ガンとの “勝負”

75歳。女性。ガンの患者さんである。2024年2月2日。

腹部に大きな腫瘤 (巨脾) がある。切除を勧められたが断っている。病院で診てもらってはいるが、経過観察のみで、薬ももらっていない。

来院されるたびに、大きさを確認している。
と、今日は上下の長さは変化がないが、いつもより厚みがある。おかしいな。

体の全体状況はどうか。まず、後渓に反応があり、神闕は邪熱の反応、つまり邪熱が中心となる。胸部腎経を診ると兪府を越えて巨髎まで邪熱の反応が達しており、右腎経の歩廊まで反応している。これは、命に関わることがあってもおかしくないレベル (スコア) である。いっぽう痰湿のレベル (スコア) は足三里までで、可もなく不可もなくというレベルである。

神 (シン) を確認する。大丈夫だ。死ぬことはない。

しかし、この状態は非常に良くない。前回の治療では邪熱のレベルは兪府までだった。これも良くないのだが、今回はその3倍くらいは悪い。もちろんガンなので、自覚症状は出ない。なぜだ? なぜこんなに急に悪くなる?

通常、原因は一つではない。しかしこの急さは、ある程度原因が絞れる可能性が高い。ずっとこの患者さんに寄り添ってきた僕の直感である。無理なことを始めたからである可能性が最も高い。これはガン全般で言えることだ。

ガンに向き合う…「休む」は生命の根源
大きな病を得たならば、いろんなしがらみから離れて、温かい家の中を懐かしい子宮の中だと思って、まるで胎児のように丸まって、無邪気に何も考えず、いつか子宮口が開く時を楽しみに待つ。それが「休む」ということだと思います。

何か始めたな。

そして、それを止めさせるのは容易ではない。それがガンのガンコさだ。
やめさせるためには、インパクトが必要だ。よし、当てるしかない。驚かせるしかない。
直球勝負だ。

「ふんふん、で? 何か始めましたね。 」

「え? 何も始めてませんけど? 」

「いや、今日はすごく悪くなってる。何かないと、こんなに急に悪くなりません。」

「え…何やろ。あ…そしたら、あれかな。」

「なんですのん。」

「また、衣装の仕立ての仕事を大学から頼まれて。」

「それって5月からって言ってませんでした?」

「そうなんですよ、でも、それとは別に頼まれて。」

「いつ頼まれた?」

「3日ほど前。」

「それやな。もうやる気になってるでしょ?」

「いや〜どうしょうかなあ思って。」

「やめとこか。これだけ腫瘤がはれて、こうやって良くない反応も出ているのでね。こういうちょっとしたことから、体って悪くなるんですよ。いうこと聞かずに亡くなった方もいます。ただし、〇〇さんはまだ死にゃーせん。でも、命を大きくけずってもおかしくないくらいの悪い反応が出てるから。」

「やめといたほうがええ? 」

「うん、そのほうがええ。」

再び、前胸部腎経に手をかざして邪熱の反応を見る。左霊墟までレベルが落ちている。半減以下である。

「もうやめとこかって思ったでしょ? いま、体の反応がすごく良くなってます。今のこの気持ちでいて下さい。」

「昨日やったかな、この塊がゴロッて動くねん笑。今日も動いた。」

「おお、やめとけっていうメッセージがありありと出てますね笑。それは元気な証拠やな、ガンに元気になられたら困るでしょ?」

百会に鍼。

さらに邪熱のレベルは下がり、正常レベルにまで下がった。鍼だけではここまで戻せない。

こういうのを「カマをかける」というのだろう。外せば信頼を失う。当たれば信頼が増す。勝負だ。しかし、信頼を失ってもいいのだ。普通に「やめなさい」といって、やめられるくらいならガンにもならない。ここは勝負所なのである。当該患者の一生を左右するような分岐点であると、そう見て取ったのである。だから、勝負しかない。

外しても、勝負しなくても、治すことができない。

だから勝負する。助けるためにはこれしかない。

こういう勝負を、外した経験が思い浮かばない。

必死過ぎて覚えていないだけかもしれないが笑。

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