気・血・精・津液って何だろう

気・血・精・津液、ややこしいですね。どうつながっているのでしょうか。

・気には、衛気・営気・宗気があります。精気というのもあります。
・血と営気はよく似たイメージですが、血と気 (陰と陽) なので実は真逆です。
・精には、先天の精・後天の精・水穀の精があります。
・津液には、津・液があります。

実はこれらは、すへて陰陽関係として把握すべきものです。
注意すべきは、決して物質成分として把握しないことです。

これらがどうやってできていくのか、順番に説明を試みましょう。とくに精や宗気は、みんなややこしく感じていると思います。

中医学では、脈管と血液、脈と血を、ちゃんと別けずに用いています。だからややこしいのですね。脈と脈管、血と血液をゴッチャにしては理解できない。陰陽として理解する必要があるのですが、それができれば臨床での応用の幅はかえって広がるとも言えます。

精とは

まず、飲食物によってこれらはできているので、そこからです。

口からはいった飲食物は、脾で生命 (気・血・精・津液) に変えられます。

脾は “気血生化の源” と言われ、気血を作る場所であるということはご存知ですね。
その材料は「水穀」 (飲食物) です。
これを脾が「精」に精製したものが「水穀の精」です。

精とは、陰陽 (気血) 未分の状態を指します。よって水穀の精は「陰陽未分」であり、これが陰陽に分化して気と血が生まれます。

陰とは「静」です。静止です。血です。
陽とは「動」です。動作です。気です。

この2つを合わせて、「生 (いきる) 」です。

脈拍をイメージしてください。ドクン、ドクンと、打ったり止まったりします。
動いたり止まったりするのが「生」の本質です。
昼動き夜寝るのもそれです。

自動車でも、車輪の回転は、もともと上下運動 (ピストン運動) を回転運動 (前進する力) に変えたものです。ピストンは上に動いて止まり、下に動いて止まりますね。脈と同じく、動と静をもっている。だから自動車は前に進むのです。前進が、自動車の生命です。動と静が生命を生むのです。
心臓も鼓動 (ピストン運動) しています。それが血の前進 (脈拍) につながっていますね。
ちなみに「時」は、宇宙開闢の昔から前に進み続けています。あらゆるものは、そもそも「前進」という性質をはじめから持っています。これが精の本質でもあります。

「陰陽未分」とは…
動になる直前の「静」のことです。
動と静を生む前の「生」です。
これが「精」です。全部セイと発音するのが面白いですね。

そういうものが精です。「生」 (生命活動) を起こす一歩手前のものを言います。

気とは宗気

気を理解するには宗気の理解が必要です。

宗気の「宗」とは「本家本元」の意味があり、宗気とは、気の本家本元です。つまり気の本質です。

宗氣者.為言氣之宗主也.《医旨緒余・宗氣營氣衛氣》

宗気とは?

ドクン、ドクン。
胸の鼓動。血のピストン運動。これによって血が前に進む。
これが宗気です。ドクン (動) とドクン (動) の間に静止があります。静 (陰) と動 (陽) によって生まれ、生命活動そのものです。
脈が前に進む。車が前に進む。脈とは宗気です。ピストンとは宗気です。
ドクン、ドクンは、「進む力」です。

左乳下.其動應衣.脉宗氣也.《素問・平人氣象論18》

スー、ハー。
胸の呼吸。気のピストン運動。これによって気が前に進む。
これも宗気です。スー (動) とハー (動) の間に静止があります。静 (陰) と動 (陽) によって生まれ、生命活動そのものです。
体が動くとスーハー (ハアハア) する。心が動くとスーハー (ハアハア) する。車も吸気し排気する。
スー、ハーは、「動く力」です。

宗氣積於胸中.出於喉嚨.以貫心脉.而行呼吸焉.《霊枢・邪客71》

気は、動力・推進力 (陽動) です。動く、進む。これが気の本質です。推動作用が気の本質です。
動力とはピストン運動です。
動力とは宗気です。

走る (体が動く) 、興奮する (心が動く) 、これらでドクンドクンも、スーハーも早くなりますね。動く原動力がドクンドクンとスーハーです。これが宗気です。

ドクンドクンもスーハーも、《霊枢・邪客71》にあるように、 “胸中” において起こります。

気と血

この宗気 (動力) を補助しているのが、衛気 (宗気を温める) と営気 (宗気を養う) です。衛気が百骸を温め、営気が百骸を養い、動力 (宗気) が生まれると言ってもいいでしょう。
宗気・衛気・営気、まとめて気です。

気と、そしてもう一つが血です。

宗気・営気・衛気、そして血。これら4つはどのように関連し合うのでしょうか。

燃料と動力

血は燃料 (陰静) です。動かない (静止) 。まずはそう考えてください。

車の燃料 (ガソリン) を想像すると分かりやすいのですが、ほとんどのガソリンは動いていません。タンクに溜まって、車の走行中もチャプチャプしているだけです。そのガソリン (血) の一部分が気化して (営気となって) エンジンに入り、着火し爆発して熱くなり (衛気となり) 、エンジンを動かし動力 (宗気) となります。
血も同じです。血そのものは陰静の状態で陽動ではありません。血の一部が気化して気 (営気) となり、ここで初めて脈中を「行く」のです。

營在脉中.衛在脉外.《霊枢・營衛生會18》

「行く」とは陽動です。だから営気は「気」と名が付くのですね。営気は気であり血ではありません。

脈管と脈を区別する

イメージしにくいと思いますが、血は動きません。厳密には「動く血」とはもう血とは呼ばず営気と呼びます。しかも場合によっては、血と営気を一体として考えて血と呼ぶこともあります。たとえば邪熱が強すぎて出血 (動血) したとき、邪熱が突き動かしているのは営気などの気です。営気が体外に飛び出す瞬間は血液が動いているのが見えますね。この状態は営気を見ているのです。次の瞬間、血液は地面に落ちて動かなくなります。この状態は血を見ているのです。

外に出てしまった血は、もう動きませんね。営気は気なので外に出ても目には見えず、血のみが目に見えます。こういうことからも、血は動かないと言えます。

もちろん、「脈管」にある血は動いています。しかしこれは「物質成分」として捉えた時のもので、陰陽としての捉え方ではありません。陰陽として捉えると、脈とは経脈のように目には見えないものです。
つまり、「脈」にある血は動かないものと言えます。もう少し突き詰めるなら、「脈」を下から支える土台が血と言えます。

中医学では、脈管の血と、脈の血を、ちゃんと別けずに用いています。だからややこしいのですね。しかし、だからこそ臨床での応用の幅が広がるとも言えるのです。

動けば気、動かなければ血

営気は気であり血ではありません。

ただし営気は、正確には「行く気」ではなく、「養う気」です。燃料としての性質が濃いのですね。
真の「行く気」は宗気です。宗気は衛気という「温める気」によって動かされます。推動作用は温煦作用に助けられるという理論がありましたね。

営気は、宗気と衛気を養う立場にある気です。

さきほど、血から営気が作られ、宗気や衛気を養うと説明しました。
もう一つの図式として、飲食物から営気が作られ、宗気や衛気を養う場合もあります。この時、営気が余れば血に凍結して保存するのですね。血もあまれば腎にあつめて精として凍結保存します。

営気とは水穀の精気でもあります。精気とは、精が行くものです。精 (陰精) は動きません。

榮者.水穀之精氣也.《素問・痺論43》
其精氣之行於經者.爲營氣.《霊枢・衛氣52》

ここまでをまとめます。

飲食物から得られた水穀の「精」が陰陽分化して「気」 (動力) がうまれます。
気のもっとも「動」が宗気です。その「動」を、営気の「養」と衛気の「温」が支えるのですね。
あまった水穀の精は、「血」として凍結保存されたり、先天の精を補充したりします。

このように保存することで、飲食物が得られなくとも「血」を解凍展開することで「気」を生み出します。

気 (宗気・営気・衛気) を支えるのが、血 (燃料) です。
血は水穀の精からできており、摂食行動という気 (動力) によって支えられています。

血脉營衛.周流不休.《霊枢・癰疽81》

ドクン、ドクン。動いては止まる

ここまで、分かりやすく「燃料・動力」「凍結・解凍」という言葉を使って 気 ↔ 血 の関係を説明しました。しかし正確にはそうではありません。

脈が「ドクン、ドクン」と動いたり止まったりするのがヒントです。止まっているときは血であり、動いているときは気です。気 (動) が余る (極まる) とき、それは血 (静) に化します。そして、血 (静) が余る (極まる) とき、それは気 (動) に転化します。

脈を「動=機能」として見るならば、脈中にあるのは気です。血は存在しません。
脈を「静=物質」としてみるならば、脈中にあるのは血です。気は存在しません。

だたしこれは、どちらも誤りです。脈とは静と動 (ドクン、ドクン) が一体となって存在するからです。機能と物質が一体となったものが生命です。

ここらへんが奥深いところです。静と動 (陰と陽) は分けて考え、それぞれを分析しなければなりません。しかし、ずっと分けて考えているばかりでは理解ができません。

津液と営衛

津液は陰です。営衛 (営気と衛気) は陽です。
これも、静止していれば津液であり、動いていれば営衛であると、まずはザックリ理解します。

“津血同源” という言葉があります。よって、血 (津液) と気 (営衛) の関係で理解してください。

津液とは、飲食物から濾し取られた液体のことです。津と液に分類されます。
まず中焦 (胃=陽明) で液が濾し取られ、つぎに下焦 (大腸=陽明) で津が濾し取られます。
濾し取られた液は、小腸 (太陽) によって全身に散布されます。これが営気です。栄養分を含みます。
濾し取られた津は、膀胱 (太陽) によって全身に散布されます。これが衛気です。栄養分は含みませんが、温かさを持っています。衛気は、温かさを含んだ水蒸気をイメージしてください。

衛気は浅いところを行きますね。営気はそれよりもやや深いところを行きます。これも陰陽です。
同じように、
津は浅いところを支配します。液はそれよりもやや深いところを支配します。

三陰三陽って何だろう をご参考に。

血も津液も「水穀の精」から作られます。血も津液も陰であり、精から陰陽に分化して、気 (陽) と、血と津液 (陰) になります。精から陰陽に分化する…という構図はゆらぎません。

字源からみた精・気・血

【精】精は米+青です。「青」は、生+丼です。丼とは井 (井戸) の中心から湧き出る「ヽ」は水 (生命の根源) を意味します。

【気】精とは精米した白米のことです。白米 (不純物を取り除いた純粋なもの) から湯気が立ち上る様子が「氣」です。精 (白米) から気 (湯気) が生まれるのです。

【血】精を入れる皿が血です。「血」は ノ+皿です。「ノ」は一滴の血を意味しますが、これを一滴の水 (生命の根源=潤下) と解しても意味が通ります。

このように、字源から見た気・血・精は、
・気は精から生ず
・血は精から成る
となり、中国伝統医学の内容と合致します。

気・血・精

そもそも精というのは父母から授かったもの (先天の精) です。これを、水穀から得られた精 (水穀の精) によって補充するのです。精は陰陽未分 (気血未分) の状態ですので、気血が足りなければ、精は気血に分化してこれを補充します。足りていれば先天の精を補充する精 (後天の精) として使われます。

分化した気とは、衛気・宗気・営気のことですね。これらはそれぞれ、脈外と脈中を行きます。
分化した血は、肝に蓄えられます (肝血) 。
未分化の精は腎に蓄えられます (腎精) 。
こうして肝腎が一体となって精血を蓄えるのです (精血同源) 。
つまり、肝腎が蓄える精血とは、まさに車のタンクに蓄えられるガソリンです。車の走行中も使われることなくチャプチャプやっているやつです。
それが気化したものが営気、着火して上がる温度が衛気、着火して爆発しエンジンを回し車を動かす力が宗気です。そのとき酸素を使いますね。だから宗気には酸素を引っ張り込む力があるのです。

なんとなく全容が見えたでしょうか。

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