傷寒論私見…桂枝去桂加茯苓白朮湯〔28〕

28 服桂枝湯、或下之、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂加茯苓白朮湯主之、

▶結論から

桂枝湯証に桂枝湯を与えた。あるいは陽明病かと思って下した。ところがなお、頭項強痛し、さむがって発熱し、微似汗が見られない。心下満微痛と小便不利が、最初からでも桂枝湯服用後でもかまわないが、それが見られるならば桂枝去桂加茯苓白朮湯である。

実は、もともと桂枝湯証ではありません。最初から桂枝去桂加茯苓白朮湯を与えておけばスンナリ治癒したと思われます。もともと陰陽幅が小さいため、上下左右の境界である心下に症状が出やすい。陰陽幅が少ないので清濁の幅も狭くなって小便が出ません。

陰陽幅が小さいと、外界と表 (皮毛・肌表) という陰陽が近くなり、表証が出やすくなります。陰陽幅を大きくすれば勝手に取れてしまう証です。陰陽幅を大きくせずに、単に表証だけを取ろうとしても取れません。68芍薬甘草附子湯が参考になります。

詳しく展開します。

▶悪寒があるのに桂枝がない

翕翕とは衣服をたくさん着込むさまですから、悪寒があるということです。表証があることは確かです。

組成をみると、桂枝がありません。これで太陽病が治るというのはどういうことでしょうか。

▶心下の証は陰陽幅の小ささを示す

注目すべきは、「仍」という詞です。ここまでの条文のような、「後」…〇〇の後にこうなった、とか「反」…〇〇したら却ってこうなった、とかいう表現がない。あるのは「仍」…なお〇〇である、という表現です。

桂枝湯を服用し、あるいは陽明病の治療薬を服用し、あるいは…。いろいろやったけど、効果が出ないし、さしたる悪化もしていない。それでもなお頭項強痛・翕翕発熱・無汗で、心下満微痛・小便不利が治らない。かえって悪化するということはなく、最初からこの症状があったとも読むことができます。

心下は上下清濁を分ける境界であり、左右を分ける境界でもあり、陰陽の枢要です。およそ正中線上に症状が出るのはあまりよくありません。左右という陰陽が機能していないからです。

陰陽幅が少なくなって、陰陽の振り子が大きく左右に触れていない。小さく真ん中付近で触れている。だから正中線上に症状が出るのです。

そういう陰陽幅の小さい素体が風寒にやられる。これは外界 (陽) と体内 (陰) という振り子が触れず、陽は陽らしく、陰は陰らしく…という陰陽本来の状態ではないのです。だから陰陽が混在し、外界と体内の境界である皮毛や肌表がやられやすくなる。つまりカゼを引きやすくなるのです。

こういうカゼを治すにはどうしたらいいか。表邪を取り除いても、陰陽幅が少ない限りはすぐに再感します。

桂枝去桂加茯苓白朮湯方 芍薬三両 甘草二両 生姜 白朮 茯苓各三両 大棗十二枚 右六味、以水八升、煮取三升、去滓、温服一升、小便利則愈、

▶小便不利も陰陽幅の小ささ

陰陽幅が増せば、おのずと外界と体内が仕分けられて、治癒する。その兆候が「小便利則愈」なのです。微似汗が得られて治るのではない。これが「無汗」です。

陰陽幅が小さいために、上下清濁という陰陽の振り幅が小さくなると、濁陰がうまく下らず、小便不利になることがあります。

茯苓・白朮で中焦を整えて小便を出すことで、陰陽幅が増す。増した陰陽の大きな振り子、そこに芍薬を入れることで、桂枝がなくても営陰を衛気に気化することができるのです。そもそも風邪が入るのは営陰不足 (血虚) があるからです。営陰不足が衛気の弱さにつながります。だから芍薬が大きな意味を持ちます。

たとえば鍼で桂枝湯証を治療する場合、営陰を補うだけで表が取れてしまうことがあります。表証があっても多くの人は裏証である雑病をもともと持っています。その時、表が本治で裏が標治になる場合と、裏が本で表が標になるとがあります。標と本は陰陽ですら、お互いがお互いを助け合います。裏を治療した結果、正気が増して表邪を追い出す…ということは、日常的に見られることです。

▶表証はあるが「本」ではない

陰陽幅が小さいというのは裏の問題です。この裏の問題が本であり、結果として起こった表証は標です。

仲景は、桂枝を抜くことで、標本という陰陽を転化させているのです。ただし、桂枝はあっても効きはすると思います。表証はあるのですから。しかし、なくても効く。このスマートさが、傷寒論が時代を越えて読み継がれる理由でしょうか。

裏を整えることで表証は勝手に取れる。表を攻めないそのやり方が、一番効率的であるといえる条件…それが陰陽幅の少ない素体である。桂枝去桂加茯苓白朮湯証は、その素体を見抜く一つの方法が心下と小便不利に着目する…ということでしょう。

▶桂枝湯では効かなかった理由

桂枝去桂加茯苓白朮湯の場合、もともと表は標、裏が本だったのです。桂枝湯では効かなかったのは、標本を誤っていたからです。では、裏の何が病んでいたのか。症状から見て、胃家実でないことは明らかです。だから陽明病も空振りです。表証があるのに下すと悪化するのが普通ですが、表が標なので悪化しません。

▶水邪を取って陰陽幅を増す

裏証として、まず肝気偏旺があります。肝気の誤った疏泄により、飲食が進みすぎます。それによって水邪が生じます。この水邪によって脾土が圧迫され、陰陽幅が少ない状態になっていたのです。

そういう裏の問題が原因で風邪にやられた。だから肝気を正常化しながら、脾胃を助けて水邪を取れば、勝手に表も治癒するのです。食べ過ぎ・飲み過ぎが原因で風寒にやられるのは、よくあることです。胃の気が弱って衛気が弱るとダイレクトに解してもいいし、脾の血を生む作用が低下して営陰が弱くなり衛気が弱くなると理解してもいいでしょう。根底は陰陽幅の少なさです。

本条では、芍薬で柔肝し、生姜・甘草・大棗で土を重濁にしてそれを助け、肝気を正常化することも図られています。

▶心下満の補足

「心下満」は水邪によるものです。正確には、中焦の水邪による脾胃の弱り&冷えと、上焦の気実が風寒によって急激に化熱した熱によるものです。心下は膈という境界に当たり、上下という陰陽が同時に病むと出やすくなります。

心下痞よりは熱も寒もそんなにひどくはありません。寒がひどいと太陰の問題が出るので、半夏瀉心湯のように人参・乾姜が必要になります。

茯苓・白朮は、太陰病レベルではなく、少陽病 (三焦) あたりでしょう。少陽は陰陽の境界で、清濁も陰陽です。少陽が働かないと清濁はハッキリしません。

▶微痛について

「微痛」は肝鬱気滞によるものです。ただし、血が不足することによる肝気実ですから、芍薬で柔肝すると取れるものです。そもそも痛みは「不通則痛」が原則で、まず滞りを考えます。本条では、血虚による気滞です。

「痛み…東洋学から見た7つの原因と治療法」をご参考に。

▶小便不利の補足

「小便不利」は、茯苓・白朮からも分かるように、清濁不分の問題です。土 (脾・胃) には清陽を持ち上げ濁陰を下らせる働きがあります。清濁混淆の泥水をグラスに入れておくと、泥は下に降り、澄んだ水が上になりますね。清濁も陰陽なので、濁が濁らしくあればあるほど、清は清らしくなります。清が清らしくあればあるほど、濁は濁らしくなります。

濁がまず下に降ることにより、清が生まれます。つまり土が土らしく重濁であることが大切なのです。

飲食過多により、土に負担がかかり、この働きが抑えられると、津液 (清陽) が上昇することができず、小便 (濁陰) もまた下降できなくなるのです。茯苓、白朮はともに、中焦を補い清濁を分けながら利尿します。

「排尿障害…東洋医学から見た7つの原因と治療法」をご参考に。

▶桂枝去桂加茯苓白朮湯証になりやすい体質

こういう素体からどんな人柄が見えてくるでしょう。

長らく肝鬱気滞があります。しかも、そもそも血を産生するところの脾が弱い。

血が弱い、脾が弱いと、気実を起こしてきます。それが元々ある肝鬱気滞を、変な興奮状態に変えていきます。やや興奮気味の人柄が見えてきます。いろいろ空振りをやったけど、悪化していないのは、気が勝っているからかもしれませんね。土台が弱いのに気だけが勝っている。

その気が誤った方向に進むと、食べ過ぎ・飲み過ぎを起こします。今も昔も、変わらないのはストレスです。それに向き合い柔軟な心を築いていくのが正しい道でしょう。しかし、我々は得てして、それから逃げてしまう。その方法は人それぞれですが、もっともオーソドックスな逃げ方が、飲食です。

それで水滞が起こる。脾を圧迫し、陰陽幅が狭くなる。血 (営陰) の産生はますます弱くなる。そこに風寒が入る。実は、それが心身を休ませるためのブレーキになるのです。

「ストレス食いの病理」 …東洋医学の肝臓って何だろう (続編)をご参考に。  

五苓散との違い

五苓散との違いについてです。五苓散は、服用後、「多飲煖水、汗出愈」とあるように、脱水を起こし、口渇・心煩があります。利尿剤の猪苓や沢瀉が入っていますが、利尿は呼び水のようなもので、利尿することによって水分を摂ることができるようになります。そのうえで、治癒には発汗が大切です。これは表証がある証拠で、表裏の標本がなく、表裏同治となります。大きく異なる証です。

鍼灸

鍼灸で行くなら、どうでしょう。いろいろやり方はあると思います。陰陵泉に必ず反応が出ているので、それが取れるようにもっていくことが大切です。中脘・脾兪・胃兪・天枢など、中焦に関わる穴処から反応点を見つけて治療します。

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