片頭痛・唾液過多・喉のつまり感… 更年期障害と朝の食欲

【質問】私自身のことです。質問させていただきます。

47歳、女性。160センチ、体重46キロ。やせ型。
食欲あり。ただし、朝の食欲はありません
コーヒー (1日に400〜500mlくらい) を常飲しています。

更年期なのか、1年前から生理不順で、生理時の体調不良と、片頭痛の起こる回数が増えています。片頭痛は生理前が多く、寝過ぎた時にもあります。起床時から頭がボーッとして、だんだんこめかみが痛くなります。湯船に入ると悪化します。

先日、久しぶりに風邪をひいてから、食べ物を口にしてなくても唾液がわくようになりました。さらさらしていますが水っぽくて不快、まずく感じるときは唾液を吐き出します。普段から空腹時間を増やすと体調が良くなることから、朝食を抜いています。しかし改善はありません。7年前にも唾液が沸き続けたことがありました。その時は身体のむくみがありました。今回は、むくみはありませんが身体の水はけが悪い印象です。

精神的なキャパの課題もあると感じています。精神科患者の悩みを聞く仕事であり、また夫との関係でも問題を抱えています。喉のつまり感が慢性的にあります。

東洋医学的にはどのように考えるのでしょうか。また、生活を見直すとしたらどのような点に取り組めば良いのでしょうか。よろしければご教授ください。

更年期とは

いわゆる更年期ですね。

症状が複雑になるのは更年期障害の特徴ですが、今回のご相談では大きく2つのテーマに分けることができます。

まず、更年期障害とは何か…という大きなくくりです。元気なつもりで、でも本当は体が弱ってきているのにそれに気づけず、若い頃と同じスピードを出してしまい、危険だから急ブレーキが自動運転的に効き、その時に受ける衝撃が更年期です。

これについては、更年期と “徳” にまとめましたので、まずこちらから読んでください。本来、このページとひとつづきのものですが、長すぎるので2つに分けました。

脾の弱り

さて、2つ目のテーマです。テーマは “脾” です。脾は消化器とまずは考えてください。しかしもっと奥の深いものです。

知らぬ間に、しかし着実に弱ってくるものとは脾です。脾 (後天の気) が腎 (先天の気) を補えなくなったときが死です。

ざっと質問者の方の症状を見渡すと、まず脾の弱りが目に付きます。この脾の弱りは、最近急に出できたものではなく、実は “水面下” で進行していたものが、急に表面化したものです。表面化しなければ、これから先でもっとややこしい病気として表面化するであろうところでした。だから早い目に症状が出てくれてよかったと理解してください。

もちろん、なぜ脾が弱るような事になったのか、毎日の生活でどういう問題があったのか、それを考え改善する必要があります。

ただしそれ以前に、体の機能であるところの “脾の弱り” とはどういうものなのか、イメージすることが大切です。

健全な “土”

脾というのは “土” です。

中央黄色.入通於脾.開竅於口.藏精於脾.故病在舌本.其味甘.其類土.
<素問・金匱眞言論 04>

土とは何でしょう。命が芽生え、それを育む土壌です。そういう働きが人体の中にある。

植木鉢を想像しましょう。土が入っています。健全な土はフワッとしていて、まるでスポンジのようです。ジョウロで水をやれば、必要な分は保水し、余った分は底の穴から出します。おしっこですね。

このようにして、適度な水分を保ちます。

唾液の出過ぎ

健全な土はそうなのですが、不健全になるとどうなるか。

ドロドロの粘土みたいな土を想像してください。水は含んでいます。でも、通気性がなく、中の水も動きません。いい匂いもしませんね。花を植えても上手く育ちません。水をやると、染み込まずに あふれます。

あふれる。これが、今回のつらい症状である “唾液の出過ぎ” です。むくみになる場合もあります。溢れた水は循環ルートに乗れない。 “水はけが悪い印象がある” とおっしゃっていますが、よく観察されていますね。

五藏化液.心爲汗.肺爲涕.肝爲涙.脾爲涎.腎爲唾.是謂五液.
<素問・宣明五氣 23>

サラッとした唾液は “涎” です。脾の病症です。
ドロッとした唾液は “唾” です。腎の病症です。
五液とは をご参考に。

喉のつまり…梅核気

脾が弱ると、相対的に肝が高ぶるという法則があります。

肝と脾の関係◀東洋医学の肝臓って何だろう (続編)  をご参考に。

肝が高ぶると、イライラしやすくなって情緒のスムーズな流れが滞り、気滞という邪気を作ります。気滞は正体のない “気” ですが、これと有形の邪気である痰湿と合わさると、喉のつまり感が生じます。専門用語では “梅核気” と呼びます。ヒステリー球と呼ぶこともあります。

痰湿はどうやって生まれたのかというと、これがさっきの “ドロドロの土” ですね。

無形の気滞と、有形の痰湿が合わさったものを “痰気互結” と呼ぶことがあります。器質的な問題がないのに、まるで本当にそこに何かがあるような違和感が出ます。

片頭痛

それから片頭痛がありますね。肝気が高ぶって肝に熱をもつこと (肝鬱化火) が原因です。

片頭痛に悩む女性の約半数が月経前に発作が起きやすいと言われています。月経前は肝気が高ぶりやすくなります。

また昼寝はその人の体質によっては気滞が表面化しやすくなることがあります。気滞によって肝気が高ぶりやすくなります。昼寝によって片頭痛が悪化する原因です。

肝気が高ぶると、ささいなことがストレスとして感じやすくなります。そして普段から気滞・気逆を生じやすく (肝鬱気滞・肝気逆) 、頭や喉など、上半身に症状が出やすくなります。気滞や気逆は邪熱を生じやすく、これがお風呂で片頭痛が悪化する原因です。

気逆証 をご参考に。

先程も触れたように、脾が弱ると相対的に肝が高ぶり、片頭痛の原因となります。また同時に、脾が弱ると頭で処理すべき複雑な情報を、吸収すべき栄養分・要らないウンチ…に分けることができなくなり、頭が “胃もたれ” みたいになってしまうということ起こってきます。こうなると、頭がいっぱいいっぱいになって、さらにストレスが処理できなくなります。

脾臓と「意」◀東洋医学の「脾臓」って何だろう をご参考に。

喉のつまり感と、片頭痛は、ほぼ同じ病理で起こっていると見ます。ただし、片頭痛はたまにしか起こりません。これは、片頭痛がないときは調子がいいのではなく、本当はあるのに感じていないだけです。むしろ、片頭痛がないときに、その原因を作っています。これがさっき言った “スピードの出過ぎ” “水面下での進行” です。

朝の食欲

じつは、朝の食欲にもそれが伺えます。

朝というのは “生まれたて” と同じで、裸で正直な状態がでます。昼や夜は着飾っているので、本当ではありません。つまり、質問者の方は “食欲あり” とおっしゃっているのですが、朝に食欲がない、ということは、 “つねに食欲がない” と考えてください。土がドロドロで、水やりをしようにもしみこむところがない。それが、朝はよく自覚できているのです。昼・夜の食事はおいしくても、それは着飾ったウソの感覚です。

人気歌舞伎俳優の奥様が若くして乳ガンで亡くなったというニュースが話題になったことがあります。あんな目のキラキラした人が、なぜそんな病気になったのだろう…と注意深くワイドショーを見ていると “(もともと妻は) 朝は不動明王だから…” というコメントが紹介されていました。これで納得した。朝に動けないということは、一日中体が動かせないほどの問題を抱えている証拠です。元気そうに見えていても、かなり無理をしていたのです。こういう人は朝の食欲がありません。

朝って一番ラクでないといけませんね? 寝た後だからです。朝が悪ければ、体の悪さが「ある」と思ったほうがいい。そこに段差が「ある」と思っていればつまずきません。段差なんか「あるもんか」と思っている人は往々にしてつまずきやすくなります。

朝食が一日で一番おいしい。これは健康のひとつの条件です。この条件をクリアすれば、症状のほとんどは緩解します。ホントの食欲ですね。食欲がない人に元気な人はいません。

それほど朝の食欲は大切です。朝食がおいしいということが大切です。朝食が美味しい人は朝から元気です。朝に元気な人は、ほんとうに元気な人です。夜の元気はあてにならない。

朝食は少しでも

“朝ごはんを食べよう” というのは、ぼくが小さい頃は学校でも家庭でもうるさく言われました。そして、それが本当であることを、ぼくは脈診で多くの患者さんから教わっています。

朝の8時までには、白米をたとえ一粒でもいいから手を合わせ、味わって食べてください。パンは食べられるけど白米は無理…というのは食欲なしとみなします。食べやすいからキャパを越えてしまう。だから白米なのです。

朝を抜く習慣がある限り、朝の食欲は出ることがありません。無理に食べるとよくありませんが、一粒なら無理ではありませんね? 食べ過ぎはご法度、腹八分目は鉄則です。

その一粒に感謝することを意識して…。感謝などできません。言ってる僕ができない。でも、手を合わすことならできる。その行動が、感謝の練習になる。お米のようにあって当たり前のもの、いてくれて当たり前の人、常に寄り添ってくれるもののありがたさを、ぼくは忘れます。だから練習する。一日の初めに、食事のたびに、そのことを思い出そうと。

白米は土です。おかずは肥料です。土を軽く見て肥料にばかり重きをおくと、かえってアダになります。肥料あたりです。ご飯よりおかずの量が多くならないように、昔の弁当箱の、ご飯とおかずの割合をイメージしてください。

もっと栄養のある、体に良いものはないか。もっと綺麗なのはないかと探し回る。ずっと一緒にいてくれる連れ合いを忘れて…。これじゃ浮気です。ろくなことが起ころうはずがない。いい思いができたとしても、それは一瞬です。

ご飯一粒、感謝しようとする気持ち、そのシグナルは、体にとって大きな合図となります。朝一番に、これをやる。肝臓 (西洋医学用語) の解毒作用は元気づき、胆管から十二指腸へと続くルートが爽やかに流通して胆汁が排出され、 “ドロドロ” をウンチといっしょに洗い流してくれる。そういうイメージです。

“ドロドロ ” は、少しずつ取り除き外に出す必要があります。ほんの少し気をつける。胆汁と一緒に外に出す。どのようにして取り除くかは、“肝臓” を考える…東洋医学とのコラボ に詳しく説明しました。この内容を前提に話を展開しています。

毎日毎日、感謝したいと願いつつ両手を合わせ、 “ご飯” という命をいただく。そこに神経を集中する。とことん神経質になる。他のことはもう、どうでもいい。

願い

くだらないことを言ってすみません。臨床では、治療をしながら患者さんの心を動かします。自然とそういうふうになってゆくように、まず体を治しながら、心も上手に治療します。しかし、文字しか使えない、鍼を使えないこの環境では、嫌な感じに届いてしまうかもしれません。

しかし知識として持っているか持っていないかは、良い “更 (あらた) まる年” とするのか、悪い “更まる年” になるのか、その分水嶺となります。

全身の細胞と、人体最大の排泄ルートである腸管…。この2つをつなぐ肝臓 (西洋医学用語) …。

肝臓 (西洋医学用語) のもつ “管” である肝臓内血管と胆管とがサラサラ流れていくのならば、老廃物はスッキリと解毒されウンチとともに流れ出ていくことでょう。

此処で言う肝臓 (西洋医学用語) とは、東洋医学で言うところの肝のことではありません。「脾」のことです。「土」のことです。五臓六腑って何だろう をご参考に。

複雑に入り組んだ症状も、脾が、土が、肝臓 (西洋医学用語) が、汚濁を清めつつ生命力を育むことでしょう。きっと頭も蒼天のようにスッキリし、老廃物に邪魔されて染み込めない唾液も影をひそめ、そしてご夫君に感謝し感謝され、スポンジのような土に水が染み込むように受け入れ受け入れられ、仲良くすこやかにこれからの人生を送ってくださることを願っています。

  

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