間食がやめられません

前回の記事に寄せられたご質問です。

【質問】
間食がやめられません。それを楽しみに生きているようなところがあるので。
生き方そのものを変える必要があるでしょうか?

ここでいう間食とは、10時とか3時とか、中途半端な時間に食べること (夜間呼び出し出勤) です。食後にデザートとして食べるお菓子は、ここでは間食とは言いません。食後にデザートとして食べる (残業) ならば、体への負担は間食よりもはるかにマシであるということを確認しておきます。
>> https://sinsindoo.com/archives/liver-collabo.html#間食
>> https://sinsindoo.com/archives/4-health-law.html#間食とは

間食をしんぼうし、食後にお腹い〜っぱいお菓子を食べてください。
それでも間食がやめられないケースでの考え方を、以下に展開します。

【回答】
楽しみを削るのはよくないですね。

甘いものを食べるとホッとしますよね。自分だけの時間ならなおさらです。

ホッとするということは、緊張があるからです。最初からホッとしていれば、お菓子を食べてもそれ以上はホッとしません。甘いものは、緊張を (一瞬だけ) 緩める働きがあります。ホッとするその快感を求めるのです。

ただし、そのようにして摂取した栄養は、命を維持するために必要なものではありません。不必要なものを食べると過剰になり、過剰になれば痰湿 (器からあふれたドロッとしたもの) が溢れます。その痰湿が気のめぐりを滞らせ、滞りはさらなる緊張となります。緊張はストレスと姿を変え、そのストレスがまたお菓子を呼び込む。

これは動物には見られません。
人間だけに見られる特徴です。
ストレスが起こるのは頭がいいから。
頭いいんだから仕方ない。

間食がやめられないということは緊張 (ストレス) があるからです。
それが緩むのが心地良いため、すごく楽しみになります。
我慢できないというのは、もう限界だからです。これ以上緊張に耐えられないからです。

とくに緊張なんかしてませんけど…という場合があったとしても、それは緊張を自覚する寸前でお菓子を食べているからです。緊張を自覚する寸前でお菓子を食べると、ホッとするので緊張に気づけません。知らず知らずにごまかしている。依存性とも言えます。

緊張 (ストレス) に気づけないというのは、よろしくありません。片付けものは気づくところにあるから片付くのです。ストレスに向き合うからこそ、解決する。人間的に成長する。気づけないところに片付けものを放置しているといつまで経っても片付きません。この「片付かないもの」こそ「病気」として現れるのです。今は現れていなくとも、いずれ現れます。

緊張を違和感として自覚すること。
間食すると一瞬緩むことを自覚すること。
それが過ぎればまた緊張が起こることを自覚すること。

自覚できるから改善がかなうものと思います。何となく食べたいから食べてる…では、いつまで経っても同じ繰り返しになります。

つまり、緊張がある。緊張が原因です。緊張を取らなければならない。間食をやめれるやめれないというのは結果であって、原因である緊張が取れないのに、結果だけを操作しようとしても、それはウワベだけの小手先になってしまいます。小手先に終止すると、結局は元の木阿弥で何も変わらない結果となります。

という、いま言った構図を、まず頭で理解することです。

それほど、知識というものは大切です。

以上の知識を、太陽のようにハッキリと輝かせてください。そして、その太陽を目指して植物のように成長してゆく。太陽には届かなくていい。でも目指すことをやめない。そんな植物のように、1ミリで十分です。それで、植物のように生き生きしてきます。弱った消化器、弱った脾 (東洋医学) 、弱った肝臓 (西洋医学) 、これが太陽の光を受けて、生き生きと輝きだします。

太陽にはとどかない、でも成長をやめない
成長とは何か。これを自然から学ぶ。植物の成長である。

これで本当に体が喜ぶ。ここは信じてください。信じるところです。

「これくらいなら自分にもできる」

赤ちゃんなら赤ちゃんのできることでいい。
達人なら達人らしくやればいい。
苗木なら苗木でいい。
大木なら大木らしく。
それぞれが成長し生き生きしている。それが真実。それが自然。

できると思えることは持続可能です。それは成長につながります。

眉間にしわを寄せて無理やりやったところで、持続可能にはなりません。
しかめっつらでやったことは、いずれ頓挫する。
それは成長とは言いません。健康とは真逆です。

できると思える分だけ、素直に実行に移してください。ほんのわずかで構いません。

その「わずか」こそ、植物が手本として見せてくれている成長です。
その「わずか」を、 “こんなの意味ないやん” …と否定してはなりません。

その否定が邪念です。

1ミリの成長、それを否定したら植物は枯れます。
1ミリの成長、それを肯定するから植物は生き生きしているのです。
植物が手本です。

成長は肯定です。喜びです。自然です。

この肯定、この喜びは、かの緊張、かのストレスを緩めていくことでしょう。

これくらいならできる >> できた
これくらいならできる >> またできた
これくらいならできる >> またまたできた

この「1ミリ」の成功を、一つ一つ肯定してください。

今日も太陽に届かなかったと否定する >> ダメ。
今日も間食してしまったと否定する >> ダメダメ。
今日はピーナッツ一粒を減らすことができた >> すごい! その調子!

この「1ミリ」の成功を喜び、継続して積み重ねてください。

それは時を経て、見違えるような大樹となる。
思いもよらない良い結果となる。

「自然」とは、そういう成り行きであると相場は決まっています。

緊張やストレスを、成長と喜びで拭い去ってしまう。
毎日少しずつたまるストレスを、毎日少しずつ伸びる成長で緩めていく。

間食は摂らなくても平気。摂ったとしてもおいしい。
どっちでも行ける。

どちらでもいい・こちらでなきゃダメ
人間は淡白でありたいですね。 「どちらでもいい」という考えが大切です。ただしそれは、本当にどちらでもいい事に関してです。たとえばお菓子を、食べてもいいし、食べなくてもいい。どちらでもいい… という人はストレスをためにくい人です。 脾 (消化...

お菓子はいつ食べても、おいしい。
成功して成長するのも、うれしい。

楽しみは減るどころか倍増です。

緊張が無くなった今も、お菓子を食べれば前と変わりなく美味しい。

ああ、幸せ。

健康とは、その笑顔からしか始まらないのです。

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