奇恒之府 (きこうのふ) とは謎の多い概念です。
奇恒之府は袋?
袋は球形
腦・髓・骨・脈・胆・子宮の6つを奇恒之府というのだ、と素問・五臓別論にあります。
この6つに整合性はあるのでしょうか?
五臓には実質臓器的 (球形) な意味があり、六腑には管腔臓器的 (ドーナツ形) な意味があります。それぞれ同じ性質でグループ分けされています。
五臓六腑って何だろう をご参考に。
奇恒之府にもそういう共通点があるはずです。ぼくはそれが袋状のものではないかと仮説を立てました。球形の上下に貫く穴があると、ドーナツ形 (チューブ) になります。球形の穴が貫徹しなければ袋状になります。しかも袋状は、図形を単純化したときに、球形かドーナツ形かどちらかに分類するならば球形です。
位相幾何学をご参考に。
袋状は球形につながるのです。「奇恒之府は袋である」という仮説が合っているならば、素問・五臓別論にある「地氣之所生也」と意味が通じます。
脳も髄も袋
ただし、脳や髄は袋とは言えません。五臓別論ではどういう意味で脳や髄という言葉を用いているのか。字源をさかのぼってみることにします。
袋と内容物を分けない
このような記載を見ていくと、古人は、外の袋と中の内容物を、あまり明確に区別しないで表現している可能性が高いです。つまり、脳と言えば頭蓋骨と脳みそのことを、髄と言えば脊椎と脊髄のことを、一体のものとして表現しているということです。
骨については中に骨髄がありますので、袋状になっていることが分かります。
脈管も中に血が入っていますので、袋状になっていることが分かります。
子宮も中に血が入っていますので、袋状になっていることが分かります。
胆も中に胆汁が入っていますので、袋状になっていることが分かります。
これらについても、
・骨 (袋) と骨髄 (内容物)
・脈管 (袋) と血 (内容物)
・子宮 (袋) と血 (内容物)
・胆 (袋)と胆汁 (内容物)
を一体のものとして表現していると考えられます。
奇恒之府とは、袋と内容物が一体のものを指すと考えられます。
伝化之府とは、入り口と出口があるチューブ (底が抜けた袋) です。
袋は地気から生じる
これらを踏まえ、あらためて五臓別論を見ていきます。
素問・五臓別論
黄帝問曰.
余聞方士、或以腦髓爲藏.或以腸胃爲藏.或以爲府.敢問更相反.皆自謂是.不知其道.願聞其説.
岐伯對曰.
腦髓骨脉膽女子胞.此六者.地氣之所生也.皆藏於陰而象於地.故藏而不寫.名曰奇恒之府.
夫胃大腸小腸三焦膀胱. 此五者.天氣之所生也. 其氣象天.故寫而不藏.此受五藏濁氣.名曰傳化之府.
魄門亦爲五藏使.水穀不得久藏.所謂.
五藏者.藏精氣而不寫也.故滿而不能實.
六府者.傳化物而不藏. 故實而不能滿也.<素問・五藏別論 11>
【訳 (私見) 】
黄帝が質問して言うには
「脳・髄を臓 (実質臓器) とするのか、あるいは腸・胃を臓とするのか、
あるいはこれらを腑 (管腔臓器) とするのか、
この問いに答えがみなまちまちである。正確なところを教えてくれないか。」
岐伯が答えて言うには、
「脳・髄・骨・脈・胆・子宮、この6つは地気が生むところのものです。みな陰 (精血) を蔵し、地によく似ています。これを『奇恒之府』と呼びます。
胃・大腸・小腸・三焦・膀胱は、天気が生むところのものです。みな空を蔵し、つまりは気そのものであり、天 (中空=管腔臓器) によく似ています。故に瀉して蔵さず、五臓 (地球のコア) から出た濁気を受け容れ、それを外に排出します。だからこれを『伝化之府』と呼びます。魄門 (肛門) も伝化之府と同じく五臓の使いとして濁気を外に出します。飲食物は久蔵できません。
いわゆる、五臓は精気を蔵してもらしません。だから精気が充満していて、飲食物は入りません。
六腑は、飲食物を伝えて蔵しません。だから飲食物が入って、精気は充満していません。」
天地の誕生
地気から奇恒之府は生まれ、天気から伝化之府は生まれた、と言っています。
地気と天気とは、天地 (大気圏 + 地球) のことです。
同時に、これは受精卵のことです。受精卵は父と母の先天が合体して生まれたもので、腎のことです。それが着床して、臍の緒から後天 (飲食物の栄養) を得る。脾のことです。ここで初めて生命が誕生したと言ってもいいでしょう。
これが天地です。
当然、この時点で五臓が機能し始めます。五臓とは「精気」を蔵するところのものです。
地気とは封蔵 (精血) のことであり、そこから奇恒之府は生まれた。
天気とは拡大 (気) のことであり、そこから伝化之府は生まれた。
地ができて、はじめて天ができる。地球がなかった頃は天空などありませんでした。天翔る (アマカケル) 風 (気の流れ) は地が生んだものなのです。
つまり五臓から、奇恒之府と伝化之府は生まれた。
まずコアがあります。コアとは、地球のコア・受精卵の核のことです。
コア (五臓) が誕生し、コアを入れる袋 (地表・細胞膜) ができ、そして天空が生まれた。その天空は、着床とともに、球に穴が空いて袋となり、貫通してドーナツとなって、そこを流通する。五臓から奇恒之府と伝化之府が生まれたことが分かるでしょうか。
高校の生物でやった、原口から原腸の形成過程をイメージしてください。
空間の誕生
着床の瞬間、前後 (空間) が誕生することにお気づきでしょうか?
臍は前を決定します。着床した部分がヘソになり、前が決定するのです。そしてこれは先天 (受精卵) が後天 (脾=母体から得られる栄養分) と出会う瞬間でもあります。
前 (任脈) ができて後 (督脈) ができる。前後の境界 (衝脈) もできる。
上下は腸管が作ります。口と肛門です。上下が確定することによって、任脈・督脈・衝脈が線として機能し始める。
上図の黄色の点のどこが口になってもおかしくありません。そのどれかに穴が空き、貫通して腸管が生じます。
受精卵の地気とは求心力 (封蔵) であり、先天です。奇恒之府は「藏而不寫」で「地気」から生じた、という理由が分かります。
受精卵の天気とは遠心力 (拡大) であり、後天です。チューブの外側も内側も「天気」が支配します。つまり「天気」から伝化之府…すなわち胃・大腸・小腸・三焦・膀胱というチューブの内側が生まれるということです。また、これら (胃・大腸・小腸・三焦・膀胱 ) すべてに脾 (後天) が強く関与する理由がよく分かります。
そして、
それら封蔵と流通を、中核から支配するものが五臓である。
五臓別論は、それを説明しているという解釈ができます。
袋の中身は五臓
空間を形成するもの
もう少し深く読んでみましょう。
そもそも地気・天気を、大気圏を含む地球と見たとき、これはもうすでに、空間論に入っています。空間論と奇経八脈※1、また空間論と三陽経※2は、切っても切れない関係にあります。これらと奇恒之府はどう関わっているのでしょうか。中医学では、奇恒之府は奇経と通じるとも言われます。
地気とは裏 (地球) のことです。
天気とは表 (大気圏) のことです。
地気は陰維脈であり、奇恒之府につながります。
天気は陽維脈であり、伝化之府につながります。
天気と地気の境界が地表で、そこに生命 (人) が宿ります。天地人です。
奇経とは空間のことです。天地 (地球+大気圏) という球形です。
ただし、その球形には前後があります。これは臍 (前) の緒で、後天の気と合した天地です。
加えて、その球形には上下があります。これは口 (上) の事で、後天の気と合した天地です。
前後と上下が確定すると、左右が確定します。
すなわち、前 (臍) は任脈・後は督脈・左右は両蹻脈です。任脈・督脈は線です。両蹻脈は面です。
上 (口) は六腑に通じ、六腑は三陽経に通じ、三陽経は前 (陽明) ・後 (太陽) ・横 (少陽)に通じます。前は任脈 (奇経) と通じ、後は督脈 (奇経) と通じ、横は少陽胆 (奇恒之府) と通じます。陽明・太陽は面です。少陽は線です。
ややこしいことばかり並べましたが、要は、
ということです。
※1 陽維脈・陰維脈は天地 (上下) を支配します。
陽蹻脈・陰蹻脈は東西 (左右) を支配します。
督脈と任脈は南北 (前後) を支配します。
帯脈はそれら全て、すなわち六合 (天地東西南北) を束ねます。
※2 足陽明胃経は前を支配します。
足太陽膀胱経は後を支配します。
足少陽胆経は左右を支配します。
以上は 東洋医学の「空間」って何だろう で詳しく展開しました。
地気を貫く天気
それに加えて、五臓は地気 (地球) のコアを指します。これは内部深く隠れているので、具体的な空間としては認識できません。
腹部の流注を見ていくと、三陰経 (五臓) のなかを、胃経 (口から肛門までの管) と衝脈が貫いていることがわかります。これはまるで、球形の受精卵から原口が生じ、上下に貫くさまを見るかのようです。
衝脈 (上下と前後の軸) ・胃経 (上下の元) ・脾経 (前後の元) は、下肢・胸腹部・背部・顔面部に流注し、流注がほぼ同じであることは経絡を勉強している方ならご存知かと思います。これらが元となって、左右が生じるのです。
つまり、天気 (六腑) と地気 (奇恒之府) は空間であるとまとめられ、そしてこの2つを縫い合わせるかのごとく三陽経と奇経が機能している。そして地気のコアには五臓が鎮まっている。そんな構図を五臓別論では説いているのでしょうか。
東洋医学の「解剖学」
こういった内容を名医・藤本蓮風先生は「空間論」と名付けられました。空間論とは、臓腑経絡・奇恒之府・奇経を土台とした「東洋医学における解剖学」であると定義できると思います。西洋医学が解剖学・生理病理学を基礎として重視しているように、東洋医学にも解剖学が必要です。
中医学はこれを挙げてはいるものの、その研究・考察には消極的と言わざるを得ません。その背景には、湯液の繁栄と鍼灸の衰退があると考えられます。両者は東洋医学における二大部門であり、陰陽関係にあります。どちらも重視しなければなりません。
本ページの内容は、そこに一石を投ずる目的があります。
天地陰陽を動かす
人体は大きな袋
思い切って単純に考えると、人体は大きな袋ともいえ、大きな一つの奇恒之府と言えないこともありません。この袋の中には精血を蔵している、つまり五臓を蔵しているのです。
奇恒之府には五臓が蔵されていると言える。つまり見方を変えると、脳には五臓が収まっており、骨・神経・血管・子宮にも、五臓が存在するのです。
だから五臓を治せば脳も子宮も癒え、五臓を治するには、六腑・奇経をも治する必要がある。五臓六腑と奇経を治することができれば、奇恒之府にある病も癒えるのです。
大きな袋を治療する
こんなイメージで、患者さんのお体に触れるとき、皮膚表面に軽く手のひらを触れると、これは人体という大きな袋 (奇恒之府) に触れているわけです。その下にはコア (五臓) があり、上には大気圏があります。大気圏は、「寫而不藏」なるところ「五藏濁氣」を受けるところの伝化之府への流入があります。
チューブの外にも内にも空気が通っているんですね。
鍼灸はチューブの外にアプローチし、湯液はチューブの内にアプローチします。人体を、浮き輪のような「大きな袋」と考えるならば、両者ともに袋の外側にアプローチしています。袋には五臓が入っています。鍼灸と湯液の基礎理論が一致する根拠です。
皮膚表面は地気 (地球) の表面です。つまり地表です。これは天地を分けるところの境界であり、面と線が入り組んだもの、これが経絡・奇経というライン (線) であり、ツボという広がり (面) であると言えるのかもしれません。経絡は境界なのです。
壮大な構図です。
治療とは、天地を動かす、陰陽を動かすことです。その境界であるところの皮膚・経絡・経穴へのアブローチは、天地陰陽を交流させる力を持っています。天は天らしく澄んで清風吹き渡り、地は地らしく重濁で堅実である。地気 (五臓・奇恒之府) から生じた濁気 (邪気) を、天気 (伝化之府) が押し流す。
治療そのものの姿が垣間見えるのではないでしょうか。