傷寒論私見…白虎加人参湯〔26〕

26 服桂枝湯、大汗出後、大煩渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯主之、

▶風邪の勢いが強すぎた可能性

24 太陽病、初服桂枝湯、反煩不解者、先刺風池風府 、却与桂枝湯則愈、
25 服桂枝湯、大汗出、脈洪大者、与桂枝湯、如前法、
この2つの条文を承けています。

風邪がすごい勢いで肌表に攻めてきて、境界に激突し、肌肉にまで衝撃が波及してしまっている状態が、まずあります。ここまでは24・25条と同じです。ただし、24・25条よりも風邪の勢いが強い。

このとき、自汗がありますが、これは桂枝湯証のものか、陽明証のものか微妙です。風邪は肌表でアタックを続けて肌肉に邪熱としての衝撃が及んでいます。病位はまだ表にあります。この時点で風池・風府に鍼をしておけば、違う展開になるかもしれません。

しかし、そうではなしに桂枝湯を投与した。24・25条はそれでもなんとか表で持ちこたえますが、より風邪の強い本条のケースでは、それができません。桂枝は肌肉を熱化させ、風邪は肌表から肌肉に邪熱に化しつつ侵入します。完全に入裏したため、陽明証の特徴である「大熱・大渇・大汗・脈洪」のほとんどが揃います。

▶風熱を桂枝湯証と見誤った可能性

強い風邪…。もう少し具体的に考えます。

桂枝湯を服用させたのですから、脈浮、頭項強痛、悪寒、悪風、発熱、汗出、脈緩…が、あったということです。

この桂枝湯もどき証は、風熱によるもの部ある可能性があります。風邪と熱邪があって、風邪>熱邪のときは、初期は桂枝湯で効きます。しかし風熱は、風も熱も陽邪なので、すぐに進行します。風邪が強ければなおさらです。よって肌表で風熱が留まっているのはわずかな時間です。肌表から肌の裏に入った瞬間は、表証か裏証化を判別することは困難です。だから桂枝湯を投与してしまった。

▶風寒が入裏した瞬間だった可能性

もしくは、風寒で風>寒のもので、肌表から肌表の裏に入った瞬間に邪熱化しますから、そのタイミングなら悪風がなくなる以外は桂枝湯証とよく似ており、誤治したのかもしれません。肌表から肌表の裏に入ったということ は、陰陽の転化が起こった、少陽枢という境界が裏を選択した、ということです。なのに表の薬では、もちろん証が違いますね。

八綱の大切さ

風寒か風熱か、表証か裏証かを見分けていなければ犯しやすい手違いだと思います。やはり、八綱は大切ですね。自分ならどうやって判別するか、自分なりのやり方を持っておくと強いと思います。ぼくは印堂や天突の望診で、表証・裏証・ウイルス感染の有無を見分けています。また脈で寒熱の裏付けをします。

これらは脈診だけでもある程度分かりますが、脈の浮沈だけではすべてを見分けることは難しいと思います。

白虎加人参湯方 於白虎湯方内、加人参三両、余依白虎湯法、

▶組成

183条に、
「白虎湯方、知母六両 石膏一斤 甘草一両 粳米六合、右四味、以水一斗、煮米熟、湯成、去滓、温服一升、日三服、」
とあります。

白虎加人参湯は、白虎溏に人参を加えたものです。

▶人参が必要

大煩渇するということは、水が欲しいわけですから熱証です。寒証だと水の流れる音も嫌がるものです。とうぜん、この汗は熱証の汗です。

それで、汗が出過ぎて正気を損なった。そこで白虎湯に人参が必要になるのです。もうひとつ、もともと風邪が中心なので正気の弱りがあり、その意味でも人参が必要ともいえます。風邪は血虚に付け込んで入ってきます。

▶石膏について

石膏についてです。

石膏… 辛・甘・大寒。肺・胃。透発散熱。

▶辛寒とは

清熱薬は大きく分けて苦寒と辛寒があります。苦寒というのは闔で大便から邪を排出する働き、辛寒は開で皮膚からの発散により邪を排出する働きです。双方ともに基本的には気分に行く薬ですが、気分 (肌肉) でも衛分 (肌表) に近い邪熱は、わざわざ大便までもっていかなくても、すぐそこの皮膚から排邪した方が早い。そんなときに辛寒剤を使います。石膏はその代表です。比較的浅い胃や、高くて浅い肺の熱を取ります。

また石膏には、気血両燔にも、涼血薬と一緒に用い、営血分の熱を気分に透発散熱する作用があります。さきほど「浅い」といいましたが、実は気分・営血分間の境界まで届いて、しかも、辛散に働くのですから、営血分の熱を気分に営分にと導いてくれます。

鍼灸では、気血両燔証には、まず気分の熱を取る目的で霊台などの督脈の要穴を使いますが、その後に営血分の熱を取る目的で三陰交を用います。霊台には、石膏のような辛散の働きを持たせています。気分の熱だけでなく、営血分の熱をも透発散熱する。だから三陰交が効きやすくなるのです。また、霊台は補法の意味も持たせることができますが、石膏が甘寒でもあることが共通します。うまくやると、霊台一穴で営血分の熱まで取る (三陰交を使わなくても三陰交の反応が消える) ことができます。こういうイメージは石膏から得られる面が大きいです。

▶黄連解毒湯との比較

黄連解毒湯と、石膏+涼血薬を比較します。陽分 (衛分気分) と陰分 (営分血分) …その間に陽分と陰分を分ける境界がありますが、黄連解毒湯、石膏+涼血薬ともに、その境界にアプローチします。

▶黄連解毒湯型

上の図なら、承気湯の範囲が黄連解毒湯の範囲です。

黄連解毒湯型は邪熱の勢いが強く、すごい勢いで攻めてきて、境界にぶつかり、営血分にまで衝撃が波及してしまっている状態です。境界そのものは病んでおらず、境界の壁の向こうに衝撃が響いた…という感じです。出血などの営血分の症状が出ますが、純粋に気分を瀉せば、営血分に邪はないのでオチが付きます。

邪の排出は、大便と一緒に出します。闔です。気分の熱は、気分には水邪があるために、湿熱すなわち有形の邪熱になりやすく 、そういう邪は開で発散することよりも闔で大便から出すのが早いので、湿熱に用いることが多いです。

邪熱は軽いですが、湿熱は重いです。奥へ奥へ、下へ下へ行こうとする性質がありますから、大便で出すのが効率的です。

鍼灸で行くなら、霊台などの督脈の要穴に、純粋な瀉法が必要です。この場合の霊台は苦降、つまり闔に効きます。

これと石膏を比較してみます。

▶石膏+涼血薬型

石膏・涼血薬型は、さきに説明したように営血分の邪を引きずり出すのを助けます。黄連解毒湯が奥へ奥へと効果が波及するのに比べ、石膏・涼血薬は奥から手前に向かって効果が表れます。

営血分の熱が無形の邪熱の時、これは気分へ、営分へと導くことが可能です。はしかなどで発疹が出て治るなどは、営血分の熱が皮膚に出てきたと見るようです。

もし営血分に有形の邪 (瘀熱) があるときは、瘀血だけを残しやすくなるので、駆瘀血剤を苦吠えるなどの考慮が必要となります。

また、気分薬と血分薬を組み合わせているということは、境界そのものが侵され、気分・営血分ともに病んでいるということです。営血分の熱は出たり入ったりしますが、これは往来寒熱とよく似ています。太陰開で陽明に出すのか、厥陰闔として押し込めるのか、その意思が揺れている状態です。だから小刻みに往来し、どちらなのかハッキリしません。

ハッキリしないのは、陰陽幅が少ないからです。だから脈幅も少なくなります。23条の桂麻各半湯で説明した内容です。よって、霊台に行くにはいきますが、陰陽幅 (脈幅) を増やしてからでないと、瀉法してはなりません。瀉法がうまくいったら、三陰交に行ってもいいし、上級者なら霊台の少し奥に営血分の熱があるので、それを瀉法すれば三陰交の邪熱も取れてしまいます。もちろん、微妙な処置なので、反応が感じられなければやってはなりません。

▶陽明なのに辛寒の理由

清熱といえば苦寒という印象ですが、石膏は辛寒です。そもそも陽明は闔で、奥に奥に、下に下にと邪熱を移動させて排便として排出します。ならばなおさら苦寒で瀉下するのが順当だと思うのですが、陽明には外に開く…という機能もあるのでしょうか?

そうではありません。私見を述べます。苦降を用いずに、石膏で辛開するのは、以下の2つの場合が考えられます。

①陽明胃腑に達していないもの。
②陽明胃腑を経由しないもの。

①は外感の邪が肌肉には達しているが、腑には達していない浅い段階のものです。たとえ病邪の勢いが強くとも、腑に達していなければ石膏です。白虎加人参湯証はこれに該当します。まだ胃家実を起こしていない段階ともいえるでしょう。石膏はそもそも外感熱病に使われます。その特徴は「大熱」です。陽明腑証の特徴は「潮熱」です。

②は陰陽幅が狭いものです。人体生命は球形 (陰陽幅が狭い) ともいえるしバウムクーヘン形 (陰陽幅が広い) ともいえます。狭いものは、肌肉から、陽明腑証を経由せずに、いきなり筋骨すなわち営血分に入ります。

▶鍼灸

よって、もうお分かりでしょうが、白虎加人参湯を鍼灸で行くなら、霊台などの督脈の要穴が有効です。人参の作用を出したければ、督脈で正気を補ってから邪熱を瀉せばいいし、白虎湯でいくなら、補法は軽めです。

というより、穴処そのものに正気を補うスペースがあるので、それに合わせれば、白虎湯になったり白虎加人参湯になったりします。しかし、それは相当腕の立つ上級者しかできませんので、まず理論でイメージを作ってから鍼をもっていくことが大切です。

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