東洋医学には「未病を治す」という言葉がある。病気の予防のことである。
これができるものは名医であるとされる。
名医とは何だろう。
名医とは、暗殺者 (アサシン) である。その仕事は痕跡すら残さず、歴史の闇に葬り去られる。
ヤブ医者とは、英雄 (ナポレオン) である。その凱歌は誰もが知り、歴史に燦然として輝く。
詳しく説明する。
▶症例
まずは、いっしょに考えたい症例がある。これから見ていきたい。
40代。男性。2021年6月初診。
直線距離で100km以上離れた遠方からの来院で、今日が初診である。
▶症状
【主訴】
右下腹部を押さえると痛い。10日前からであり、とても気になる。主訴にしては微妙、かつ治しにくそうである。炎症があるのか?
「これ、痛い? 」
「はい。」
ちょうど、マックバーネー点 (臍と上前腸骨棘を結ぶ線を3等分した外側の点) である。ここに圧痛 (押さえたときの痛み) があるときは、虫垂炎を疑う必要がある。ただし、腹痛はまったくない。押さえると痛いのみ (激痛ではない) である。
念の為、ブルンベルグ徴候を見るが反応なし。これを診る限りでは腹膜への炎症の波及はないことが推察できる。
「ここの押さえたときの痛みは、虫垂炎のときに出やすい場所なんですよ。腹痛がないので現段階ではそれとは言えませんが、念のため注意しておいてください。」
【その他の症状】
乾癬 (皮膚炎) がある。下肢が中心。皮膚が分厚くなり、鱗のように剥がれかけている。それがシーツにボロボロと落ちるレベルである。かなりひどいが、これでもましになったらしい。
【既往歴】
小学生のときから下肢を掻くとジュクジュクした汁が出た。
30代でイボ痔ができ、痛みがあったため手術。
1年前 (7月) から下肢を中心に皮膚炎 (乾癬) がひどく、一時は足底がひび割れて立てなくなり、1ヶ月間寝込んだ。
いまは歩ける状態までに回復している。
【所見】
脈幅は少ない
左右陽池・左右衝陽・左行間:実
右神門・右血海・左心兪:虚
体をさわると非常に冷たい。特に下肢。
ガタイが非常にいい。
【その他】
夜食としてカップ麺。
「この、皮膚の冷たさが問題ですね。寒くもないこの時期に、こんなに冷たいというのがまずおかしい。これが温まるだけで、いろんな症状がマシになると思います。ちょっと触ってみてください。」
「ほんとですね。すごく冷たいです。」
「自分で温めようとしたらあきませんよ。よけいに痒くなるから。 自然に温まることが大切です。これからそうやっていきますね。」
▶病因病理
この冷たさは「表証」によるものである。表証+寒証を「表寒」というが、本症例はこれに該当する。簡単に言うと、カゼみたいなものだ。熱もないし喉も鼻もなんともなくても、東洋医学では「表寒」と診断することがある。当該患者はそれにあたる。僕はこれを望診で診断する。
表寒で、皮膚の表面が寒邪によってコーティングされると、中の熱が逃げられなくなる。魔法瓶と同じである。魔法瓶は表面が冷たく中が熱く、冷めにくい。ペットボトルにいれたお湯ならすぐに冷めるが、表面が温かい。熱が伝導しているからである。
当該患者が苦しむ皮膚炎は、この「逃げられない熱」によるものである。これは「裏証」に属する。裏証+熱証なので「裏熱」という。
アトピー性皮膚炎…東洋医学から見た4つの原因と治療法 をご参考に。
右下腹部の不可解な圧痛も、この「熱」が原因である。これも裏熱である。
▶治療
右外関に2番鍼で2mm刺鍼。5分置鍼後、10分休憩してもらう。
「よし、これでいい。足をちょっと触ってみてください。」
「ああ、ほんとですね。すごく温かくなってます。」
「この状態が続けば、熱は外にスムーズに逃げていくと思います。お腹の痛みも、変な痛みなので気をつけてくださいね。養生に気をつけるべきだと思います。」
養生として、過度の冷飲をひかえる。長時間の画面凝視をひかえる。夜食をひかえる… などの指導を与えた。
▶経過
それから2週間後、再び来院。
足を見ると、スネから下全体が肥厚していた皮膚が薄くなり、非常に寛解している。シーツに皮膚が落ちることはなくなっている。ただし、かわりに手の方 (拇指球と小指球) に若干の皮膚炎が出ている。熱は上に昇るのが順である。これでいい。
スネを触ってみると、温かい! ここが大切な部分だ。望診で表寒の所見は見られない。
押さえると痛かった右下腹部は…。
「お腹は治療の翌朝から、全く痛まなくなりました。」
… 10日続いた痛みが、鍼をしてから半日で治まり、それから2週間ずっと痛みがなかったということだ。
「よかったですね。でもウイークポイントは “そこ” にあると見ておくことです。また “そこ” に出るようなことがあれば事が大きくなる可能性があるので、炎症をおこさないように、引き続き生活習慣に気をつけてください。」
遠方でもあり仕事もあるので、継続して施術できる環境下ではない。通院はこの2回で途絶えた。
▶その5ヶ月後、虫垂炎を発症
それから5ヶ月を経過した11月、朝からメール (現在は受け付けていない) が届いた。昨夜、深夜2時頃から腹痛が始まり、それから朝まで眠れなかったというのだ。
虫垂炎が頭をよぎる。炎症を起こしている可能性があるので、すぐに病院で診てもらい、もし応急処置が必要ならおまかせすべきである…という旨を伝えた。病院で検査してもらうと、はたして虫垂炎だった。すぐに手術となった。
11月の急な気温の低下により、表寒が復活した可能性がある。それによって裏熱が内鬱し、右下腹部のウイークポイントに出た。
▶「未病を治す」とは
▶出典は《黄帝内経》
「治未病」…未病を治す… の出典は《黄帝内経》である。
黄帝内経は《素問》と《霊枢》とから成るが、どちらにもこの言葉が出てくる。また、最も古い経典の一つである《難経》にも登場する。
聖人不治已病.治未病.不治已亂.治未亂.此之謂也.
夫病已成而後藥之.亂已成而後治之.譬猶渇而穿井.鬪而鑄錐.不亦晩乎.
《素問・四氣調神大論02》
【訳】
聖人は「すでに病気になった」ものを治すのではなく、「まだ病気になっていない」うちに治すのである。「すでに戦乱が起こった」ものを治めるのではなく、「まだ戦乱が起こっていない」うちに治めるのである…とはこのことである。
病がすでに発症し、その後に薬を与える。戦乱がすでに勃発し、その後に政治を見直す。これをたとえるならば、のどが渇いてから井戸を掘り、戦闘が始まってから武器を鋳造する…ということと同じだ。なんと遅きに過ぎるではないか。
經言.上工治未病.中工治已病者.何謂也.
《難経・七十七難》
【訳】
経典に、名医は「まだ病を発症していないもの」を治し、凡医は「すでに病を発症したもの」を治す… とあるが、どういう意味か。
▶未病 (みびょう) とは
未病とは、未 (いま) だ病まざるもの、つまり「まだ」病気になっていないものである。
そういう段階で治療して治してしまう。それが「未病を治す」である。つまり予防である。
これが《素問・四氣調神大論02》で述べている内容である。一般的な理解だけを知りたいならば、この意味を知っておけは十分だ。
▶未病と已病
しかし、それだけでは面白くない。もう少し踏み込んでみよう。
「未病を治す」と対応する言葉として、「已病を治さず」が見られる。
未病とは、未 (いま) だ病まざるもの、つまり「まだ」病気になっていないもの。
已病とは、已 (すで) に病みたるもの、つまり「もう」病気になってしまったもの。
《素問・四氣調神大論02》では、「已病を治さず」… もう病気になってしまったのは治療しない… という。しかし、はたしてそれでいいのか? すでに病気になってしまったものを治療せざるを得ないのが実情ではないだろうか。患者さんは苦しみが起こってから頼ってくるものである。
その答えはちゃんと用意されていた。
そもそも東洋医学は陰陽である。「未」と「已」も、また陰陽である。
陰陽とは、一枚の紙の裏 (陰) と表 (陽) のようなものである。2つで1つ、一方があって初めてもう一方が存在し、一方を理解して初めてもう一方を理解できるのである。
よって、「已病」を理解することが「未病」を真に理解するためには必要だ。
《霊枢・逆順55》を紐解くと、かなり深い内容に踏み込んでいる。ここには「未病」「已病」だけでなく、「未生」「未盛」「已衰」という言葉が出ており、未病から已病までの発展の変遷が詳しく描かれている。それだけでなく、「未病を治す」の位置づけを、予防にとどまらず「已に病みたるもの」を効率的に治癒に導くための方法として意味を広げている。
「未病を治す」には、もう一つの意味があるのだ。
以下に《霊枢・逆順55》を読み解き、さらなる奥深い世界を探求してみよう。
▶《霊枢・逆順》における治未病
上段の症例から、学びがあった。 “已衰” の解釈である。
名医が治すとされる “已衰” とは?
黄帝曰.候其可刺奈何.
伯高曰.
上工刺其未生者也.
其次刺其未盛者也.
其次刺其已衰者也.
下工刺 ①其方襲者也.②與其形之盛者也.③與其病之與脉相逆者也.
故曰.方其盛也.勿敢毀傷.刺其已衰.事必大昌.
故曰.上工治未病.不治已病.
此之謂也.
《霊枢・逆順55》
「刺」… 朿トゲ+刂カタナ。本質 (深い部分) をピンポイントで突く、鋭利かつ小さいアクション。刺客。風刺。そのアイテムが鍼。
【訳】
黄帝いわく、鍼をいかに刺す (いかに病をしとめる) べきか、何をもって判断したらよかろうか。
伯高いわく。
名医はまず、まだ病が生じないうちに、刺す (布石の一手を打つ) のです。
次に、まだ病が進行しないうちに、刺す (邪気の芽をつみとる) のです。
その次に、「已衰」(弱点) を見極めて、刺す(すきを見て急所を突く) のです。
庸医 (ヤブ医者) は、
①いままさに襲来せんとする勢いのあるものを、
②形体が完成し「盛ん」となったもの (已病) を、
③そのように病勢は強く、しかし脈力は弱く、両者が釣り合わないものを、
「刺す」のです。
ゆえにいわく、「勢いづいたものを敢えて仕留めようとしてはならない。たとえ勢いがあっても「已衰」(弱点) がどこにあるかを見極めて刺すならば、少し突けば簡単に崩れ去るので、必ずうまく行くであろう。」
ゆえにいわく、「上工は未病を治し、已病を治さず。」
そういうことなのである。
已衰=弱点 と解釈した。どういうことだろうか。これは臨床から得たものであり、上段に示した臨床例を参照することでのみ、理解できる。例えがないと理解し難いのだ。
以下に説明する。
▶未病のもう一つの意味
「已病」とは、すでに病気になってしまったものであり、これは病勢が激しい「大病」である。達人はこれを相手にせず「已衰」を狙う。「已衰」と「已病」は対象的で、この2つは陰陽関係にある。
本症例では、已病 (乾癬) に真っ向から勝負せず、已衰 (乾癬が隠し持った弱点) 、すなわち表寒を狙った。それは「まだカゼという自覚がない」くらい衰微なものであった。そこを突くのはたやすい。大木になってから伐採するのではなく、まだ小さな芽のうちにつみとるようなたやすさである。その意味において、已衰を狙うことは、未病を狙うことに等しい。つまり、「已衰」とは「未病」の範疇なのである。
未病… 未生・未盛・已衰
未病には、大病のもつ「弱い側面」を、弱いうちにつみとるという意味がある。それを《霊枢・逆順55》は提示している。
ただし、その「弱い側面」を見つけ出すのが至難の業なのだ。その難しさは、「未病」を見つけるそれと何も変わらない。桶狭間に陣を張った今川の大軍の中から、義元一人を見つけ出す難しさである。
▶まとめ
▶1つ目の治未病
虫垂炎のような急性腹症は、昔は命の危険があった。しかし迅速に対応しさえすれば、今は手術療法で安全に除去できるようになった。とはいえ、そこまでの悪化は誰も望まない。
そうなるにいたる前段階で防ぐ。
1つ目の「治未病」である。
▶2つ目の治未病
本症例では、「勢い」があったのは裏熱である。大きく強いお相撲さんである。それが、立つことさえできない「乾癬」として現れ、その乾癬がやや小康状態になるかと見せかけて、密かにマックバーネー点に不穏な圧痛として現れ時期をうかがっていた。立ち会いの所作は静かだが、ぶちかまそうという形相が見て取れる。
しかし、その強いお相撲さんにも弱点はある。大きい分だけ重心が高いのだ。この弱点を「刺す」のである。小兵力士であっても、立ち会い鋭く先手を取る。素早く懐に潜り込み、相手に力を出させることなく、小股をすくって勝利する。本症例では表寒がこの病の「弱点」であった。弱い表寒を狙うことで、強い裏熱をたおすのである。もちろん弱点は克服できるので、そうなる前に倒してしまうのである。
弱点があるうちにそこを突く。
2つ目の「治未病」である。
▶誰も気づかない
この症例に、「未 (いま) だ病まざるを治す」としての働きがあったであろうことは、「5ヶ月後の事実」つまり、虫垂炎の発症によって気づくことになる。初診時、いとも簡単に仕留めた裏熱は、実は横綱級だった。
しかし「5ヶ月後の事実」がもしなかったならば、どうだろう。誰も気づかない。
「治未病」ができているかできていないかを、事実として確認する機会は皆無に等しい。当該患者を継続して治療できる環境下であったならば、気づくことは確実になかったであろう。
そして、乾癬を治すために表寒を「刺した」ことも、気づくものは誰もいまい。
これは「刺客」が、いつ何をしたかを誰も知ることができないのと同じである。刺された側でさえ何をされたか気づかない。
暗殺者 (アサシン) 、一瞬の「刺」。
それを仕留めたことは、誰も気づかない。