主訴
60代。女性
3年前から息がハアハアいう。動悸がする。胸がしんどい。細い声しか出ない。目が疲れる。
2か月前から左後頭部に殴られるような発作痛。
1か月前から右目の奥にドスンとくる発作痛。
≫殴られるような頭痛は脳梗塞の前駆症状である可能性がある。
事業所に勤めているが、開設者の信任が厚く、現在、その事業所のNo.2。開設者であるNo.1は高齢で、いつ自分にバトンタッチされてもおかしくない状態。事業は拡大しつつあり、責任者としての重圧と業務、体力のなさに不安を感じる。特にここ最近は発作的な激痛が頭部にあり、たおれるのではないかという恐怖がある。
その他の症状
舌に赤みが乏しい。特に舌裏の血色が弱い。
目にモヤがかかって見にくい。両目とも同等。
胸やけ。食後の眠さ・だるさ。
週末は読書に興じて深夜まで起きていることがある。
湯船は5分。夏はシャワー。のぼせやすいので。
初潮から閉経までの間、ずっと貧血だった。
以下に初診から22診までの治療記録を簡潔に記す。なお鍼治療で用いる穴処は、一回の治療につき一穴のみである。
初診 (20✕✕年7月)
座位にて肩背部に触れると、まるで鉄板のように硬い。
鳩尾に邪。腹診ではその他の部位に邪がない。≫もっぱら正気を補うべき状態。原気に関わる穴処に反応がある可能性。章門に左右差なし。≫原気に関わる穴処のうちでも、四霊に反応がある可能性。
左脾兪と左胆兪の間に虚の反応。手掌で触れると吸われるような感覚がある。≫脾虚が激しく、肝血や肝気にまで虚の影響が及んでいることを示唆するか。
左太衝・左行間・左太白・左太淵・左合谷・右督兪一行・右膈関・右肝兪一行と右胆兪一行間に、それぞれ実の反応。≫肝鬱気滞・気滞化火・痰湿の存在を示唆する。
脈は沈・細・無力。
左天枢に3番鍼にて補法。抜鍼後、15分休憩させる。
肩背部を再度触診すると、鉄板のようだった肩が柔らかくなっている。この状態が続けば、殴られたような痛みは遠のくであろうことを説明し、治療を終える。
2診 (3日後)
殴られたような痛みは出ていない。
胸の苦さがあり、もたれたり横になったりするとましになる。
軽い左後頭部痛。
ため息とともに嘆声が漏れる。
初診治療直後に変化した肩背部の柔らかさは持続している。
鳩尾・両不容・中脘に邪。≫中脘に邪を表現しているということは、瀉法が必要。
梁門には邪がない。≫胃土の邪が小さいことが分かる。疏泄太過がある。つまり、少し楽になると無理してしまうということ。
脈幅がない。≫瀉法ができない。瀉法が必要なのにできないときは奇経を使う。
百会に5番鍼で20分間置鍼。補法。抜鍼時、穴処より出血。量は流れる程度。≫本来は鍼で出血することはないが、まれに出血することがある。こういう場合は出たがっている血であり、内出血を起こすこともない。このような出血は、後がスッキリすることが多い。
小指を大けがしてその後の経過が悪く、紫色になり痛みがあるものに鍼をして50cmほど血が噴水のように噴き出した経験がある。絞り出すような行為は全くしていないにも関わらす、血は飛び散って筆者の膝にかかった。それを機に小指は美しい色になり、痛みも急激に消失した。
3診 (2日後)
頭痛・眼痛なし。
両目ともモヤなし。
ため息がつきたくなるような胸の苦しさ。
百会。補法。5番。置鍼6分。
毎日、ウォーキングを10分間するよう指導。
4診~11診
ここまで、週に3回のペースで治療を継続。症状は徐々に落ち着いてきている。
声に張りが出てきた。歩き方に力が出てきた。
この間でウォーキングを20分に増やす。
この期間、用いた穴処
・百会 (6回:8番鍼6回・5番鍼2回)
・神闕 (打鍼:1回)
・左天枢 (1回)
12診
舌に力のある赤みが出てきた。
胸の苦しさなし。声が出しにくいしんどさなし。
神闕。打鍼。好転した症状を悪化させない目的。
13診~21診
この間、上司の入院などもあり、特に忙しかったが何とか持っている。
時々胸やけ、食後のだるさなどを訴える。
胸の苦しさなし。言葉が出しにくいしんどさなし。
この間でウォーキングを30分に増やす。
用いた穴処は百会のみ。9回の治療機会のうち、8回は8番鍼を使い、1回は5番鍼。
22診
中部地方まで研修に。1泊2日。こなせた。
「初診の頃の体調だったら、そもそも行ってないです。」とのこと。
舌の赤みは持続している。
百会。補法。5番。置鍼2分。
ここまで、鉄板のような肩の硬さは初診以来、再発することはなかった。
また、殴られたような頭や目の激痛も初診以来、見られることはなかった。
動悸・息切れ・無力感などは10診前後で消失して以来、再発なし。
その後も治療とウォーキング30分を継続中。
考察
気虚と疏泄太過
小さい声でしかしゃべれない・動悸・息切れはすべて気虚と言われる病態である。
気虚証 をご参考に。
また、少し体力があれば、仕事に趣味にとすべて使い果たしてしまうという特徴もあり、これは疏泄太過である。
疏泄太過って何だろう をご参考に。
本症例は気虚と疏泄太過の混在する病態である。初診は 気虚>疏泄太過 であったが、2診以降は 疏泄太過>気虚 が主となった。百会の処置は疏泄太過に対する治療穴、天枢・神闕は気虚に対する治療穴との位置づけである。
本症例で、百会の処置はほとんどが8番の太い鍼を用いており、補法も行ったが、平補平瀉も行う機会が多かった。それでも一度も気虚をひどくすることなく、体力は着実についてきている。
これだけハッキリとした気虚がある人に百会の8番で穴処をふさがない手技というのはかなり勇気がいるが、改善の方向に急展開したのは、病態把握が確かであったからだろう。薄氷を踏むような繊細さで臨み、ときに虎の尾をつかむような大胆さが、治療には求められる。
病因病理を詳しく考察すると、まず、10代のころからの貧血にさかのぼらなければならない。禀賦不足である。素体として下焦が弱く、上焦に気が偏旺し疏泄太過を起こしたり、上焦に気が停滞して疏泄不及 (気虚・気滞) を起こしたりしている可能性が高い。
その結果、疏泄太過によって水面下で脾虚が進行したり、気滞肝鬱から脾虚を起こしたりしながら、気虚・血虚を形成していったと考えられる。
その後の人生で様々なストレスに直面するなかで、通常なら消化できるストレスが上焦の気滞のために疏泄できず、あるいは脾虚のためにストレスを消化できず、さらなる肝鬱を惹起し、初診時に至ったと考えられる。
一本鍼と肩こり
ちなみにではあるが、初診の天枢一穴で肩の緊張が一気に取れたことについて。26歳 (平成7年) で開業して以来、局所の鍼を一切使わない少数鍼で一貫して治療している。
また、21歳から32歳まで同時進行で鍼灸整骨院に勤めていて、ここではその治療院の方針に従って全身に鍼をし、特につらい箇所に局所の鍼をしていた。吹田の米山義先生を尊敬していて、局所の鍼も熱心に研究していた。
このように2つの流儀で治療にあたるなか、一本鍼が身についてくるに従い、局所鍼よりもよく効かせられるようになった。
本症例のように広範囲にわたる筋緊張が遠隔の一穴処で瞬時に取れることは珍しいことではない。一本鍼をもっぱらとするようになった理由の一つでもある。