花粉症と小青竜湯と傷寒論

ご質問? をいただきました。

考え方が間違っていたらご指摘をお願いします。

【すぎ花粉症】
「きた~~!」枯れかかった我が79歳の身体に。昨日、鼻がムズムズし、たらたらと薄い鼻水が流れ落ち、くしゃみが連発する。このスギ花粉症によく使われる漢方薬が「小青龍湯」である。小青龍湯は風邪や花粉症で鼻水が止まらない際の症状に現代ではよく用いられる代表的な漢方薬で主たる成分には麻黄が入っている。
「青竜」とは四神の一つで東・春、そして肝を意味する。
「中国伝統医学は人間を自然に調和される医学だ」と聞いたことがある、基本は四季に逆らわず生きることだと…こう考えると、私の鼻炎も、私が自然に逆らった生き方をしてきたからだろうか?
「傷寒、表解セズ、心下ニ水気アリ、乾嘔発熱シ、而シテ欬シ、或ハ渇シ、或ハ利シ、或ハ壹シ、或ハ小便不利、少腹満シ、或ハ喘スル者、小青龍湯之ヲ主ル」《傷寒論》
傷寒論はまだまだ理解できないが、日々勉強中である。

東洋医学をいっしょに勉強しよう! (一部省略・字句の校正を行った)

八十路の坂を前にしてなお、考え方の間違いがあれば指摘を…との向学心・向上心には敬服いたします。 “傷寒論はまだまだ理解できない” とおっしゃっていますが、理解できないという人が理解できる人であり、理解できるという人は理解できない人であると思います。 “理解できない” という人ほど、様々な考えを吸収できるからです。

ご存知のように、小青竜湯の出典は《傷寒論》です。

小青竜湯について、《傷寒論》に基づいてご説明いたします。

まずは、花粉症についての理解を、下記リンクで深めておきます。

中国伝統医学としての「小青竜湯」

花粉症で小青竜湯を服用する人はたくさん見てきました。そして効いています。
このほとんどは、現代医学としての「使用方法」によるものです。

漢方薬は「使用方法」にしたがって用いる。これは薬剤全般の鉄則から外れません。使用方法の大綱は、医聖・張仲景の著書である《傷寒論》《金匱要略》に、すでに記されています。それが「経方」です。これに従えば矛盾は起こらない。そう考えるのが中国伝統医学です。

ご存知のように、小青竜湯の出典は《傷寒論》です。
中国伝統医学としての「使用方法」とは。

▶経方とは
《傷寒論》《金匱要略》に収録された方剤のこと。すなわち張仲景の方剤の用い方。
広義では漢代以前の書物に記された方剤を指す。
“惟仲景則独祖経方,…惟此両書,真所謂経方之祖。” 《金匱要略心典》尤怡 (清代)
張仲景こそが唯一の経方の祖である。ただこの二冊の書のみが真に経方の祖である。

小青竜湯証の「証候」

傷寒、表未解、心下有水気”
これが小青竜湯の病理を示すと思います。

まず、 “水” の有無以前に、傷寒 (表寒実) であることが大前提です。
傷寒とは太陽病、或已発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒” です。
傷寒である前に、太陽病です。
太陽病とは “太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒” です。

つまり、傷寒とは、
・脈が浮いて堅くなければならない
・頭項強痛のうえに体痛がなければならない
・悪寒がハッキリしていなければならない
少なくとも、これら証候がそろっていなければ、小青竜湯証とは言えないことになります。ここを軽視すれば、それは経方とは言えないと思います。

エフェドリンが効く

傷寒とは、中医学で言うところの表寒実証ですね。

脈は有力、浮いた部分の表面は堅くないといけません。花粉症で、こういう脈証を呈する人は、僕の臨床では少数です。つまり花粉症に、傷寒論記述の用法に「適応」の人は少ないということです。現代人は体を動かさないので正気が弱く、純粋な表実証を示す人はあまりいません。

でも小青竜湯、効きますね?

たとえば、
“即効性があり眠くならず3時間くらい効果が持続する” (ある方の個人の感想)
“いい薬。1日3回使っている” (ある方の個人の感想)

どういうことでしょうか。

小青竜湯の麻黄 (三両) には、ご存知のようにエフェドリンが含まれています。エフェドリンは「交感神経興奮剤」です。興奮させると症状が楽になる。症状はおさまることがあります。また副作用として幻覚・精神高揚などがあるとされます。

興奮させると花粉症もおさまることがあります。

ぼくもかつては花粉症がひどかった (今はほぼない) のですが、こんな経験があります。まだぼくが30代のころですが、父のいない長男の僕が、祖母の逝去にともない喪主を務めたことがあります。それが3月で、当時は花粉症がひどくて、両方の鼻が詰まりつつも鼻水が止まらず、仰向けに寝ていても流れ落ちることがよくありました。そんな体調でしたが、葬儀の準備や後始末にかかりきった数日間はまったく鼻水が出ませんでした。叔父や叔母やいとこにまで気を使い、体も心も酷使し、体重は激減しましたが、疲れは感じませんでした。ところがセレモニーが終わった途端、鼻が詰まり鼻水が出て、強い疲労を感じました。興奮中 (肝気が高ぶっている最中) は、鼻も体も心ももったのです。

仲景の老婆心

傷寒は “必悪寒” です。その他の証候も揃わないと証とは言えないのですが、百歩譲って “体痛、嘔逆” が無いとしても、悪寒だけはハッキリしていないと傷寒とは言えない。

「悪寒があってはじめて傷寒の要薬である麻黄を使うんだよ。なければ見合わせなさい。」
“必悪寒” の “必ず” という言葉に、張仲景先生の老婆心を感じるのは僕だけなのでしょうか。

悪寒は正気が充実していて邪気 (寒邪) と対等に渡り合い戦っていることを示します。畏寒は正気が弱くて邪気 (寒邪) に対抗できない様子を示します。悪風はそれらの間にある状態です。

証候とはつくづく鑑別が難しいですね。だから《傷寒論》では脈証を非常に重視しているのでしょう。この寒けが、悪寒なのか悪風なのか畏寒なのか、脈をみればすぐに分かります。しかし脈を診るということが、これまたどれだけ難しく、どれだけ熟練が必要であることか。中国伝統医学は奥が深く、簡単に治めることのできるものではありません。花粉症には○○が効きますよ、とは簡単にいかないのです。

興奮は肝気逆

話を戻します。

中枢神経興奮剤は、肝気をそうとう高ぶらせるでしょうね。それで効いているとしたら、どうでしょうか。

興奮させて発散して邪気を追い出しきれればいいのですが、そのためには土台となる正気が必要です。もしそれがなければ、その時は良くなったかに見えても、やがて又ぶり返します。

麻黄は、正気が足りていれば気機 (気の昇降出入のこと) を助ける。
麻黄は、正気が足りなければ気逆 (気実血虚によるもの) を助ける。

それを「中枢神経を興奮させる」というエフェドリンの性質がよく説明しています。

ご存知のように、花粉症の原因の一つには、肝の「気逆」があります。であるならば、良くなったかに見えても又ぶり返すのは、肝気逆を強くしながらも、症状だけを抑えたからだということになります。肝気逆をますます強くする連鎖が見られる。これが理解できるでしょうか。

ここで言う「興奮」「肝気逆」は、正しくは疏泄太過 のことです。

私の鼻炎も、私が自然に逆らった生き方をしてきたからだろうか?

上記ご質問より

正気の有無をよく弁証して麻黄を用いるなら、自然に従う。
正気の有無を弁証せずして麻黄を用いるなら、自然に逆らう。

当たり前に過ぎることではありますが、ご質問にはこのようにお答えします。推測できる範囲のことであり、推測が外れていたらご容赦ください。

正気を扶 (たす) けるためには、食事のあり方、睡眠のあり方、運動のあり方、思考のあり方を見直すことが第一義です。つまり、正しい生活習慣を考えることが急務であり、これをないがしろにしては成り立ちません。

また、アレルギーとしての特殊性を食事品目の上からも研究することもこれからの課題です。

できるだけ自然な方法で治したいですね。

証候に忠実に

麻黄湯に代表される表寒実証は、短期決戦のお薬です。微似汗を見れば後はスッキリです。

何日も続けて用いざるを得ない場合があるとするならば、それは「経方」に合わないのではないかと疑問を持つべきです。そういうお薬なので、エフェドリンの副作用 (興奮;疏泄太過) が出るいとまなく完治する証に用いるべきものとして、張仲景先生 (傷寒論の著者) は細かく証候を挙げて、誤用の無いように注意喚起しておられるのだと思います。

葛根湯も同じ表寒実証です。「かぜに葛根湯」は効きます。そして証に合致することは少ないと考えています。

鍼灸では、麻黄をもちいる表寒実証は、合谷を用います。もし、花粉症や感冒 (表寒実の証候が揃わない) に、いきなりこの合谷を用いれば、効かないどころか悪化も考えられ、そういうことをやるならば僕の臨床は成り立ちません。

もちろん合谷は使うことはあります。しかし、それは脈を浮かせてからです。そして、浮いてきた脈が堅いことが必須です。これを漢方でもやればいいと思います。純粋な小青竜湯証はあまりないが、正気さえ足せは小青竜湯証が出てくる「かくれ小青竜湯証」なら、まずまず多いのではないかと思います。

鍼灸と漢方は陰陽

薬なら効くのは、やはりエフェドリンなどの薬効があるからです。

鍼には薬も何もありません。ただ刺すだけ。薬効を差し引いた純粋な効果と言っていいでしょう。だから、に合わなければまったく効かない。が正しいかどうかは、鍼のほうが検証しやすいのです。

たとえば、
大黄には、センナ (生薬) と同じくセンノシドがあります。だから便秘には、それが入っている薬であれば、証を無視しても効きます。
鍼灸では、上巨虚 (大黄に相当) を使っても、証が違うとまったく効きません。

ここが漢方と鍼灸の決定的な違いです。

逆に、
整形外科的な「体の痛み」には、
漢方では証が間違っていればまったく効かず、
鍼灸は証を無視しても効きます。

正しい証かどうかを検証するには、漢方と鍼灸それぞれの特徴を知ったうえで、漢方と鍼灸とを陰陽関係として対比し、進めていく必要があります。漢方だけで証の検証はなり難く、鍼灸だけでも為し得ない。2つで1つの医学であることを忘れてはならないと思います。

漢方で痛みを取り、鍼灸で内科を治す。
これができてはじめて正しい弁証論治の世界が構築されていくのではないでしょうか。

証候が大切です。証が大切です。効くことと、証が正しいこととは必ずしも一致しません。

証を無視した施治は良くないと考えるのが中国伝統医学の考え方です。たとえば脳腫瘍が原因の頭痛は、脳腫瘍というのが正しい診断です。そうと知らずに頭痛に効くと、腫瘍の発見が遅れてしまいますね。これについては、「こむら返りには〇〇が効く」と題して詳しく説明しました。ぜひ読んでみてください。

「経方」すなわち傷寒論・金匱要略を、軽く見たやり方が行われる世情があります。

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