傷寒論私見…桂麻各半湯〔23〕 ▶虚実錯雑を原典に求める

23 太陽病、得之八九日、如瘧状、発熱、悪寒、熱多、寒少、其人不嘔、清便自可、

▶経過が長いうえに複雑

太陽病 (脈浮・頭項強痛・悪寒) になってから8~9日たっている。期間が長すぎます。そして、まるで瘧のように往来寒熱がある。熱が多い。少陽病かな、それとも陽明病かな…というところです。
しかし、「其人不嘔」です。太陽病 (傷寒の嘔逆桂枝湯証の乾嘔) ではない。小柴胡湯証でもない。また、清便自可なので32葛根湯33葛根加半夏湯 (太陽陽明合病) でも陽明病でもありません。
消去法的に絞り込んでいるということは難解だからです。

一日二三度発、脈微緩者、為欲愈也、

▶脈幅が増えれば治癒

寒熱を往き来している間に自然と治癒してくる場合があるようです。特徴は、脈がわずかに緩んでくることだそうです。「微」とは副詞で「すこし」ということです。すこし緩脈に近くなってきて、脈幅が増えてきたらいい。一日に2・3度というのは、間歇熱としては頻繁みたいです。

脈微而悪寒者、此陰陽倶虚、不可更発汗、更下、更吐也、

▶脈が細い

微脈 (脈が細いうえに輪郭が不鮮明) 、これは陰陽幅が狭くなっている。そして悪寒がある、だから汗法・下法・吐法をやってはダメだ。こういう場合は、さらに桂枝湯で発汗させてはいけないし、下しても吐かせてもよくない。どうしろっていうんねん、という感じです。

面色反有熱色者、未欲解也、

▶でも表証

陰陽幅か少なければ面色は弱いはずなのに、かえって熱色があるものは、まだ解そうとしていない。「解」という詞で、表証であるということが分かります。表邪がまだ留まろうとしている。

このように、脈が浮いていないのに解表の必要なものがあります。このような表証は、臨床で本当にあります。もちろん基本とは外れており、応用編です。しかし、この応用編がこなせないと、まともな臨床にはなりません。臨床は、基本通りには出てくれないからです。

以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯、

▶痒さがある

ジワッとした汗が出てくれない。だから体が必ずかゆくなる。

 

▶ここまでの要約

まとめてみます。太陽病が長引き、瘧のようで、微脈、悪寒があるのに赤ら顔、体がかゆい。こういうのは桂麻各半湯を用いなさい。

言い回しが、今までと違い、非常に回りくどい。これまでは、もっと端的に、ハッキリとした物言いでした。おそらく特殊で難解なのでしょう。

▶微脈なのに表証?

桂麻各半湯の組成から言って、表証であるのは確かです。しかし大きな矛盾は、微脈という点です。微脈は陰陽幅の少ない脈で、虚証を示します。なのに表証なのです。これをどのように説明したらいいでしょうか。

桂枝麻黄各半湯方 桂枝一両十六銖 芍薬 生姜 甘草 麻黄各一両 大棗四枚 杏仁二十四箇 右七味、以水五升、先煮麻黄、一二沸、去上沫、内諸薬、煮取一升八合、去滓、温服六合、

「後は、桂枝湯と同じようにしなさい」というコメントがありません。画一的にはできないのでしょうか。汗はかいた方がいいのか、かかなくてもいいのか、一概に言えないのでしょう。

▶組成

桂枝湯…桂枝3 (9g) 芍薬3 甘草2 生姜3 大棗12
麻黄湯…麻黄3 桂枝2 (6g)  甘草1 杏仁70
桂麻各半湯…桂枝1.7 (5g)  芍薬1 生姜1 甘草1 
麻黄1 大棗4 杏仁24

以上の組成を見ても分かるように、桂麻各半湯は薄い薬です。つまり弱い薬です。
仮に、桂枝湯と麻黄湯をブレンドして2分の1にすると…

桂枝2.5 芍薬1.5 生姜1.5 甘草1.5 麻黄1.5 大棗6 
杏仁35

となります。だいたい、3分の2くらいに薄めているでしょうか。デリケートなアプローチを感じます。薄めた方が効きがいいのでしょうか。

▶補剤と瀉剤の混合薬

▶虚実錯雑とは

さて、桂枝湯は補剤 (補法) です。麻黄湯は瀉剤 (瀉法) です。補瀉両用にしているのは、虚実錯雑だからです。虚実錯雑とは、虚 (陰) と実 (陽) が消長関係 (シーソー関係) を失っている状態です。つまり、正気と邪気が、優・劣という陰陽の協調関係を保てず、正・邪という陰陽の協調関係に陥るのです。

その関係に陥ると、補法での正気を助ければ邪気を助けることになり、瀉法で邪気を弱らせると正気を弱らせることになります。優劣の陰陽が機能していれば、正気を補えば補うほど邪気が弱くなり、邪気を瀉せば瀉すほど正気が強くなります。

もし瀉剤の麻黄湯なら、表衛をますます弱らせ解表できないばかりか、外からドンドン風邪が疏泄してきて肌表での風邪の蹂躙をほしいままにしてしまいます。もし補剤の桂枝湯なら発表はもちろんできず、ゆえに解肌もできず、肌表の風邪 (陽邪) を助け、邪熱が取れにくい状態にしてしまうでしょう。補剤でも瀉剤でも悪化します。

補法 (陽) ・瀉法 (陰) 、どちらかハッキリできない。これが陰陽ともに病むということです。

▶陰陽のそもそも

陰陽はややこしいので、詳しく説明します。まず基本は、陰と陽はお互いがハッキリしていなければならないということです。しかも、お互いが助け合う関係です。たとえば、活動 (陽) と休息 (陰) です。これがハッキリしないと、昼は眠くて仕事がはかどらず、夜は熟睡できない…となります。昼にハツラツと活動すれば、それは夜の熟睡につながります。そして熟睡はまた翌日の活動のもとになります。お互い助け合っていますね。

虚実錯雑というのは、虚 (陰) か実 (陽) かがハッキリしないことです。補ってもうまくいかない。瀉してもうまくいかない。

健康な状況下では正気の優勢 (陽) と邪気の劣勢 (陰) という陰陽がお互いを助け合います。虚証なら、正気の優勢 (陽) を助けることで、邪気の劣勢 (陰) をも導き出します。実証なら、邪気の劣勢を助けることで、正気の優勢を導き出します。
正気が優勢でなくなれば、邪気は劣勢ではなくなります。邪気が劣勢でなくなれば、正気は優勢でなくなります。
これらが基本となる法則です。
しかし、虚実錯雑では、この法則が働きません。

虚実錯雑の状況下では、正気 (陽) と邪気 (陰) という陰陽がお互いを助け合います。正気を補えば邪気が強くなり、邪気を瀉せば正気が弱くなります。元気になればなるほど体に悪いことをする人がいますね。そういう人は、元気が無くなった方が体に良い生活習慣になります。例えば酒が原因の肝硬変で考えると分かりやすいでしょうか。

▶表にも陰陽がある

表証にも陰陽があります。まず、風邪 (陽) と寒邪 (陰) です。また、これらにも優劣があって、風邪の優勢:寒邪の劣勢という陰陽 (中風) 。また、寒邪の優勢:風邪の優勢という陰陽 (傷寒) があります。また、皮毛:肌表という陰陽もあります。

皮毛と肌表の間には陰陽の境界線があって、それを境に、外邪は皮毛か肌表かに仕分けされるのです。正気 (衛気) が充実していれば皮毛で跳ね返すでしょうし、正気が不足していれば、サッと肌表まで後退してそこで逆転勝利を狙います。

皮毛 (寒邪)肌表 (風邪)

▶少陽は境界

これは皆さんよくご存じの、太陽と陽明という陰陽関係 (表裏) において、外感の邪が、太陽か陽明に仕分けされるのと同じことです。開闔枢を使って解いてみましょう。外邪が皮膚から侵入したら、それを外に汗として追い出そうという働き (開) が働きます。太陽病です。もし外邪の勢いが強くて正気の力が及ばなければ、サッと後退し、腸から大便として追い出そうという働き (闔) に切りかえます。陽明病です。その切り替えを仕切るのが少陽 (枢) です。開 (陽) と闔 (陰) の仕切り、つまり陰陽の境界が少陽なのです。

表 (太陽・風寒邪)裏 (陽明・熱邪)

▶皮毛と肌表を分けるのも少陽

このように考えると、少陽は色々なところに存在します。たとえば、表証・裏証の境界…これは外感病としての陰陽の場です。たとえば、陽病・陰病の境界…これは正気の盛衰としての陰陽の場です。生・死という陰陽の境界もあります。

皮毛と肌表の境界もその一つです。本条文では、この皮毛と肌表の境界が侵されたのです。だから本条では往来寒熱 (少陽病の病証) がみられるのです。

▶陰陽ともに病む…それが少陽

少陽に邪が入るというのは特殊で、境界に邪が入ると陰陽ともに病むことになってしまいます。
普通は、陽が病めば陰がそれをカバーしようとします。太陽が病めば陽明 (営陰) がカバーするのです。
陰が病めば陽が頑張って何とかしようとします。陽明が病めば、それ以上の外邪を太陽が防ぎます。
それができるのは、どちらかしか病まないという原則があるからです。陰陽は夫婦のような関係です。ところが夫婦そろって共倒れになった、夫婦の息が合わなくなった。これが少陽に邪が入るということです。

▶補剤と瀉剤をつかって境界を動かす

傷寒論では、境界を治療するときに、補剤と瀉剤、あるいは温剤と寒剤を両方つかって境界に届かしているように思えます。

鍼の場合、そのように2つを組み合わせてやることも、もちろんできるのですが、境界に直接アプローチすることもできます。鍼は即効性があると言われるゆえんです。

▶風邪=寒邪 ➡ 微脈

さて、麻黄湯は皮毛を治する薬で、桂枝湯は肌表を治する薬です。表という陰陽の場から見たとき、皮毛は陽で、肌表は陰です。外邪は、皮毛を犯すか、肌表を犯すか、どちらかなのです。だから本ブログでは、風邪>寒邪 とか、寒邪>風邪 という表現を使っているのです。本証は風邪=寒邪です。

脈幅が小さいのは陰陽ともに病む状態です。脈幅が小さいと浮位と沈位の脈状が取りにくいですね。浮沈がぼやける、分かりづらくなる。陰陽の幅が少なくなると、陰と陽とがハッキリしなくなるのです。陰は陰らしく、陽は陽らしく、そうできなくなる。これが微脈の理由です。

正気は優勢なのが正気らしく、邪気は劣勢なのが邪気らしいのです。それができなくなると…
桂枝湯 (正気を補う) にいくと、邪気を補ってしまう。
麻黄湯 (邪気を瀉す) にいくと、正気を弱らせてしまう。
どちらにしても悪化させてしまう状態です。

▶陰陽図からひも解く

こういう状況は、具体的にどのような過程で生まれるのでしょうか。誤った消長を行う陰陽関係は、誤った肝気のもとで行われます。誤った肝気のもとでは誤った疏泄で誤った行動をとってしまいます。

衛気の弱った状況にある人がいるとします。普通は寒がりになるので、服を着たくなり、自然と寒邪を受けません。しかし寒さを感じない。肝気が狂っているからです。肝気については「疏泄太過って何だろう」で詳しく説明しました。

肝気が狂う。興奮状態になる。だから服を着たがらない。

ここで風寒にやられます。皮肌の境界は、実として皮毛 (陽) に仕分けするのか、虚として肌表 (陰) に仕分けするのかを決めますが、境界が狂っているので、それができません。どちらも病む、どっちつかずの状況となります。

そういう無症状の不健康状態があった。ここで風寒に侵されて自覚症状が出る。本条の症状です。この瞬間に誤った肝気は、正しい肝気に転化します。自覚症状が出ると体を休めたり、温かくしたりしますね。これでフィードバックするのです。体を良い方に進める働きは、正しい肝気が主導しているからです。

▶まとめ

皮毛は寒邪が張り付いています。肌表は風邪が張り付いています。風邪は、寒邪が邪魔して外に発散できない。しかも、正気が邪魔して内陥もできません。寒邪と正気に挟まれた風邪は身動きが取れない。だから痒くなるのです。
以上を踏まえ、もう一度条文をみましょう。

太陽病、得之八九日、如瘧状、発熱、悪寒、熱多、寒少、其人不嘔、清便自可、
一日二三度発、脈微緩者、為欲愈也、
脈微而悪寒者、此陰陽倶虚、不可更発汗、更下、更吐也、
面色反有熱色者、未欲解也、
以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯、

▶熱多寒少

熱多寒少というのはおそらく、寒邪が皮毛で邪魔をして衛気が郁滞する分の熱と、風邪が肌表に閉じ込められて邪熱化する分の熱があるからでしょう。

2〜3度も症状が出るというのは、誤った肝気⇔正しい肝気 という陰陽の振り子が細かく触れだした…治癒力が正常になったり異常になったりを細かく繰り返し始めたということでしょう。

▶経過の長さ・微脈

罹患してから1週間以上たっているのですが、罹患する前に無症状の不健康状態があった。これは誤った肝気によるものです。その経過の長さによって陰陽の幅が狭まった。ここでいう陰陽の幅とは、皮毛と肌表の幅のことです。皮毛と肌表が狭くなってどこまでが皮毛で肌表なのかが判然としなくなった、つまり互いの機能を果たさなくなった。だから微脈になったのです。

ここは面白いですね。桂麻各半湯は表証の薬で、裏に邪が入らないということは裏の正気は充実しているはずです。にもかかわらず微脈ということは、脈診の本質に迫る問題を提起しています。ここでの微脈は、生命という大きな陰陽の不足を示すのではなく、皮肌という小さな陰陽の不足を示しているのです。そんな小さな陰陽でも、生命全体から見たときは、それが主要矛盾です。
脈診とは、そういうものを捉えている…そう考えると、非常に納得いくものがあります。たとえば、常に微脈の人はたまにいます。たしかに何かと不定愁訴はあります。しかし、日常生活は普通にできているし、人並みに長生きもします。微脈や細脈だからと言って、弱いとは限らないのです。近代日本の鍼灸の名手、沢田建が「脈診では太極は分からない」と断じている意味が見えてくるようです。
ちなみに、アトピー性皮膚炎の患者さんも、症状がいくら激しくても、死ぬことはまずありません。アトピーも境界が侵されているのですが、それが生死を分ける境界ではないのです。桂麻各半湯は、そういった理論を教えてくれます。

▶悪寒・顔の赤さ

悪寒があって顔色が赤い、ということは、邪熱 (風邪による) が寒邪に閉じ込められている状態です。だから汗が出せないし、体がかゆい。皮毛か肌表に仕分けができないから、放っておいても治ってこないのです。

▶うすい薬のわけ

桂麻各半湯が薄い薬であることは、陰陽幅の不足・陰陽ともに虚ということを反映しています。鍼でもこういう場合は細い番手を使ったり置鍼時間を短くしたりします。

また、ジワッとした汗 (微似汗) を求めていないのは、和法にちかいものがあるからでしょうか。

▶鍼灸

鍼灸なら外関です。

もしくは表証に効く穴処で少陽の流注する穴処です。例えば申脈・肩髃などです。

少陽を動かすと境界が動き、陰陽両面に効果が出ます。ただし、刺鍼は技術が要ります。まず鍼をかざして穴処の邪を散らしてから補法にするとか、まず補って集まってきた邪を瀉すとか、平補平瀉の手技をとります。こうして、補瀉という陰陽を両方用いながら、境界にアプローチします。

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