武器と食物

武器と食物、これは好対照である。
どちらも命を守る。

医学にはこの2つの側面がある。

「武器」のような「強さ」を持つ側面。
「食物」のような「優しさ」を持つ側面。

ナイフをもって人殺しが突進してきた。相手はやる気だ。こういうとき、 “食物を食べなければ命がなくなる” というような見当違いをしていると助からない。こういうときは、食物より武器こそ大事である。棒きれでもいいから、振りかざしてみることだ。それだけでも相手は逃げていくかもしれない。交通事故のような大怪我で、せっかくの「武器」を使わず命を落とすようなことがあれば、誰でも後悔するだろう。武器を使わなかったら命がなくなる局面があるのだ。

今は人殺しはどこにもいないとする。こういうときに、まだ棒切れを振り回して “この棍棒さえあれば命は安心だ” というような見当違いをしていると助からない。こういうときは、武器よりも大切なものがあるからだ。食物である。われわれの日常を当たり前のように支えてくれる衣食住や生活環境、「食物」はそれを象徴する言葉として捉えてほしい。武器の鮮やかさに目を奪われて、この「当たり前」を忘れては、いずれ命から見放される。

武器にはとにかく強制力がある。作用する力が強い。それは今まさに絶えんとする命を救済し、存続するはずの命を瞬時に奪うほどの絶大さである。よってむやみな乱用は危険、用いざるべきときは断じて用いない。決して万能ではない、それが武器である。だからといって排除するのは極端なやり方だ。畏 (おそ) れと敬意をいだきつつ、すぐ手に取れるところに常備しておく必要がある。

食物で命は保たれる。腹が減っては戦はできぬ、武器よりも第一義は食物である。主従をわきまえるならば、命を守る上での重要さは、食物が主で武器は従である。さらに重要なことは、何を食べるか、どのように食べるかである。食物の種類は非常に多く、間違ったことを続けると最終的には命に関わる。「食物」をここは「生活習慣」と読み替えてほしい。

武器と食物、これは好対照である。
どちらも命を守る。

武器が必要な時に、「武器」を手に取ろうとせず、「食物」で助かろうとする人。
武器が不必要な時に、「食物」を口にしようとせず、「武器」で助かろうとする人。

武器と食物、これは陰陽である。
夫婦のように、おたがいにおたがいを高め合い諌め合い、助け合って「病める人の命」を、我が子のように生かし育てる。

武器と食物、医学にはこの2つの側面がある。

コンサルタント側は、この2つの側面に精通する必要がある。
クライアント側は、この2つの側面を区別する必要がある。

どういうときに何を用いるべきか。適材適所。
とらわれてはならない。臨機応変。
わきまえて選択する。取捨選択。

これらは取りも直さず「医学の基本」であろう。

その能力が「各自」に求められる時代である。各自とは、コンサルタントとクライアントの別を問わない。

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