自分と向き合う。
これによって、人は成長する。
いろいろ体験し、失敗し、そして反省する。反省とは自分と向き合うことだ。
反省がなければ成長がない。反省すればいくらでも成長する。
日本古来の神社のご神体は何か。鏡である。自分をうつす。深い哲学を感じる。
自分と向き合う。
懐かしく、落ち着き、心静かな充実した時間。
騒がしく、忙しく、後で空しく感じる時間とは全く異なる。
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自分と向き合う。
これは自意識 (心神) が無意識 (肝魂) に向き合う姿だ。
心神と肝魂は表裏一体、協調して「こころ」を形成する。
無意識 (肝魂) は反射的行動 (肺魄) に反映される。
肝魂と肺魄は表裏一体、協調して「無意識による行動」を形成する。
とっさに人を助ける。とっさに物を盗む。
心神が肝魂に向き合えないと、両者は離れ離れとなり、
肝魂は心神の意図とは異なる方向に暴走する。
その肝魂に付き従う肺魄は、誤った無意識による反射的行動を起こす。
つまり、自分に向き合えていないと、知らぬ間に体に良くないことをしてしまうのだ。
これが病気の原因になる。
自分に向き合えていれば、知らぬ間に体にいいことをしてしまう。
健康な人に見られる特徴である。
- 心神とは…「東洋医学の「心臓」って何だろう」をご参考に。
- 肝魂とは…「東洋医学の「肝臓」って何だろう」をご参考に。
- 肺魄とは…「東洋医学の「肺臓」って何だろう」をご参考に。
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病気とは、自分と向き合うための時間である。
ぼくもかつては病弱だった。一週間、まったく眠れず、食事もほとんどとれなかったことがある。
今わの際の母を見舞った帰り道、一瞬鼻につく死臭。
それが母のものではないと気づいたのは、二度目に嗅いだ時だった。
なぜ病気になったか。
自分の何が悪かったのか。
考える。心静かに。自分と対話する。そして気付く。
健康は成長とともに得られる。
人間は草木と同じ。人工物ではない。自然の中の一部だ。
樹木が芽を伸ばして成長し続けるように、人間も成長し続けるのだ。
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社会を眺めてみる。
忙しく働く。そして寝る。気づいたら朝で、また一日いそがしく働く。
そんな人もいるだろう。しかし、多くは一息つく時間が多少はある。
その時間をどう使うか。
スマホ・マンガ・ゲーム・テレビ・お酒・旅行・お出かけ…。
ひまさえあれば、こういうことをやる。
これでは自分に向き合う時間がない。
そんな生活が続き、自分に向き合うことなく、いつのまにか一生が終わってしまったら…。
これでは、「淀みに浮かぶ泡沫 (うたかた) 」だ。
ただ生まれ、ただ消えただけになってしまう。
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体への弊害も大きい。
本来、体は、寒ければ服が着たいという感情を起させ、腹が満たされればご馳走様にしたいと思わせ、運動が足りなければ表に出たくさせる。健康とはこういう無意識によって知らぬ間に作られているのである。
しかし、そういう「体の声」が聞き取れなくなる。
自分に向き合うとは、体の声を聞くことでもあるのだ。
体の声が聞き取れなくなると、知らぬ間に生命力 (治癒力) が漏れてしまう。
ゲームをしていると疲れない。
勉強は眠くなる。自分に向き合っているから。
だから「睡眠が足りなければ眠くなる」という無意識の反応が起こる。眠る。疲れが取れる。
だから勉強は体にいい。
現代社会はスピードが速すぎで、立ち止まることがしにくい。
旅行一つにしても昔はテクテク歩いた。これは自分を見つめる時間でもあったに違いない。
しかし今は、車で移動、飛行機で到着。
これでは自分を見つめることなどできない。
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自分と向き合うとは、どういうことだろう。
人によってこれは様々だ。
イチロー選手なら、バッティングマシーンで球を打ち返す作業が、自分と向き合う時間だったに違いない。
僕は勉強をする時間、畑を耕している時間が自分と向き合う時間だ。
治療だけではどうにもならないことがある。それでも患者さんに治ってほしい。帰宅して、あるいは休日、逃げたくない。だから祈る。
手の筋肉・あごの筋肉、フィジカルを動かし、真心をきたえる。
祈りも自分に向き合う行為だ。
- 祈りとは…「祈り…母親にも効いた小児鍼」をご参考に。
行動で表現しなければ。
思っているだけ、願っているだけでは何も変わらない。
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自分に向き合う。
どう行動すればいいのか。
人それぞれでやり方はちがう。何をすればいいのか考えよう。
- よもやま話…認知症をご参考に。
当院ではウォーキングをその一つの方法として勧めている。
ただウォーキングだけの目的で歩く。これは自分と向き合いやすい。
だから、犬の散歩・スーパーでたくさん歩いた・通勤途中の徒歩、これらはウォーキングにカウントしないように指導している。スマホを見ながらウォーキングなどはもってのほかだ。
ウォーキングの目的は気を臍下丹田に下げることである。
これは自分に向き合うことと重なり合う。
自分に向き合うとは落ち着くこと、興奮とは真逆である。
変わりばえのしない景色、それでもよく見ると美しい景色。
そんな景色に目をやりながらゆっくりと歩けば、今まで見えなかった自分が、いやがおうでも見えてくる。体との歩調が合ってくる。
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死ぬときは身動きが取れなくなる。その時に思い出して楽しめるよう、万葉集の歌を元気なうちに暗記している…という話を伝え聞いた。これも自分と向き合う姿である。
人は死ぬ。必ず死ぬ。そしていつかあの世に旅立つ。
「ゲームがたくさんできて充実した人生だった」と、はたして思えるだろうか。
死を意識する。
死ぬときに、「ああ、いい人生だった」と思いたい。
死ぬときに悔いが残らぬよう、いま何をすべきだろう。
死という来たるべき現実に向き合う。自分というものに向き合う。
充ち足りた人生が、充ち足りた生命力が、そこから生まれるにちがいない。
死んでも「この心」はそのまま生き続ける、そう信じて損はない。
この気持ちがこのままなら、映し出される世界もこのままだ。
そのためにも、いま救われなくては。
だから努力する。自分と向き合う。
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自分と向き合う。
必ず成長する。一生成長し続ける。
こんなことができるのは人間だけだ。
成長こそ、最も大きな充実・達成。
そうだ、成長するために、この苦しい病気がある。もう一息、もう一歩、あと一歩!
指を1mm震わせるだけでもいい。
自分を変えたいと願い、行動する。死ぬまでは。
現実に向き合う。そうすれば現実は変わる。
自分に向き合う。そうすれば自分は変わる。
身体に向き合う。そうすれば身体はきっと変わる。
健康は成長とともに得られる。
健康も成長も「自然」なことなのだから。