女児。生後1ヶ月半。2023年10月19日初診。
便秘。
顔の湿疹。
初診…10月19日 (木)
便秘は、毎日出ないので、たまに綿棒で浣腸する。
顔の湿疹は、少しあるかな…っていう程度。フケがある。乳児の脂漏性湿疹はよく見かける。
まあ、健康の範囲内であることは考えられ、異常だとは言い切れない。
とりあえず、診察する。
裸になってもらう。
うー…ちっちゃい。かわいい。
手はコイン並み。こどもの箸ほどしかない足をぴょんぴょんさせている。
脈は診ることができない。動くから。
体の小ささに比例してツボも小さい。しかも現在体操中。
それでも診察はできる。こういうときのために望診 (見ただけで診察する) を磨いてきた。
まず神を診る。もちろん異常なし。
天突に反応なし。表証はない。健康の範囲内か?
陽池に反応なし。冷たい飲食による冷えはない。そもそも乳児は冷たい飲食を摂らない。冷たいミルクを与える人はいない。
足三里に反応なし。食べ過ぎはない。そもそも乳児は食べ過ぎない。母乳 (ミルク) は味が淡白で食べ過ぎがない。
上巨虚。おっ、反応がある。腑気 (口から肛門に至る流れ) が通じていない。これだ。下焦がやや弱く (多少の禀賦不足) 、上焦に気が昇っている。下虚上実。だから口から肛門への下への流れがうまく行かないのである。
「ちゃんと良くできる部分があります。治療をやっていきましょう。」
中脘に金製古代鍼をかざす。補法。
左二間に銀製古代鍼をかざす。瀉法。
さらに、綿棒による浣腸をしてもよいかどうかを体に聞く。
大人なら脈診で体の声を聞くのだが、脈診は不可能。
よって望診で体の声を聞く。
結果は、綿棒を使ってはダメ…とのこと。自力で排便する力があるので、頼るのはよくないのだろう。その旨、お母さんに指導する。
2診目…10月24日 (火)
20日 (金) …排便なし。
21日 (土) …排便あり (2回) 。
22日 (日) …排便なし。
23日 (月) …排便なし。
今日 (火) …排便あり。
上巨虚に反応なし。
これ以降、5診目にいたるまで上巨虚に反応が出ることはなかった。
中脘に金製古代鍼をかざす。補法。
左少沢に銀製古代鍼をかざす。瀉法。
3診目…10月26日 (木)
25日 (水) …何度も排便があり、最後は大量に出た。すっきり。
治療同前。
4診目…10月31日 (火)
あれから毎日出ている。
夜中、起きなくなった。
笑うようになった。
治療同前。
5診目…11月9日 (木)
ずっと快便。
中脘に金製古代鍼をかざす。補法。
左少商に銀製古代鍼をかざす。瀉法。
〇
11月14日、治療はしなかったが、お兄ちゃん (3歳) の治療でいっしょに来院 (かわいい) 。
快便が続いているとのこと。
脂漏性湿疹はとっくに治っている。
略治とする。
脂漏性湿疹はちょっとフケがあって少し赤い程度なので大したことはないが、注目してほしいのは赤黒さである。便秘が治るとともに赤黒さが消えたが、これは過去にも経験するところである。乳児は皮膚が薄いので色の変化がスムーズに出るのでさほどの問題はないが、大人でこの色 (もう少しどす黒い) が出ればあまり良くないと見る。腎不全の患者さん (30代) でも見られた。
考察
- 上巨虚には大便を通じさせる作用があり、そこに反応があったのに、なぜ上巨虚に鍼をしないのか?
生きたツボの反応がなかったからである。 - 中脘の意味は?
下虚上実 (下虚による上実) なので、扶正が必要。小児で不調を訴えるのは、みな幾らかの禀賦不足があるからである。 - 二間・少沢・少商の使い分けは?
気滞と邪熱を最も取りやすい穴処の中で、生きたツボに処置する。それ以上は深く考えていない。
本症例は、全く皮膚に触れもしない方法で施術を行った。これで気を動かすのである。谷があればそれを埋め、山があればそれを削り、バランスをとって平らにするのである。上実を降ろして下虚を補ったのである。
この治効機序を「プラセボ効果」ではないかと疑う人もいる。プラセボとは、偽薬のことである。薬効がないニセ薬をそれと知らずに薬効があると思い込んで服用することにより、症状が改善してしまうことをいう。戦時中、物資がないときに小麦粉などを「これを飲んだら治るぞ」といって病床の兵隊に服用させたところ、非常に効果があったということを医師とともに従軍していた祖父が言っていた。
しかし、生後1ヶ月の赤ちゃんに、この「思い込み効果」が得られるだろうか。
むろん、母親は鍼をかざすのを見ている。そこからブラセボ効果を得て母が安心し、その安心が赤ちゃんに伝わる事はありえる。
いや、鍼は気を動かすのである。上に偏った気を、虚ろな下に動かす。赤ちゃんの体の気を動かし、お母さんの気も同時に動かし、動いたお母さんの気がまた赤ちゃんの気を動かし、赤ちゃんの動いた気はお母さんの気を動かす。
そうした循環の中でこそ人間はともに生きているのではなかったか。
たとえ偽薬であったとしても、効けばいい。
人体に害のない形でありさえすれば。
プラセボは最も安全な治療とも言える。
ただし。
効けば何でもいい…と考える人が多いが、これは困りものである。人体に害を伴いつつも「効く」と感じられるものはたくさんある。わかりやすい例は麻薬である。苦しいときに麻薬を使えば気持ちよくなる。それが体に害であることは、麻薬に関してはハッキリしているので異論はないだろうが、害がハッキリしないものや害がないと思われているものもある。麻薬には、「効く」・「気持ちいい」・「楽になった」・「元気になった」があるが、これと同じようなもの (麻薬以外) は、我々の生活の中に日常的に溶け込んでしまっている。それらには、その時は良くても後で困ったことが起こる…という特徴がある。すぐにその変化が起こるわけではないので、気づきにくいかもしれない。すぐにその変化が起こったとしても気づかないのは、それが体にいいと思いこんでしまっているからである。それは、思いもよらないものである。原因を考えもせずに結果だけを良くしようとするものは、皆そういうものに該当する。手を出してはならない。
効く ⇒ 体にいい の単純思考は見直すべきである。
体にいい ⇒ 効く は信じていい。
最も安全な治療とは何か。それを常に考える。効けばいいというものではない。
だから生後1ヶ月の赤ちゃんにも、安心して鍼をするのである。
大人の場合は脈で診る。 >> 脈診で “体の声” を聞く
しかし、脈がない人も稀にあり、乳児は脈を見せてくれないので、望診で行う技術を身に着けた。脈に指を当てるのと同じように、患者の気に術者の気を当てるのである。これを用いれば犬や猫とでも話ができる。