この世は何によって出来ているのか。
命を育むエッセンスは?
それは、太陽の恵み。雨の恵み。そして大地の存在。
植物が育つ。命の芽生え。
その命を食らい、我々の命がつながる。
太陽とは、すなわち火。
雨、これは水。
大地とは、土。
あって当たり前のもの。
無くては非常に困るもの。
あって当り前のもの、他には…
家族・親・子供。住まい・服・食べ物。
しかしそれらは、移ろい、いずれ朽ち果てる。
まさに諸行無常。
震災の事実がそれを雄弁に物語る。
永遠に朽ちず滅びず、我々のそばに寄り添い与えてくれるもの。それは…
火・水・土。
もし、もしこれに感謝ができたら。
ぼくは、どんな逆境にあっても感謝できるはずだ。
ことに土。
どんな時でも我々とともにある。
火と水、つまり太陽は…雨は…
時に降り注ぎ、時に止む。
長雨が晴れたときの日差し。干天の終わりを告げる慈雨。
誰もが天を仰ぎ、尊さ・恵みを讃美する。
時々なくなるものは、ありがたみが分かりやすい。
では土は? 大地は?
長雨の日も、干天の日も、常に我々の足元にあって支えてくれる。
常にあるもの。
そこを忘れがちだ。それを忘れがちだ。
一日、遮二無二働く。
くたびれた体を横たえる。
それを黙って受け止めてくれる大地。
踏まれても、穢いと罵られても、
文句ひとつ言わずに、だ。
そうやって、みんなに足蹴にされながら、土は
植物を生み出す。動物を育てる。
大地が「母」に例えられる由縁。
最初に宇宙の空間があった。
まず大地ができた。
そして、天ができた。
天は上にあって尊い。
地は下にあって卑しい。
この世の成り立ち。
同時に、陰陽論の原点でもある。
陰と陽との位置づけを、天 (陽) と地 (陰) は明示する。
地の重要性。土の重要性。「卑」の重要性。
この哲学が、東洋医学の「脾臓」に反映される。
東洋医学には、東洋人の哲学が脈々と流れる。
雨の日も晴れの日も、常に寄り添い、下から支えてくれる土。
その視点であたりを見渡す。
母・父・妻・夫・子供。お米を作ってくれる人。野菜を作ってくれる人。魚を、肉を、家を衣服を…。そんな人々に、僕は支えられている。
あって当たり前。いてくれて当り前。
それが、実は「有り難い」ということに、気づかなければ。
どんな逆境にあっても「ありがたい、ありがたい」と手を合わせるお年寄り。
命の尽きる寸前まで、有難い、うれしいと…。
若者なら、それを見て、バカにするかもしれない。
そう、それはバカなんですよ。バカでいいんや。
本人が幸せといっていれば、それがすべて。
我々は、もっとバカでいい。
ああ、有難い、ああ、うれしい。