不通則痛… 「甬」と「用」の字源をたどる

…氣不通.故卒然而痛.《素問・擧痛論39》

中医学には、「不通則痛」「通則不痛」という言葉があります。これは上記引用のような《素問》の考え方が根底にあります。

通じなければ、痛む。
通じれば、痛まない。

痛みを治療し癒やすために、最も基本的な考え方です。いかなる痛みと言えども、この理念を元にして治療は行われます。よって、意味をハッキリとイメージしておく必要があります。例えば鍼を刺して痛みを止めようとする場合、その鍼の先に何を感じ取れば良いのか、鍼を打った患者さんのお体にどのような変化を期待するのか。

痛みを止めようとしてはなりません。通じさせようとするのです。

なぜ字源?

鍼は気を動かすものであるだけに、イメージが大切です。気をとらえることができるようになったら、あとはどのようにしてイメージを具現化するかです。そのために学問が必要であり、その学問を正しく進めるためには文字のイメージを正しく持つことが大切です。だから字源を勉強するのですね。

このようなイメージがハッキリすると、たとえば鍼の刺す深さが0.1mm変わります。そのわずかな差が大きな治療効果の差となって現れます。以前、補瀉って何だろう を展開しましたが、実際、気のとらえ方が数段進歩しました。

正直これは僕の勉強です。そんな勉強にお付き合いくださる奇特な方は、読み進めてください。

オタク魂炸裂です。

甬とは

まずは「甬ヨウ」から行きます。

字をよく見ると、「痛」と「通」には共通して、「甬」という字がありますね。

「痛」は疒+甬、「通」は辶+甬です。

《説文解字》にみる「甬」

甬。艸木華甬甬然也。《説文解字》
【訳】「甬」は、草木が甬甬と栄える様子である。※

“甬甬と” とはどんな様子なのでしょうか?

小徐曰:甬之言涌也,若水涌出也。《説文解字注》
【訳】小徐 (説文解字系伝の著者) はこのように言っている。「甬」は「涌」である。水が湧き出るようなイメージである。

小徐によれば、「甬」とは「涌くこと」です。 “甬甬と” とは、それをイメージします。

つまり「甬」は、井戸や泉から水 (命の元) が勢いよく涌 (わ) き出る様子です。不通であった水が通じるイメージがあります。不通であった生命力 (気) が通じる。気の推動が障壁を突破し躍動するのです。

これを序章として、以下にもっと深い意味を探求していきます。

甬。…从ㄢ用聲。《説文解字》

「甬」=「ㄢ+用」です。

ㄢとは

「甬」の「マ」の部分は「ㄢ」です。

。⿴ (口覃) 也。艸木之華未発函然。《説文解字》
【訳】ㄢとは、草木の花がいまだ箱に閉ざされたように開かない様子である。

「ㄢ」とは、蕾 (つぼみ) のことです。
「⿴ (口覃)」とは、 “含深也”《説文解字》 とあり、深く含有するものです。
「函」には、包含の意味があります。

ㄢは、「㔾」「卩」とも表記されることがあります。字源はみな同じです。字源変遷を紹介します。

上図を見ると分かるように、「ㄢ」のイメージは「しゃがむ」です。何のためにしゃがむのかというと、伸び上がる・ジャンプするためです。そういう「躍動」を秘めているのが「ㄢ」なのです。それを《説文解字》では「蕾」「含有」と表現しているのです。一気に開花するために、力を深く蓄える。それが「ㄢ」です。

用とは

用。可施行也。从卜从中。《説文解字》
【訳】用は、施行が可能なことである。卜と中とからなる。

「用」の字源は諸説紛々です。しかしここは《説文解字》の “卜と中とからなる” という部分に注目します。

そもそも「用」とは、「体」と陰陽関係にあるものです。
実用・実体という言葉で考えると分かりやすいでしょうか。

たとえばここに漬物石があります。実体はツルッとして形の整った重い岩石でできた「物質」です。その実用は大根を漬ける際に適度な重さをかけ続けるという「機能 (はたらき) 」です。

用とは機能です。これは触ることも見ることもできません。触り見ることができるのは漬物石という物質だけです。その証拠に、同じ形の石を2つ並べて、一方は漬物石、もう一方は川原の石、この2つの違いを手や目で見分けることができるでしょうか。

たとえば脳という物質のもつ機能は「こころ」です。「こころ」は触ることも見ることもできません。ただ、身振り手振り話しぶりなどの「触り見える要素 (物質) 」をつなげたもの (動き) で、それを「感じる」に過ぎません。ここにある丸い石の機能もまた、ぬか床や大根の出し入れなどの「触り見える要素」を見て、 “ああ、これは漬物をつけるのに使うのだな” と類推し「感じる」のです。また、石の「重さ」は写真には撮れませんし、石を動かさずに重さだけを持ち運ぶこともできません。重さは「感じる」ものだからです。

体 (物質) は触れられる見える。
用 (機能) は触れられない見えない、しかし感じるもの。

そういうことを踏まえ、あらためて「卜」と「中」という要素を見ていきます。

中は「生命」

「中」は「〇」と「 | 」とからなります。「〇」は種子です。「 | 」は上下に伸びる芽と根です。

衝脈とは《後編》…字源・字義 から転載

「中」は、衝脈とは《後編》…字源・字義 のところで出てきましたね。「冲」の中核をなす字義は「中」にあります。衝脈は空間の枢要で、臓腑経絡 (機能) と肉体的物質を分ける「最高次の境界」で、精と同義です。脈は精 (水穀の精) で充たされています。

「通」という概念をたどっていくと、衝脈に出会った。ここに驚きと感動を覚えます。こういう出会いが時々ある。だから勉強はやめられないのですね。

また「〇」は物質 (実体) です。そこから「 | 」という機能 (実用) が生まれます。

また「〇」は精とも言えます。精から陰と陽とが生まれる。陰とは下に伸びる根です。陽とは上に向かう芽です。陰陽 (生命) の真ん中にあるのが境界で、これが「中」です。

陰陽って何だろう より転載

境界は陰陽を生み出すもの、東洋医学的には「脈」のことです。脈は打ったり打たなかったりして拍動しますね。脈が止まるのは陰、脈が動くのは陽、この2つがあるから、生命は脈打つのです。

人体生命においては、「中」は脈 (生命) を意味します。

「中」の字源は諸説紛々で、最も有力な説は、「旗」を表すというものです。旗は風向きをしるためのもので、穴 (口) の真んに旗の柄を立てることが由来とされます。

本ページではその説は取らず、種から根と芽を出す様子を示すという説を取りました。種を真ん中にして、上下に伸びてゆくのです。
まっすぐジクを伸ばし広げた「双葉」🌱 は、「旗」 によくにています。「命の旗印 (目印) 」です。こう考えると、葉は旗に見立てることもできます。

卜は「天のさだめ」

そこに「卜」が組み合わされます。

「卜」とは亀の甲羅のひび割れを表す象形文字で、卦 (八卦) のことです。卦とは、大自然のさまざまな法則を熟知し、それを組み合わせることによって過去・現在・未来を知る学問です。よって「卜」は、「天の定め 」と捉えることにします。種から芽と根が上下にのびることは、天の定めなのです。

天の定めの最も基本的なものは「自然な成長」です。大自然を見てください。一つとして成長しないものはありません。はじめからそのように定められているのです。種から芽と根が上下にのびることは、自然な成長なのです。

さらに、種からは先ず下に根が伸びますね。これは「ㄢ」の「しゃがむ」に通じます。その後、上に芽が伸びます。これは「ㄢ」の「開花のために」に通じます。

成長とは、タメ (下への動き) があって、そして起こる「上への動き (前進) 」です。

そして、成長とは「機能」です。

成長は、写真に撮ることはできないし、持ち運びも不可能です。写真に撮ったり持ち運びができるものは「物質」です。草木や子供の成長は、以前の記憶や画像と照らし合わせることにより「類推して感じられるもの」てす。

用は「あるべき生命の姿」

「用」をまとめます。

「用」とは、種 (物質) から「自然な成長」 (芽と根が天の定め通りに伸びること) が生まれることです。

つまり用とは「命」です。
命が、上に上に前に前に向かうさまです。下に後に、大地に根付きながら。

甬とは

「中」が甬の中核部分と考えていいです。それを、「ㄢ」や「卜」や「用」が補っています。

種は土から芽を出し上に伸びて幼葉を広げる。
「中」の「〇」を起点として、「 | 」がスムーズにの伸びてゆく。

さらに、

用… 種から「自然な成長」 (卜…天の定め通りに芽と根が伸びること) が生まれる。
ㄢ… しゃがんで、躍進する。

種は物質 (実体) です。成長は機能 (実用) です。用とは、成長のことだったんですね。
そしてその成長は、しゃがんで、そして躍進する

機能 (実用) とは気です。つまり成長も気です。よって、

気は、しゃがんで、そして躍進する。

このイメージが「甬」です。中医学的に言えば、推動作用です。

「甬」は、肝のもつ木性 (疏泄・条達) そのものでもあります。
よって「甬」が病めば肝を治療します。

通とは

さあ、ここまでくると後は簡単です。

「甬」に、「辶」が付いたものが「通」です。

「辶」は「辵」です。
「辵」は「彳+止」です。
「彳」… 行くこと。左歩為彳.右歩為亍.合彳亍為行.” 《正字通》
「止」… 足のこと。例:趾。足元の地面のこと。例:址。
よって、「辶」は、地に足をつけて歩む、進むことです。

「通」とは、「甬」の「しゃがんで、そして躍進する」 (=推動作用) を一層前に進めた状態です。

すなわち「不痛」です。

痛とは

「甬」に「疒」が付いたものが「痛」です。

「疒」は、爿 (牀=床) +人です。

「痛」とは、「甬」の「しゃがんで、そして躍進する」 (=推動作用) ができなくなった病態です。

すなわち「不通」です。これが原義です。

いわゆる「痛み」は原義ではありません。

「疒」の字源、どうですか? ここまでやらなくてもいいですよね。こんなのどこにも載ってない。それをバカみたいな時間をかけて作画までする。こんなの労力の無駄、効率が悪い。いや、ちがいます。こういうことを僕は楽しんでいる。楽しくて仕方ない。勉強は楽しむことが効率を上げるコツです。効率を考えすぎて、楽しむことを忘れてしまうと、要領の悪いものになってしまいます。ぼくは一年間独学で偏差値を20上げたことがあります。誰もやらないようなことを楽しくやった。その経験からも言えることです。

臨床も同じです。楽しんでやることが効率 (治療効果) をあげるコツです。効率 (結果やお金) を考えていると、楽しくないですね。

勉強も仕事も運動も、ぼくは楽しめないことはやりません。

楽しむことは「通じること」なのです。

その他の「甬」

勇・湧・涌・桶・踊などに「甬」が用いられています。

「勇」は甬+力です。
「踊」は甬+足です。中国語では踊るの意味はなく、ジャンプする意味です。
「涌」は甬+水です。水が涌 (わ) き出る。
「湧」は甬+水+力です。
「桶」は甬+木です。木でできた容器に水が涌き出ているのが「桶」です。

まとめ

「甬」の字源、いかがでしたか? 奥が深かったですね。

痛も通も、おなじ「甬」の意味をもっていたとは、勉強してみるまで僕は知りませんでした。

考えてみれば、我々の人生も「甬」です。三歩進んで二歩下がる。これは真理です。脈も止まったり進んだりしながら脈打ちます。

根を下ろすことなく上への成長はありません。

人生も、しゃがむ苦労をイヤに感じてはなりません。進んでばかりの行き詰まりのない人生では土台がありません。

しゃがんで、そして躍進するのです。

根を大地にシッカリと張り巡らせ、芽の向く先は、上に上に、前に前に。
足を大地にシッカリと下ろしつつ、目の向く先は、上に上に、前に前に。

「痛」なくして「通」はないのですね。陣痛と分娩で考えるといい。
それが「甬」の字源の教えるところです。

学び得たイメージは宝物です。

さあ、「甬」のイメージをこの身に帯びて、問診に、説明に、刺鍼に、そして患者さんに与える笑顔として、明日の臨床の中に「涌出」しよう!

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