傷寒論私見…桂枝加附子湯〔21〕

21 太陽病、発汗、遂漏不止、其人悪風、小便難、四肢微急、難以屈伸者、桂枝加附子湯主之、

15・16・17条のすぐあとに出てくる初めての方剤です。桂枝加附子湯は、これらの内容を受けたものと仮定しながら読むのが自然です。

15 太陽病、下之後、其気上衝者、可与桂枝湯、方用前法、若不上衝者、不可与之、
16 太陽病、三日、已発汗、若吐、若下、若温針、仍不解者、此為壊病、桂枝不中与也、観其脈証、知犯何逆、随証治之、
17 桂枝本為解肌、若其人脈浮緊、発熱、汗不出者、不可与也、常須識此、勿令誤也

▶微似汗 (ジワッとした汗) とは

汗法での微似汗というのは、衛気が外まで到達したサインです。風邪であれ寒邪であれ、表に邪があれば、衛気がそれを皮毛の外まで押し出さなければなりません。相撲でいうなら、俵の外まで押し出すことができたなら、衛気の勝利となり治癒となります。

その押し出したときに、勝った方も少し俵の外に出てしまいますね。それが発汗であり、完全勝利の証しなのです。

▶発汗過多とは

ただし、相撲と違うのは、衛気は俵を少し越えるくらいならいいが、勢いで土俵下まで出てしまってはいけないのです。

だから、桂枝湯の注意書きのところに、じわっとした汗が出たら、すぐに服用を止めなさい、とあるのです。それを止めないと、汗がもっと出て、衛気がドンドン外出してしまうからです。すると、いくら温かくしていても風邪が入ります。汗をかきすぎると再感してしまいます。そういう状態を、「太陽病、発汗、遂漏不止、其人悪風、」と言っているのです。

汗が出過ぎたら、脱水を起こしますので、「小便難、四肢微急、難以屈伸」になるのは当然ありえることです。痙攣ですね。「けいれん…東洋医学から見た6つの原因と治療法」をご参考に。

ちなみに、「発汗;汗を発す」は治療によるもの、「汗出;汗が出る」ならば病証です。この場合は発汗となっているので、治療で汗をかかせたということです。

▶衛気 (陽気) がもれすぎた

発汗後に、汗が止まらなくなった。これは汗出です。

汗出には寒熱があります。この場合、悪風があって汗出があるので、これは冷えによる汗出です。証候から寒熱を知ることは基本です。

本条文は衛気が急性に漏れ過ぎたときの対応法です。衛気は体表だけでなく、体内も温めます。衛気が漏れ過ぎると、当然表裏とも冷えるわけです。急に冷えているので、温めれば治ります。

ただし、これが慢性的に衛気不足の体質ならば、陰陽の幅が狭くなり、陰陽ともに不足しているはずなので、温めるだけでは陰に負担をかける可能性があります。

この場合は発汗させて急性に衛気 (衛陽) 不足になっているので、陰は消耗しておらず、だから陽だけを補えば良いのですね。

暑くて (陽気過多があって) 汗が出るならば、陽気が漏れて涼しくなります。
暑くもないのに、もしくは悪風がするのに汗が出るならば、陽気が漏れてもっと寒くなります。
いずれにしても、汗が出るということは陽気を漏らすということです。

▶気の上衝がある?

15条「太陽病、下之後、其気上衝者、可与桂枝湯、方用前法、若不上衝者、不可与之、」

15条の「気の上衝」を当てはめて考えてみます。桂枝加附子湯証は下してはいませんが、本証にも当てはまるところがあります。気の上衝とは、上半身に気が昇ることももちろんですが、皮膚の表面に気があつまることをも指すという考え方もできます。

生命を球体と見たとき、上下はありません。あるのは内外です。こうなると、表面が上になり、コアが下になります。地球で考えると分かりやすいと思います。

汗がドンドン出るということは、体表に気の流れがあるからです。つまり気の上衝です。

さらに、これを気の上衝と考えると、15条の「可与桂枝湯」が目につきます。もちろん、附子を足すのですが、桂枝湯アラウンドの薬で行きなさい…という意図が「可与」の部分と考えられないでしょうか。

桂枝加附子湯方 於桂枝湯方内、加附子一枚、余依前法

▶桂枝湯に準じる

桂枝湯法・余依前法というのは、

「桂枝湯方
桂枝三両 芍薬三両 甘草二両 生薑三両 大棗十二枚
右五味、咬咀、以水七升、微火、煮取三升、去滓、適寒温、服一升、服已、須臾、歠熱稀粥一升余、以助薬力、温覆一時許、遍身漐漐、微似有汗者益佳、不可令如水流漓、病必不除、若一服、汗出、病差、停後服、不必尽剤、若不汗、更服、依前法、又不汗、後服少促其間、半日許、令三服尽、若病重者、一日一夜服、周時観之、服一剤尽、病証猶在者、更作服、若汗不出者、乃服至二三剤、禁生冷、粘滑、肉麪、五辛、酒酪、臭悪等物、」

のことです。

桂枝湯に附子を足しただけの薬です。桂枝と附子で表裏の衛気を補い、芍薬で陰弱を補い、姜甘棗で胃の気を補います。

余依前法というのは、服用後の注意事項です。粥をすすり、布団で温かくして、爽やかなジワッとした汗に変わるまで服用を続け、変わったら、そこで薬を止めます。明らかに表証があります。

▶桂枝加附子湯の解剖

▶桂枝加附子湯証の陰陽図

図の見方は傷寒論私見…桂枝湯〔12〕▶桂枝湯の陰陽図とその説明をご参考に。

▶発汗でも排便でも排邪できない

まず、桂枝湯を与えて、ジワッとした汗が出たら服用を止めなさい、という注意書きを無視して服用を続けたら、過度の発汗が起こった。それによって風邪が出たり入ったりしている、衛陽が不足して風邪を追い出せず、風邪の疏泄でドンドン陽気 (汗) が漏れている状況です。

太陽開 (解肌) が優勢でありながらも、これが機能していません。かといって陽明病に仕分けできるわけでもなく、開の優:闔の劣という陰陽は振り子が止まった状態です。これは、振り子を振る支点が機能を停止したということです。桂枝湯証の時は少陽が支点として機能していましたね。つまり、少陽が消えたということです。少陽が消えたということは、三陽が機能しなくなった、発汗によっても排便によっても排邪できなくなったということです。

▶少陰・太陰・厥陰の出番

少陽が消えると、その上位の支点が機能し出します。少陰です。

少陰は、太陰を開として、厥陰を闔として、そのどちらかに仕分けすべく、振り子を揺らします。そもそも桂枝湯は、太陰病の桂枝加芍薬湯とほとんど同じですね。桂枝加芍薬湯を内蔵した桂枝湯という部分もありますから、太陰が機能するのは当然です。

▶少陰は陽を支配する

少陰が機能する前は、この場所 (少陰) は「正しい心神」と名をつけていました。少陰とは、「足の少陰腎経」という側面と「手の少陰心経」という側面とがあります。どららも、「動」を支配します。動を支配するということは「静」をも支配していなければなりません。動とは陽です。静とは陰です。動がなければ静はなく、静がなければ動はありません。当たり前のことですが。

動つまり活動の究極のものとは何でしょう。精神活動です。心がなくなると肉体などあっても無用ですね。しかしその心は肉体によって支えられています。精神活動のことを心と言い、肉体活動のことを腎と言います。心と腎つまり少陰は、渾然一体となって活動を支配するのです。

先ほど言うように、少陰は陽の元締めとなる枢要なのです。そこが病むのが少陰病です。だから「ただ寝んと欲す」というのです。傷寒論では陽気のことを強調していますが、その背後に陰気があるということも本ブログでは強調しておきます。

▶附子の効果

さて、少陰枢は邪気を太陰開の方に仕分けしようとしていますが、それが果たせません。そこに附子が入ると、少陰という境界がハッキリし、太陰の優勢:厥陰の劣勢という振り子が揺れ出します。

振り子が揺れ、太陰が優勢になろうとするところに、太陰病の薬を内蔵する桂枝湯が入ります。すると太陰開が強固になり、もう一度、陽病に戻して邪気を排出しようとします。太陰かシッカリすると少陽枢が機能を再開します。少陽枢という境界がハッキリすると、太陽開:陽明闔という陰陽が機能を再開し、太陽の肌表に仕分けして排邪が貫徹します。

▶鍼灸

鍼灸なら、申脈などを用います。また外関を用います。復溜・陽池にも影響を与えるように意識しながら。

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