脾はなぜ重要か…東洋医学の「土」の哲学

東洋医学では脾 (消化器) をとても重視します。どうしてでしょうか。

これを詳しく説明するためには、少し哲学的な話からとなります。陰陽五行説で、脾が土に配当されるという前提で話を進めます。

中央黄色.入通於脾.開竅於口.藏精於脾.故病在舌本. 其味甘.其類土.
<素問・金匱眞言論 04>

健康とは生きていることが前提です。命がなければ健康とか病気とか言っている場合ではないのです。

生きるために必要なもの

生きていくうえで必要なものは何か。生きていくうえで必要なものとは、健康であるための土台であるはずです。つまり健康であるために、根本的に一番大切なものと言えるのです。

生きていくために大切なものとは何でしょう。

この世を作る要素を常に考えます。

食べ物が大事。住むところが大事。着るものが大事。もちろん命が大事。しかし、そういうものよりも大切なものがある。

火・水・土

火 (太陽) ・水・土 (大地) 、そして空気がなければ命は保てません。どれも欠かすことのできないものばかりです。つまり、最も体にいいものであると言い換えられます。いくら体にいいと言われるものでも、砂漠で渇いたときの一杯の水には勝てません。

そのなかでも、今、ないと一番困るのは…。やっぱり空気が一番大切だろうか…。たしかに空気がないと5分ももちません。3分くらいはもつでしょうか。水がなくても一日くらいは、火がなくても数日は何とかなります。

大地が突然なくなったらどうか。大地がなければ植物が育たず、空気がなくなってしまいます。

いや、そんな話ではない。大地がなければ、今、この瞬間に、数秒間で、奈落の底に落ちてしまうのです。

この世で一番値打ちがあるのは大地です。その大地は、一掴みの土の集まりです。誰もが「きたない」と形容する土が、です。

火・水・土…感謝。 をご参考に。

最も大切なのは土

われわれは、これらの要素によって生きることができている。とするならば、それらを大切にすることこそ、よりよく生きる、健康であるための最も効率的な近道とは言えないでしょうか。目先のことにとらわれて、かえって遠回りをしているということはないでしょうか。

なかでも土が一番ありがたい。土が一番尊い。いくらお金をもっていても、大地がなければ一瞬の命すら保てないのです。そういう考えで、ほんとに冷静に考えてみると、お金よりも何よりも、一掴みの土の方が、うんと値打ちがあるのです。

しかし土をもらって喜ぶ人はいない。あって当たり前なので値打ちが分からないのです。そんな土は、常に我々を足元で支えてくれている。

下にある土は卑しい。その土が一番尊く値打ちがある。だから土よりも上にあるものすべては尊く有難いのです。

下位が尊いというロジック

陰陽のロジックはここにあります。清濁といいながら、濁 (陰) が一番尊い。その濁が生んだ清 (陽) は言うまでもなく尊い。この世で役に立たないものは何一つない。すべてに意味があり、すべてが尊い。これは屁理屈でしょうか? 苦労があるから幸福がある。苦労が一番尊い。その苦労が生んだ幸福は言うまでもなく尊い。

陰陽論では、陰があってこその陽、陽があってこその陰です。一枚の紙の裏 (陰) と表 (陽) を考えると分かりやすいでしょうか。

陰陽って何だろう をご参考に。

正気は上位、邪気は下位

正邪という陰陽ならどうでしょう。邪気あっての正気、正気あっての邪気です。確かにその一面があります。邪気は必要だし、なくなることはない。しかし、それでは病気が治ることはありません。

そうではなく、正気の優勢・邪気の劣勢…つまり優劣という陰陽なら、健康であり続けられます。優 (陽) が優であるためには劣の存在が必要であり、劣も優があるからこそ劣でいられる。

正気は優であり上位であるべきであり、邪気は劣であり下位であるべきである。善悪も同じです。善は優であるべきで、悪は劣であるべきである。悪があるからこそ善があるので、悪はなくなることはありません。なぜ善や正気は優であるべきなのでしょう。その説明はできません。これは陰陽を超越した真理です。

正気と邪気って何だろう をご参考に。

土 (脾) が身代わりに…

その真理を、土は物語ってはいないでしょうか。土は濁っていて汚い。邪気ともいえるものです。きたない邪気を受け入れ、みずから邪気となって、邪気とともに下降しへりくだり、濁という卑しい地位に甘んずる。「脾」の「卑」に込められたメッセージです。

しかし万物を生かしている。汚い糞尿 (邪気) をかぐわしい肥料 (正気) に変えて緑を育てる。自らが犠牲となって下に降り、万物を尊いものとして生かす。

犠牲心。

その土(脾) によってはぐくまれた木 (肝) は、きっと正しく真上に向かって伸びてゆくのです。

まっすぐな木

ぼくはこれを「正しい肝気」と呼んでいます。

善を善しとする。悪を悪しとする。これを決定するのは心神・肝魂です。とくに無意識の肝魂すなわち肝気が大きく支配します。無意識とは…意識せずとも善を好む。意識せずとも正気を優先する。

正しい肝木は健全な脾土から生まれる。
正しい肝木が健全な脾土を育てる。
木と土という陰陽によって豊かな自然が成り立つ。

これは法則です。

土は下に、木は上にあって、土のへりくだる心を土台として、木の真っすぐな誠実さと、上に伸び行く向上心が生まれるのかもしれません。

正しい肝気とは、正しい行動のことです。正しい生活習慣のことです。

土になることこそ健康への道

邪気はいらない。悪はいらない。苦労はいらない。地獄はいらない。そして病気はいらない。しかしそれらがなくなると健康も幸福も存在しなくなる。

だから、そのためには皆が土にならねばならない。

そしてそのためには、まず医者が土であらねばならない。だから僕は土になりたい。

東洋医学がかくまで土 (脾・胃) を重視した医学になっているのは、こういうことに気づいていた先人達が構築したからなのかもしれません。つくづく、東洋医学はすべてを生かすポテンシャルがあると思います。要は、それを運用する僕が、それを生かし切れるかどうかなのです。

行が足りない。

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