傷寒論私見…桂枝湯〔12〕

12 太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者、熱自発、陰弱者、汗自出、嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕発熱、鼻鳴、乾嘔者、桂枝湯主之、

▶太陽中風

太陽中風というのは、太陽病で、しかも中風寄りだということです。1条と2条を前提にしますよ、ということです。

▶陽浮…風邪の発熱

陽浮而陰弱とは、脈診のことだけを言っているのではなく、生命全体の昇降出入をイメージして言っています。もちろん脈では縮図としてそれが蝕知されます。浮・弱とは全体として弱いということがイメージできます。虚証ということが断定できます。

陽浮とは、陽が表に多いということです。陽とはここでは風邪+衛気のことです。たがいに争闘していますが、陽邪+陽気ですので、浅部 (衛分) に陽が集まった状態です。この状態で発熱する、という定義を述べています。衛強といわれるのはこういう図式のことです。

陽浮によって発熱します。風邪の場合、衛気が郁滞するから発熱するのではありません。風邪はそもそも疏泄する外邪なので、衛気は動くことができます。ちなみに外邪で疏泄するのは風邪だけです。風邪の発熱の機序は次の3つにまとめられます。

  • 陽気 (衛気) と陽邪 (風邪) で、浅部が陽気過多になるので発熱する。
  • 風邪はデタラメな疏泄を促すので、風に煽られた火のように、衛気が暴れて発熱する。
  • 風邪は寒邪のように冷ます力がないので、すぐに発熱する。

▶陰弱…風邪の自汗

陰弱とは営陰の不足のこと、つまり営弱のことです。陰弱の状態で自汗する、という定義を述べています。

健康な状態で暑い時に汗が出るのも、この定義で説明できます。

暑いとき衛気 (体温) は外に漏れて体を冷まそうとしますが、それで追いつかないと、表で衛気過多 (陽浮) になります。すると相対的に陰弱になり、この環境で発汗するのです。

陰弱なのに陰 (汗) が漏れると、ますます陰弱になって汗が止まらなくなるような感じがしますが、体表が汗でぬれることにより、余った体温 (陽浮) を冷ますことができれば、陰弱は相対的に陰弱ではなくなるので、汗が止まります。

本証のように、発熱して、余った体温を冷ますことができなければ、相対的陰弱は持続し、汗は止まることがありません。風邪は疏泄するため、汗が表を通り抜けることができる、ということもありますが。

汗については「更年期障害…東洋医学から見た原因と治療法」をご参考に。

▶悪寒と悪風

嗇嗇悪寒、淅淅悪風とあります。

悪寒と悪風の両方が挙げられているのは、傷寒と中風が合わさったものであることを示します。もちろん中風>傷寒 (風邪>寒邪) の風寒です。

悪寒と悪風は陰陽です。またそれらの形容である嗇嗇と淅淅も、陰陽です。以下に説明しますが、嗇嗇は米を蔵に守ろうと必死になる様子、淅淅は米が水で流される様子です。前者は求心性に衛気 (穀気) が閉じ込められる様子であり、後者は遠心性に衛気 (穀気) が漏れ出す様子です。

以下に詳しく説明します。

▶悪寒… 嗇嗇とは

「嗇」は、
「禾」 (イネ) あるいは「来」 (コムギ)  + 「㐭」 (=「廩」:倉廩)
です。「穡」の古字です。倉庫に穀物 () を貯蔵することが原義です。貯蔵するということは外に漏らさないということになり、節約することや吝嗇 (ケチ) であることに意義展開します。「廩」の「稟」は稟とは…経絡流注の字源・字義 をご参考に。

「墻」は、壁,塀,垣,囲いのことであり、貯蔵した穀物を守るものです。

「濇」は、貯蔵したものが外に漏れ出さない様子で、渋る・とどこおる・なめらかでないことを意味します。

張仲景が言うところの「嗇嗇」とは、寒邪に怯えて体を縮こませて丸くなる様子です。陽気 (穀気) を外に漏らすまい、寒邪から守ろうとするイメージができればいいと思います。

一般的に「悪寒」とは、悪風の強いもの、フトンをかぶっても寒いもの…という解説がされますが、ぼくは単純に「寒邪を悪 (にく) む状態」を言うのだと考えます。寒邪を悪 (にく) むとはどんな状態かというと、それが上記の説明です。

風邪がひどくなったものが寒邪なのではなく、風邪と寒邪は異なるものであるという理解が大切です。風邪と寒邪は、そもそも問診によって分別できるものではなく、望診・脈診・切経によって分別するものです。しかし、そんな高度なことは最初からはできないので、張仲景は「嗇嗇」という表現でイメージさせようとしているのです。

▶悪風… 淅淅とは

「淅」は「氵」+「析」。 (そう激しくない) 風雨の音を表す。《説文解字》には、 “洒米也” (をとぐこと) とあります。水を流しながら米をバラバラにしつつ洗う時の音は、風雨の音に似ていますね。たしか「小豆とぎ」という妖怪がいましたが、これもそういう音を錯覚したものです。

「析」は「木」+「斤」 (斧オノ) 。斤で木をバラバラにすること。

張仲景が言うところの「淅淅」とは、風の吹く音・水の落ちる音・水が流れる音におびえる様子です。本来まとまって一体化していなければならない陽気 (穀気) が、バラバラに分散して外に漏れる様子がイメージできればいいと思います。

一般的に「悪風」とは、悪寒の軽いもの、フトンをかぶれば寒くないもの…という解説がされますが、ぼくは単純に「風邪を悪 (にく) む状態」を言うのだと考えます。風邪を悪 (にく) むとはどんな状態かというと、それが上記の説明です。いくらフトンを着ても、風邪はわずかなスキマから疏泄します。その一つの例が、音を聞いただけで体の奥の方 (肌表) までゾクゾクとくる…というものなのです。

寒邪のましなものが風邪なのではなく、風邪と寒邪は異なるものであるという理解が大切です。風邪と寒邪は、そもそも問診によって分別できるものではなく、望診・脈診・切経によって分別するものです。しかし、そんな高度なことは最初からはできないので、張仲景は「淅淅」という表現でイメージさせようとしているのです。

▶翕翕とは

「翕」は「合」+「羽」。二枚の羽が鳥の体幹にビッタリと合わさる。いくつかのものが合わさる。《説文解字注》に “翕、合也” とあります。

「合」とは、ナベとフタがビッタリ合わさることです。

張仲景が言うところの「翕翕」とは、二つの異なる気 (風邪と衛気) がピッタリ合わさるイメージができればいいと思います。風邪と衛気はどちらも陽気ですね。異なる陽気が一つになって発熱するのです。

▶鼻鳴・乾嘔…寒邪による渋滞

鼻鳴は喘 (呼吸困難) の軽いものと考えます。乾嘔は嘔逆の軽いものと考えます。いずれも、寒邪が原因です。寒邪が肺気を郁滞させると呼吸困難になるし、寒邪が衛気をフリーズさせると嘔吐するのは3条で説明した通りです。寒邪の割合は少ないが、わずかながら存在するので、少しこんな症状が出てもおかしくないですよ…と説明しているのです。

乾嘔に関してはこんな説明もできます。すなわち、風邪は肌表まで侵入するので、衛気は皮毛から肌表まで引いて戦うことになります。そうすると、引いた分だけ渋滞が出やすくなるのです。風邪は疏泄するので、渋滞しにくいように思いますが、そういう理由で渋滞しやすいということが言えます。

すなわち、口から胃・小腸で液を作り、大腸・膀胱で津を作り、脾腎の陽気で気化させて衛気として、それを皮毛に到達させるのですが、口から皮毛までのルートが渋滞することになります。これは3条の「横逆」の説明と同じです。ただ、その渋滞は3条にくらべて緩やかなので、嘔逆よりも軽い「乾嘔」となるのです。

桂枝湯方 桂枝三両 芍薬三両 甘草二両 生姜三両 大棗十二枚

▶虚証は寒邪にやられにくい

桂枝は衛気を補う。芍薬は営陰を補う。姜・甘・棗は胃の気を補う。見ると分かるように、完全な補剤です。補剤で治るということは、素体が虚証ということです。では、何が虚なのかというと、「陰弱」ゆえに衛気がよわいのです。それが素体です。

衛気が弱いということは、寒がりでカゼを引きやすい、体質的に弱い人です。もともと陰弱なので、汗が出やすく、皮膚が冷たい。

イメージできるでしょうか。クーラーを嫌がる、つねに1枚、服を念のため携行する。そういう人は寒邪にはやられにくいのです。なぜかというと、寒邪を常に避けるからです。

▶虚証は風邪にやられやすい

しかし、セーターを何枚着ても逃げられない外邪がある。風邪です。風邪は疏泄するので、隙間から入り込みます。衛気の弱さをセーターで保護すると、必然的に寒邪がはじき出され、風邪のみが入ることになります。そして、後述の17条にでてきますが、肌表まで入り込むのです。

それからもう一つ、虚証だからと言って悪いということは言い切れません。陰陽は、陰は陰らしく、陽は陽らしくあるべきで、虚実も、虚は虚らしく、実は実らしくあるべきなのです。悪いのは虚実錯雑です。純粋な虚は補いやすく、純粋な実は瀉しやすい。だから治りやすく、自然治癒もしやすい。

桂枝湯証らしい体質というのは、寒さを柔軟に回避する能力のある、強い体質でもあるのです。これは34葛根黄芩黄連湯のところで詳しく説明します。

▶桂枝湯の陰陽図とその説明

▶振り子に例える

下の図は、桂枝湯証を陰陽の模式図にしたものです。

陰陽は振り子に例えると分かりやすいと思います。右に振り子が振れると、その分、左に振り子が振れますね。つまり陰 (右) の方向に振り子が揺れ、それが極まると、今度は陽 (左) の方向に揺れます。陰の方向へ大きく振れれば振れるほど、陽にも大きく振れます。陰が陰らしくあればあるほど、陽が陽らしくなる。

一日の生活で考えてみましょうか。夜の睡眠 (陰) が際立つほどに、昼の活動 (陽) が際立つ。

上図では、
優:劣
浅:深
という陰陽を用いて桂枝湯証を表現しています。優劣・深浅という陰陽を、何について言っているのか簡単に説明します。それぞれの「陰陽の場」についての説明です。

▶陰陽を支配するのは心神

生命とは陰陽です。生命をいかように体現するかは、まず高次において、自意識 (心神) が支配します。やっていいことと、やってはいけないことを自覚することが、極端に言うと生死・康病を支配するのです。

大酒を飲んでも体に悪くないという誤った自意識があるならば、病気は治ることがありません。

自意識の日々の積み重ねは、やがて無意識 (肝気・肝魂) に浸透していきます。生き様というのは無意識によって自然と表現されるものです。

▶心神に従う肝気

心神が正しいと肝気も正しく、心神が誤っていると肝気も誤ったものになります。心神が過つということは、根本的なボタンの掛け違いがあります。

また、心神は正しくとも、誤った肝気になることもあります。正しい肝気ばかりでは、人間的な成長がかないません。知らぬ間に道を外し、失敗もして反省し、そこから立ち直るところに、人間性の妙味は宿ります。正しい肝気に振り子が振れたり、誤った肝気に振れたりしながら、心神は成長するのです。そういう心神は正しい心神です。

心神も肝気も、正誤に関わらず、正気です。正気だからといって体に良いものばかりではありません。人は得てして、生きるパワーを悪いことに使ってしまうものです。

たとえば食べ過ぎ・飲みすぎ・遊びすぎ…。パワーがあればあるほど、やってしまう人がいますね。つまり、誤った正気が内生の邪気を生むのです。理想としては、ウォーキングなどの適度な運動や、腹八分などの自制心を強く持つことに、パワーは使われるべきです。

▶究極の境界、神明

色の濃淡は優劣の陰陽を示しています。赤の枠線は病位を示しています。振り子の支点の〇は陰陽の境界を示し、その下にぶら下がっている陰陽の境界を示します。正しい心神と誤った心神がぶら下がっている茶色の〇は、究極の境界で、いちおう「神明」の名を付しておきます。

「陰陽者.天地之道也.万物之綱紀.変化之父母.生殺之本始.神明之府也.治病必求於本」 (素問・陰陽應象大論)

「心者、君主之官也、神明出焉」 (素問・靈蘭祕典論)

神明については、「素問・陰陽應象大論」に関する以下の説明をご参考に。
陰陽って何だろう
「正気と邪気って何だろう」の「高次の陰陽」

▶開・闔・枢

開・闔という陰陽の境界が枢です。

開とは邪を外に発散させることとです。玄関のドアを引いて外に開くと考えてください。闔とは邪を内に押し込むことです。ドアを押して内に押し込むと考えましょう。枢はドアのチョウツガイのことで、ドアを引くか押すかを決定する枢軸となります。

例えば太陽病は皮膚表面の発汗によって治癒しますので、開です。陽明病は邪気をいったん体の内部に入れ、腸壁から腸内に出し、排便によって治癒しますので闔です。

心神は少陰であり、肝気は少陽・厥陰です。これらは、少陰病・少陽病・厥陰病に反映されます。一度に説明しつくせません。これから展開していくつもりです。

右五味、咬咀、以水七升、微火、煮取三升、去滓、適寒温、服一升、服已、須臾、歠熱稀粥一升余、以助薬力、

▶おかゆの大切さ

桂枝湯を飲んだら、すぐに「熱稀粥」をすする。

温かいおかゆの大切さです。体質が弱い人はおかゆです。ただし、米の甘みを唾液とよく混ぜて味わうことが大切で、流し込むのは不可です。

お粥は、先出の “嗇嗇悪寒、淅淅悪風” という言葉の中にも意識されています。「嗇」は「稟」でしたね。嗇嗇とは穀気を内に守ろうとする様子、淅淅とは穀気が外に漏れ出す様子でした。嗇嗇と淅淅は陰陽で、張仲景はこの二つの言葉にお粥 (穀気) を掛けているのです。こういう読み方、面白いと思いませんか? 面白く読んだほうが身につきます。

温覆一時許、遍身漐漐、微似有汗者益佳、不可令如水流漓、病必不除、

▶微似汗…ジワッとした汗

暖かい布団で覆いなさい。じわっとした汗 (微似汗) は有名ですね。これで熱が下がり、爽やかになります。

カゼを引いて、無理に汗をかこうとするのは禁忌です。流れるような汗は正気を損なうだけでスッキリせず、また熱が上がったり、煩躁が起こったりする危険があります。大汗をかくから治るのではありません。。

陽浮陰弱について前述しましたが、陽浮 (城の外郭) では、衛気 (味方) と風邪 (敵) が押し合いへし合いをしています。衛気は外に外に、風邪は中に中に…。これが拮抗状態です。これを城の外に追い出さなければ行けないのですが、拮抗状態なので、営気 (待機中の兵隊) から、新たな衛気 (活動中の兵隊) を加勢させる必要があります。営気は弱っている (陰弱) ので、桂枝湯で営気を補いながら衛気に作り変えます。そうしてできた新たな衛気が、もともとの衛気の背中を押し、風邪を追い出した姿が、微似汗です。汗は正気 (味方の衛気) です。その味方も少し追い出した…ということは、少なくとも敵を追い出しきれた、という証しなのです。汗が流れるように出るということは、風邪を押し出してももまだ飽き足らず、衛気がそとに突進し、漏れているということです。身を削って衛気を作っている営気もまた、ドンドン弱るということです。ここでも陽浮陰弱の構図がありますね。

漐漐 (ちゅうちゅう) とは、小雨が降って止まないさまで、微似汗が継続して出る様子をいいます。
漐の字源・字義」をご参考に。

出典:
百度百科「漐」…”《康熙字典》《集韵》直立切,音蛰。汗出貌。一曰漐漐,小雨不辍也。”
百度百科「不辍」…”不停止・継続不断。”

https://baike.baidu.com/item/%E6%BC%90
https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%8D%E8%BE%8D/1392273

若一服、汗出、病差、停後服、不必尽剤、若不汗、更服、依前法、又不汗、後服少促其間、半日許、令三服尽、若病重者、一日一夜服、周時観之、服一剤尽、病証猶在者、更作服、若汗不出者、乃服至二三剤、

▶効いたら服用をやめる

かなり細かい指示を出しています。言いたいのは、風邪が抜けたらもう飲むな、ということと、風邪が抜けるまで徹底的に飲みなさい、ということです。

そのときの指標がじわっとした汗です。これは、衛気の最前線が肌表まで後退していたのが、皮毛の外まで達したということです。桂枝湯+おかゆで、陰弱を補いつつ衛気が強化された証拠として発汗がある、風邪さえのけてくれたら、正気を傷つける要素がなくなるので、二重の意味で陰弱と衛気が補われるのです。

禁生冷、粘滑、肉麪、五辛、酒酪、臭悪等物、

桂枝湯を服用中、服用後は、こういうものを食べてはいけませんよ、という話です。衛気を阻害するもの、胃の気を阻害するものは、すべて再感の危険を増しますから、当たり前のことです。

▶生もの・冷たいもの

当時は冷蔵庫のない時代ですから、常温のものがいけませんよ、と言っています。冷蔵庫のものなどは、もってのほかです。冷たいものを食すると寒邪を受けやすくなるばかりでなく、内風を起こします。もともとある陽気が寒冷に格拒されて熱化し、内風を生じます。気象でも冷たい空気が入ってくると嵐になりますが、自然現象として共通です。

アレルギーがなぜこうも猛威を振るっているのか。疑わしきは罰す、との医学精神を思い出すべきです。

▶粘りのある食品、ツルツルした食品

これらは、噛まずに飲み込んでしまうので食べ過ぎやすく、脾胃に負担をかけます。肉類・小麦粉・そば粉・米粉などを材料に作った食品も脾胃に負担をかけます。辛いものは内熱をおこし、内熱は陰弱を引き起こしたり内風を起こしたりしてて外風を受けやすくします。酒・乳製品・臭いの強い食品もそれらと同意義です。

麪とは麺のことで、麺とは小麦粉・そば粉・米粉などから作られる加工食品のことです。もちろんメン類も含みます。

たとえば、白いご飯でごちそうさまにした後、パンや粉ものならまだ食べられます。逆にパンや粉ものでごちそうさまにした後、白いご飯が食べられるでしょうか。パン・メン・粉ものは、炭水化物の過剰摂取になりやすい。白いお米は、炭水化物を過不足なく摂取できる理想的な食べ物です。傷寒論では、米を摂取するように勧めており、小麦製品は避けるように指導しています。

▶鍼灸

桂枝湯証は、鍼灸ならば、外関などを用います。

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