「押入れ」の疲れ

疲れが「押入れ」に入る。

そういう説明を、患者さんにすることがあります。

疲れがあるはずなのに感じない。それは、片付けるべきものがあるのに目に見えないのと同じです。つまり、押入れに入ってしまっている。

詳しく説明します。

押入れとは

たとえば引っ越しして、部屋が荷物でいっぱいになっている。このままでは食事をとるスペースも寝る場所もありません。だから、ひとまず押入れに放り込む。それで急場はしのげる。日常生活はとりあえず可能になります。このように押し入れは便利です。絶対に必要ですね。

しかし、便利なものは気をつけて使わないと、悪影響が出ることがあります。車も便利だけど、使い方を間違えると危険ですね。

たとえば、テーブルの上や床が、片付け物で散らかっていたら目につきます。目につくものはすぐに片付く。でも押入れの中って目につきにくいですね。だから片付きにくい。押入れの中で、何かが腐っていていたりカビが生えたりしていても、部屋が片付いていれば、それできれいだと感じてしまう。押入れは時々気を付けて見ておかないと、気がついたらゴチャゴチャでイッパイになりやすいのです。

これを人間に置き換えてみましょう。部屋は人体です。片付け物は疲労です。

人間にも押入れがあります。つまり「急場を乗り切る力」です。

たとえば子供が高熱を出して、お母さんが3日も看病している。でもしんどくなりません。お母さんがしんどくなったら、共倒れになる。それを防ぐために、そもそも押入れのようなものがあって、とりあえず疲れをそこに放り込むのです。

これは猛獣を相手にサバイバル的に生きてきた時代から続く能力だと思います。こうした看病では必要な能力です。現代人は受験戦争・出世争いなどでも発動します。病的になると、日常生活のささいな「興奮」で発動してしまう人もいますが、もちろんこうなると誤動作です。

子供の熱が下る。つまり、その急場が済んだら、少しずつ押入れから出して、片付けなおします。つまり、疲れを感じる。子供が学校に行っている間に、少し横になる。そうやって少しずつ押入れの疲れを整理し、次に何かあったときに詰め込めるようスペースを開けておくのです。

火事場の馬鹿力

急場のをしのぐ力。

火事場の馬鹿力…という言葉がありますね。まさにそれです。

火事で力を出しても、その時は何も感じないのです。子供が取り残されているとする。無我夢中で煙火の中に飛び込み、小脇に抱えて戻ってきた。ああ、愛しい子供が助かった…と思った途端、自分の足が折れてる、大やけどを負っている痛みに気づく。

この痛みは大切ですね。もし痛みが出ず「折れた足で走り続ける」ならば、どうなるか。かなりややこしくなります。でも、そうならないように、あとから痛みや疲れを感じて、動けなくなる。結果として体を休めたり治療したりする。

この一連の働きは、人間が生きていくうえで、急場を乗り切るうえで必要な働きです。

必要に迫られて借金するが、あとでゆっくり返してゆく。それと同じです。しかし、借金は無いに越したことはなく、奨励できるものではありません。

誤動作がこわい

つまり、この「押入れ」の働きは、そういう時しか使ってはいけないのです。なのに、急場でもないのにその押入れを使ってしまっていることがある。誤動作です。

その誤動作が解除できずに継続してしまうと、非常にややこしいことになります。

つまり押入れにドンドン詰め込む。しかも押入れを整理することがない。

もし、それが10年、20年と押入れを片付けることなく、そこに疲労をしまい続けたら…。開けてみると驚くようなものが出てくる。

それが大病です。

ガン・脳梗塞・認知症は、自覚症状なしで進行する病気ですが、いったん発症すると回復が非常に困難になります。

自覚症状が出ないのです。たとえば、オデコにできたデキモノは気にしても、あたしこのごろ大腸にデキモノができちゃって大っきくなってる気がするんだ〜って人はいません。手が荒れてヒビ割れたことは気にしても、あたしこのごろ動脈が荒れてヒビ割れてきちゃってイヤなんだ〜って人もいません。オレは認知症だよっていう人は、ちゃんとご自分が認知できていますので認知症ではありません。

たとえばカゼは、押入れの扉を強制的に開けることがあります。急に動けなくなったり、食べられなくなったりすることがありますね。疲れが表面化したのです。開けすぎて、雪崩のように部屋を埋め尽く、そこで生活する人間すら生き埋めにしてしまう場合 (死亡する場合) もあるようです。もちろん、開けないことあるし、適度に開けて片付ける機会が得られることもあります。

カゼだけでなく、あらゆる病気は、押入れを開ける作用があると考えれられます。
・溜め込んだ疲労が多すぎる
・扉を一気に大きく開ける
この2つの条件がそろうと、どんな病気でも死に至ります。

罷極とは… 疲労って何だろう
肝は罷極の本、これは《素問・六節藏象論》の有名な言葉です。罷とは強い力をダラッとさせる。極とは平気な顔をしながらも耐えている。これは字源から得られる字義です。疲労という漠然とした概念に、ハッキリとした輪郭が見えてきます。

ツボで診断できる

押入れに疲れがあるかないか。本人でさえ分からない蓄積があるのですが、これがツボの反応で、ある程度分かります。

背部を診ると、右肝兪から右脾兪を中心とした実 (絶対的実) 、左意舎を中心とした虚 (絶対的虚) の反応です。

そもそも、この右実左虚の反応は、過去に、初期ガンの患者さんを診ていた時に見つけました。自覚症状は何もなく、検査でたまたまガンが見つかった方です。この反応は、「疲れが押入れに入っている」ことを意味すると、その時から仮定し、たまにその反応が見られる患者さんに対しては、そのことを注意し、反応を消してきました。

背候診で、右に実があり左に虚があるということは、左右ともに病んでいる、という意味で、左右のバランスが悪いなりに取れた状態であると考えています。バランスがとれているので自覚症状が出ないのではないか、という直感から、そういう視点で注目してきたものです。

背候診でこの反応が見られる時、
・顔面気色が全面で沈む
・右合谷に絶対的な虚の反応がある。 (絶対的な虚とは、左合谷を診なくても診断できる虚の反応)
が同時に見られます。

ツボの診察…正しい弁証のために切経を
ツボは鍼を打ったりお灸をしたりするためだけのものではありません。 弁証 (東洋医学の診断) につかうものです。 ツボの診察のことを切経といいます。つまり、手や足やお腹や背中をなで回し、それぞれりツボの虚実を診て、気血や五臓の異変を察するのです。

この診断は、「無証可弁」の方法の一つとして考えることができます。無証可弁…直訳すると、証候無しで弁証できる。つまり不問診で病の有無を見分けることです。

今のこの気持で

押入れに疲れが入っています。

そう説明するだけで、押入れは片付きます。

左意舎の反応が消え、顔面気色が浮き、右合谷の反応が消えるからです。

この文章を読んで入る方も、もしかしたら今、片付きつつあるかもしれません。

自分では気が付かないだけで、もしかしたら疲れているかもしれない。押入れみたいに見えづらいところに疲れがあるのかもしれない。そう思った瞬間に、押入れに目が向いているのです。押入れを気にすれば、自然と片付きますね。

あるかもしれない。そこに段差が「あるかもしれない」と思っている人は、その段差でつまづきません。段差なんてあるもんかとタカをくくっている人が、えてしてつまづくのですね。

あるかもしれない。

油断のない「この気持ち」でいてください。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました