大脈を細脈と見る

86歳の女性。

初診は18年前。現在は健康維持のために2週間に1回治療している。
症状は特にない。ごはんもおいしい。

脈を診ると、全体として非常に太い。これは中医診断学の分類で言えば「大脈」に相当する。

また、脈管が分厚くて硬く潤いがなく胃の気に乏しい。これは、北辰会でいうところの第一脈に近い弦急脈。よくない脈だ。脈は健康であれば、しなやかで柔らかく、適度な張りとつやがある。ゴツゴツしていたり、ヘナヘナしている脈ではない。弦急脈とはゴツゴツした脈のことである。

大主諸実.《医学実在易》
脈大為労.《金匱要略》

大脈は諸々の実を示す。また諸々の虚をしめす。大脈には有力と無力のものがある。

以上が、一般的な見方である。

僕は、こういう見方もするが、もっと大切にしている見方がある。
上下に拍動する波動を意図的に打ち消し、前に進む推進力を感じ取る。血管内の血液は、拍 (う) っているのではない。流れているのだ。
こういう見方をすると、自然と見えてくるものがある。
まず、脈の浮沈だ。

脈診はそもそも非常に難しく、按圧の加減でいろんな脈状に変化する。浮位・中位・沈位で脈状は違った見え方をする場合がある。
どの程度の按圧で見るかは、その治療機会ごとに違う。

按圧の加減を決定したうえで、脈状を決定している。これも拍動をできるだけ無視し、推進力を見るようにしている。

すると、普通に診たとき (上下の拍動のみを診たとき) とはまったく違う脈状が見えてくる。

▶脈診
沈細

▶腹診
・邪を表現できていない。扶正すべき状態。
・左天枢に正気に乏しい反応。気虚を示すか。脈診の細脈と合わせ、決して体調は良好ではない。ただし、脈で細・左天枢の反応 の組み合わせでは体力の弱りを自覚できない。経験的にだが、そういう法則があると考えている。
・左右の章門の絶対量に差がない。左右の境界としての少陽が機能していない。
・空間は左上。

▶治療
正気を補いながら、少陽を動かす、しかも左上に位置する穴処。左滑肉門を探ってみると生きた反応がある。
左滑肉門に00番の極細鍼で2ミリ刺入。2分置鍼後、抜鍼。鍼の穴を按じる補法の手技。

刺入直後に脈を診ると、すでに和緩の脈に変わっていた。抜鍼後20分休憩してもらい、治療を終える。

▶考察
お年寄りで、体の活気のなさに似つかわぬ、太くて堅く激しい脈 (大脈) は比較的よく見かける。初心のころは、これがなかなか小さくし緩めることができなかったことを思い出す。そもそもこういう脈を打つのは、生命力が無くなりつつある状態をしめすのである。さきほど言うように、大脈は実を示す場合もあり、虚を示す場合もあるのである。

求心力がなくなると地球も宇宙も崩壊するというが、生命もそうだ。脈の中心部に生き生きとしたしなやかさがなく、脈の外が硬く、全体として脈が大きくなる。求心力を失い、外に外にエネルギーが放散する姿である。表面的に本人は元気と感じる。

だから難しくて当然である。人は年を取ると必ず死ぬからである。いずれ寿命が来るのはしかたのないことだが、今、この患者さんがたたえておられる、にこやかで柔和な表情を、脈にも演出したい。にこやかで柔和な脈。それがより一層の健康と長生きにつながり、最期の時まで柔和な笑顔でおられるための一助になると信じるからである。

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