17 桂枝本為解肌、若其人脈浮緊、発熱、汗不出者、不可与也、常須識此、勿令誤也、
▶桂枝湯が軸であることを暗示
まず、「不可与」という表現に注目します。後述しますが、「為逆」という強い口調が38条にあって、この前後の条文は非常に難解ですが、「不可与」と「為逆」に注目すると切り込めます。本条では、同じ表証でも、麻黄湯証に桂枝湯を使うのは不可ですよ、と言っていますが「逆」とは言っていません。
効かない、という程度の表現です。もし、桂枝湯証に麻黄湯を使うと、やばい「逆」になる。38条で説明します。この意味からも、太陽病といえば桂枝湯であり、これを軸にして変に応ずるのです。語句が省かれていても、桂枝湯を軸にして読んでいくべきだと思います。
訳してみます。
>> 桂枝湯は本来は「肌」のレベルの解表に用いるのであって、寒邪の強い麻黄湯証 (浮緊、発熱、汗不出) は「皮毛」のレベルの解表であるから、なんでもかんでも桂枝湯ではさすがに効かないでしょ。 (仲景の時代は) そこが分かっていない人が多いね。まちがってはダメだよ。
そんな語調でしょうか。
▶肌表とは
▶肌表とはどこか
さて、《素問・刺要論 50》によると毫毛→皮膚→肌肉→ 脈→筋→骨→髄 の順に、浅部→深部 となります。《刺要論》では、病の浅深を診断して、ちょうどのところで鍼をとどめるのがよく、それよりも深く刺すのは “大賊” で大病を生むと警告しています。
漢方薬を使うときも、これにならって考える必要がある。それを仲景先生は教えておられるのです。ただし、本条では皮膚と肌肉ではなく、皮膚と肌という微妙なところを間違えるなという指摘です。 “大賊” とまでは行かないかもしれないが、気を付けなさい…というニュアンスです。肌肉の上っ面の「肌」のことを「肌表」とも言います。
肌肉は広義では裏に属しますが、表面の「肌」は表に属します。肌表とは、そこを強調したいときに使う表現です。
病有浮沈.刺有淺深.…淺深不得.反爲大賊.内動五藏.後生大病.…
有在毫毛腠理者.
有在皮膚者.
有在肌肉者.
有在脉者.
有在筋者.
有在骨者.
有在髓者.
《素問・刺要論 50》
毫毛→皮膚→肌肉→ 脈→筋→骨→髄については「けいれん…東洋医学から見たつの原因と治療法」で詳しく説明していますのでご参考にしてください。
肌表に達した外邪を解くことを解肌 (げき) といいます。
桂枝湯は表を治療する薬、肌を解く薬、ということは、肌が表であるということを示しています。これを肌表と言います。「肌表~皮毛~皮毛の外」が、表を守るための衛気の守備範囲と言えます。ちなみに衛気は裏にも流入して体内を温めます。
桂枝湯証では肌表のレベルで解かないと治りません。
麻黄東証では皮毛のレベルを解きます。
つまり、桂枝湯証は邪気の侵入が肌表に及ぶ、麻黄湯証では邪気の侵入が皮毛にとどまる、ということです。
どうしてこんな違いが出るのでしょうか。これは、素体が虚証か否かの違いによります。
▶表の土俵際
桂枝湯証そのものは虚証です。営陰が弱く、結果として衛気も弱い体質の人が罹患する表証です。この体質の人は、もともと衛気は完全な力をもっていません。だから肌表まで侵入を許すのです。肌表で食い止められるものを桂枝湯証と言います。
衛気というお相撲さんと、風邪というお相撲さんが、表 (衛分) という土俵で組み合っているとイメージしてください。
土俵の上は衛気と風邪の2人分の重みがかかっています (衛強) 。
衛気も風邪も組み合っている間は、お互いが力を相殺し合っているため、衛気の温煦作用が弱ります (悪風) 。
しかし、風邪の方がやや強いので、ゆっくりと衛気を俵まで押し込みます。風邪は疏泄するので、スルスルと前に出てくるのです。衛気は肌表という俵に足がかかって、そこで踏みとどまる…という構図です。相撲巧者の風邪に対して、土俵際に強い衛気とも言えます。
もし、肌表で食い止めながらも、陽邪である風邪が温邪に変化したら衛分証になるでしょうし、肌表で食い止められず、肉に侵入を許すと、邪熱に変化して陽明病 (気分証) と名が変わるのです。
ちなみに、純粋な傷寒 (表寒実) は実証なので、ほぼ100%の衛気の力をもっていると考えます。衛気は充実しているのですが、寒邪が強烈すぎるので負けてしまうのです。だから、侵されるのは皮毛どまりで、衛気が跳ね返すので、肌表まで侵されることはありません。
桂枝湯証は衛気が希薄だから肌表まで侵されるのですが、寒がりで寒邪を避けるので寒邪にはやられにくいのです。もし桂枝湯証レベルの人が特別な理由で強い寒邪にやられたら、寒邪直中となります。
▶以下条文に向けての指標
桂枝湯証と麻黄湯証は、表という陰陽で考えたときに、桂枝湯証は陰、麻黄湯証は陽となります。陰陽の間には境界があります。境界のことを少陽といいます。桂麻各半湯などで、往来寒熱のような病証が見られるのは、境界に邪が入ったからです。いずれまた詳しく展開したいと思います。
以下、21~29では、桂枝湯証に似た壊病 …つまり桂枝湯アラウンドについて述べています。中風とか桂枝湯とかいう言葉が出ていなくても、ここまで桂枝湯証の治療について述べられ、16「桂枝不中与也」や17「桂枝本為解肌」などの文脈から、桂枝湯の類似証であることがいえます。61条以下にも壊病が続きます。「傷寒」と明記がなければ、桂枝湯証を誤治したと考え、読んでみます。
本条文は、傷寒論では珍しく、「解肌」という言葉に生理・病理の重要性を説いています。これを踏まえておかないと、壊病に対応できないのでしょう。