまう。正月の飲食は激しくやったのに、容れるウツワが小さい。
この病理が、熱と水が並び立つ…という矛盾を生み出す。
つまり、陰のウツワを大きくすればいい。そうすれば、水も熱もなくなる。
この病理は冬場に限らない。膝に水が溜まって熱を持っているものや、邪熱のあるガンで腹水を持っているものでも、この考え方を応用することができる。
養生法
具体的な方法を言う。
ヨコになることである。
ヨコは陰であり水である。水はヨコに流れる。
タテは陽であり火である。火はタテに燃え上がる。
人間は、タテになったりヨコになったりしながら、活動と休息をくりかえしているのである。
陰が足りなければ、ヨコを足せばいい。
できるだけ早く就寝する。
すでにそれができている人は…
「何事も八分」を心がける。腹八分が体に良いように、活動も八分がいい。九分は無理しすぎ、七分はサボりすぎである。仕事をしていて、まだまだできるが五分、そして六分、七分と来て、もう少しできる八分で手を置く。そして5分間でも、1分間でもいいから体をヨコたえる。そのまま寝てしまっても良いように、フトンをかけて。そして1分間なり5分間なり横になったら、起きて仕事を再開する。一分、二分、三分、四分…で、八分になったらまた横になる。そのまま眠ってしまってもいいように、毛布があるといい。
勤め先ではヨコになれないので、そのときは座ったままでいいので1分間でも目を閉じる。目を閉じると陰の状態になる。で、また仕事を再開する。いったんヨコにして、またタテにする。タイマーを合わせるとリラックスできる。
それもできないくらい忙しい時は、この話を思い出すだけでいい。一分間も横になれない、目も閉じれない。そんな目がまわ様な忙しさの中で、こんな話を思い出すこと自体、非常な落ち着きがある。落ち着きとは、正しく陰である。できるだけ。これが真実である。
陽 (活動) 中に陰 (休息) を補うのである。これが「陽中の陰」である。
と、このように患者さんに話をしているうちに、もう豊隆の反応が消えているのである。「よし、やってみよう」という決心とともに、すでに陰のウツワが大きくなり、水が回収されたのである。
熱と水との並立という矛盾が消える。
布石
何事も八分。大切なのだ。
二分の余力を残していれば、持続可能となる。
一度にやるのはよくない。1mmずつ、コツコツが自然の理法である。https://sinsindoo.com/archives/1mm.html#1ミリ
気温が急に上がるという状況は、今後も幾度となくあるだろう。
今のところ、当院での発症はごく一部の方に限られたが。
さかんに報道されるウイルスの大流行も、この現象があるとみる。
これから予想される急な発症や、発熱を防ぐ。
その布石を、いま打っているのだ。
【2023.1.15偶感】