悪化直前の脈

悪化直前を知ることが出来るだろうか。

例えばインフルエンザ。感染しても、しばらくは症状が出ない。発熱する直前まで元気なことが多く、急に発熱し動けくなる。
例えば食あたり。腐ったものを食べてもしばらくは症状が出ない。数時間後、急に気持ち悪くなり、動けなくなる。
例えばぎっくり腰。さっきまで元気だったのに、腰をかがめただけで痛めてしまい、動けなくなる。
例えば脳梗塞・心筋梗塞。これも前夜は元気に動いていた人が、急に動けなくなる。

動けなくなる数時間前にたまたま治療に来る患者さん。ままあることだ。とくにインフルエンザの流行する時期や年回りでは頻繁に見られることもある。これを見抜き、治療で回避することはできるだろうか。

例を挙げて説明する。48才。女性。体調管理のために来院。

望診

①患者さんの準備ができたので診察に入る。胞宫 (関元の深部) から百会にかけて、伏衝脈に流れがあるか診る。流れがないので、もう少しベッドで休んでいてもらう。 >> 比較のため、この時点で脈診すると左右とも浮脈だった。

②10分後、再度、伏衝脈の流れを診る。流れているので治療開始。 >> 準備ができているか否かが、体表にあらわれる全ての診察を支配する。ベッドに寝た瞬間に「準備OK」の場合もあるし、10分以上休ませないとOKにならない場合もある。体が「準備中」の場合、脈・穴処の反応・気色などが出揃わず、誤った反応を示す可能性がある。子供は休ませなくても伏衝脈が通じているので多くは問題ない。しかし大人は通じていないので、ベッドに寝てすぐに治療を行わず、少し休ませてから治療にはいるべきである。

③天突 >> 表証の有無。・膻中 >> 邪の有無。邪が表現されているか。・神闕 >> 心神不寧の有無。また虚実を診る。の反応を診る。表証なし。邪は表現されている。心神の問題なし。実ではない。

白毫に虚の反応>> 白毫に力がないのは逆。悪化直前の可能性。

脈診

「悪化直前の脈」とは。

①指を軽く触れて浮位を診る。左のみ脈管の中心があり、左浮脈。
②そのまま按じないで中位を診る。中位に脈管の中心はない。
③そのまま按じないで沈位を診る。右のみ脈管の中心があり、右沈脈。
④そのまま按じないで男脈・女脈を診る。左右とも男脈。
⑤そのまま按じないで脈幅を診る。左右とも幅なし。
>> ①から④の条件で逆と判断でき、悪化直前の可能性がある。左右どちらかが沈脈で、もう一方が浮脈。深浅を支配する少陽が極度に働いていない。しかも男女脈が性別と反対の男脈となっている。平脈なら女脈のはずで、この男脈は平脈になれない決定的要素となる。
>> ③は、「準備中」に見た脈は浮脈だった。もし、そのまま治療していれば悪化直前を見逃し、悪化を食い止められないところだった。

すべて「三脈同時診法」を会得した上で知ることのできる脈である。

切経

不容・大巨・章門・少腹などすべての腹診所見、また背部兪穴すべての背候診所見、これらすべてに、左右とも邪が表現されている。 >> 逆と判断できる。悪化直前の可能性。ちなみに四肢の穴処は邪が表現されるとは限らない「通常の反応」を示す。

診断

悪化直前と診断。

脈診が決め手とはなるが、白毫や切経の反応もそれを後押しする。 >> 乳幼児は脈を見せてくれない。また以前、左右ともに反関の脈で脈診が困難な患者さんに出会ったことがある。この経験から、脈を診なくても、他の診察で脈の状態で推定できるようにトレーニングしている。

患者には24時間は気の張ること (緊張したり興奮したりすること) を避けるよう指導。後回しにできることは、24時間経過以降に回すよう促す。これらを守れないと悪化を食い止められないことがあり、守れれば悪化せずにやり過ごすことが出来る旨を伝える。

治療

神闕周囲に腹部打診術。真鍮製の鍼を用いる。相曳の鍼を、水分・左肓兪・陰交・右肓兪の順に行う。この間、数十秒。

腹部打鍼術

効果

脈は左右とも中位の女脈となる。脈幅ができる。白毫が浮く。神闕の反応消失。腹部の邪はすべて消失。

結果

3日後来院。特に変わったことはなかった、とのこと。

>> ちなみにこの治療は、悪化直前を未然に防ぐ意図があるので、悪化しない状態に回復させるために治療効果を使い果たし、目に見える治療効果は出ない旨を患者さんに伝える。治療してもらったのに、何も変わらないと不満を起こされると困るからだ。
ではあるが、この治療 (神闕の打鍼) で悪化どころか著効を得ることもある。初診や久しぶりの最新の場合が多い印象である。理由はよくわからない。

考察

悪化した例

悪化直前と診断して、悪化した例はほとんどないが、若干はある。たとえば発熱 (カゼ) だ。24時間注意すべきことを患者が無視すると、発症する場合がある。そういう時に、やはりこの診断は正しいという確認ができる。20年間に経験したのは以下の3つである。

▶3歳児の発熱
たとえばこういうことがあった。3才くらいの幼児が体調管理のために来院、診ると悪化直前だ。「熱が出るかもしれないので、そうならないように治療しておきます。明日のこの時間まで気を張ることがないように注意してください。」とお母さんに伝え、治療して家に帰した。その夜、たまたま夫婦げんかをしてしまい、幼児はお父さんとお母さんの間を行ったり来たりしていたという。すると翌朝高熱を発した。インフルエンザだったらしい。

▶80代男性の出血
恐ろしいことがあった。80代のおじいちゃんで、連れ合いを亡くされ、四十九日の法要まで一人で切り盛りされ、体調を崩して来院。悪化直前と診断し、「悪化の直前です。大丈夫にしておきますが、念のために明日のこの時間まではゆっくりするように」と指導したが、「明日は病院で精密検査を受けることになっている。俺は男だから受けてくる。」とおっしゃり、後日に伸ばした方がよいという僕の指導を聞かなかった。それでも、悪化を食い止める神闕の処置を丹念に行い、何事もないことを願いつつ検査に送り出した。

翌々日、来院されると、体調が良くないのは当然のことながら、下腿をみて驚いた。膝から足先までの全部位 (左右とも) が、真っ赤に内出血で染まっているのである。網目状の内出血である。伺うと、「今朝、起きたらこうなっていた」とのこと。昨日が検査で、その翌朝のことである。

もし、この内出血が下腿ではなく、脳で起こっていたら…。高齢を考えると、ない話ではない。もし、あの神闕の打鍼をしていなければ…。もし当院に来院せずに検査を受けに行っておられたら…。もし、悪化直前を見逃していたら…。寒気がした経験である。

▶79歳男性の発熱 (新型コロナウイルス)
その他、24時間以内に新型コロナウイルス感染症で38℃の発熱をみた症例を、「気にしすぎ、上等」と題してまとめたものを挙げておく。

気にしすぎ、上等。
医療に関わる者として、大切な要素に「気にする」ということが挙げられる。普通の人が気にも止めないことを、真剣にに考える。だからこそ、見えない世界が見えてくるのである。悪化直前を見抜けるか。臨床の一例を挙げて考察する。

▶その他の悪化前の徴候
もちろん、この脈 (あるいは白毫) だけが悪化直前を示すのではない。直前でない広義の「悪化前」を含めると、思いつくだけでも6つほど他の徴候がある。これらは脈ではなく、切経や望診で診る。すべてぼく独自のやりかたである。
天突
印堂
期門
・左胃倉
・太谿
・舌神 (眼神)
治未病」とは簡単なものではなく、安易にこの言葉を使うことにためらいがある。

僕の臨床では、患者さんが望む望まぬに関わらず、これらアンテナの感度を最大にまで高めて、すべての患者さんにこれらの診察を行う。ものすごい集中力である。人はいつ死ぬかわからないし、いつ悪化するかわからないのだ。
そしてその後、あらためて今日訴える症状に向き合うのである。

準備OKのサイン

こういう診断を的確にするために、非常に重要なことがある。体が「準備中」なのか「準備OK」なのかを見極める診断力である。準備中に診察してしまうと、危うい状態を見逃してしまうからだ。また、危うくもないのに危ういと見誤ることもある。

「準備OK」を見極める診断力があれば、体が示そうとする反応を、いつでも正しく読み取ることができる。これは治療効果にも直結する。

日々、研鑽精進あるのみである。

悪化直前は証明できない

東洋医学には「治未病」という言葉がある。
いまだ病まざるを治す。
まだ悪化していないものを治すことである。

本ページの内容は、この理念に沿って臨床を行った結果である。

「治未病」って何だろう
東洋医学には「治未病」…未病を治す…という言葉がある。出典は《黄帝内経》である。それによれば、已病(すでに病気になったもの)を治すのではなく、未病(まだ病気になっていないもの)を発病する前に治すことである…とされる。

上のリンクでは、治未病がいかに難しいものであるかを虫垂炎を例に説明した。

悪化直前を証明するためには、2つの結果 (治療をするかしないか) を比較する必要がある。

結果は一つしかない状況下では至難の業と言える。

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