気と血の関係…疏泄太過を考える

お世話になっております。
個人的な感覚になりますが、気が充実しているとしっかり疲れを感じブレーキがかかる気がします。

しかし気が足りないとそれが出来ず、休息が必要なのにも関わらず活動してしまいます。脚に気がなく冷えていると、文字通り浮き足立つ感覚です。

落ち着かないとしっかり休息出来ませんよね。

私は先天不足で小さな事でイライラしてしまいますが、過去へのこだわりが強く、嫌な記憶に苦しめられ昔の事をよく覚えています。すぐに切り替えて前を向けない為に喧嘩しても中々わだかまりが消えません。嫌な記憶ばかり蘇ると精神的に不安定になります。

気が足りなくなると不安になる傾向です。しっかりと気を充実させる事が出来れば前を向ける気がします。

未来は読めないので過去の経験を生かすのは大事ですが、こだわり過ぎてもなかなか前に進めない気がします。

内容の濃いコメントをいただきました。ご自身の体験からくる気についての考察です。

まず、前提となることを説明しておきます。

気と血は抱き合う

気は動でありハツラツさです。
血は静であり落ち着きです。

気と血は陰陽関係で、男女のように引きつけあい、抱き合う関係です。この抱き合った気血のことを単に「気」と表現することもあります。いわゆる「気一元」です。ややこしく感じるかも知れませんが、そうでもありません。

気と血は夫婦のようなもので、別行動はしません。いや、別行動することもあります。だだし別行動しているかのように見えて、心は一つなのです。これが気一元です。

陰陽図はこれをうまく表現しています。白い魚 (陽・気) と黒い魚 (陰・血) が抱き合い、一つの円満な姿を作っています。向いている方向は上と下で違うかのように見えますが、実は同じ方向に回っています。互いに真逆の姿をしながらも、同じ大きさで、しかも無駄な隙間がありません。矛盾していながらも、どこにも矛盾がないのです。

この円満な姿が、気一元すなわち広義の気です。

動は単独では成り立たず、「静」の力をかりて動でいられます。
動は気で、静は血です。その2つをあわせても、動です。
生命は「動」のために存在するからです。

気一元、すなわち抱き合う気血の本拠地は臍下丹田 (下腹部) です。
気血という夫婦の本拠地…つまりSweet Homeは臍下丹田なのです。

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ここをホームとして気血は抱き合ったまま、
気 (陽) が血を従えて上に伸びます。これが活動、陽です。
次に、血 (陰) が気を従えて下に縮みます。臍下丹田で、また伸びるための準備をするのです。これが休息 (睡眠) 、陰です。
正常な生命活動はこれを繰り返すことで行われます。

正確にはそういうことなのですが、これを詳しくいうと煩雑になるので、分かりやすくするために、

・上に伸びるもの (陽) を、気と表現する。
・下 (臍下丹田) に縮むもの (陰) を、血と表現する。

以下、これを踏まえて、コメント内容に説明を加えていきます。

≫気が充実しているとしっかり疲れを感じブレーキが掛かる

「気が上に伸びる」と「気が上に上る」は違います。伸びるのは臍下丹田を拠点としていますが、上るのは臍下丹田を見捨てています。上るのは良くないのです。

その上った気を下に下げて、臍下丹田に気を充実させることが治療の真の目的で、それが達成できれば、様々な病気が治るとされます。「気を下げる」と表現します。Sweet Homeには血が待っています。気血は再び抱き合い、落ち着いてホームで英気を養います。

臍下丹田に拠点をおいた気は正気です。ここに正気が充実することは落ち着きがあるということです。落ち着きは、病気を治すうえで必須です。落ち着いた状態で疲れを感じる…一番理想的な疲れの感じ方は眠さです。熟睡して疲れが取れます。

≫気が足りないとそれが出来ず、休息が必要なのにも関わらず活動してしまいます。

臍下丹田を拠点におかない気は、「気が上る」状態で上に集まり、邪気になります。気が上ると興奮状態になり、つらさを強く感じたり、体力以上のことをしているのにつらく感じなかったりします。簡単に言うと落ち着きがなくなるのです。

こういう状態を疏泄太過と言います。

“疏泄太過” は中医学の言葉ですが、本プログで紹介している “疏泄太過” は、ぼくがパイオニアとして切り開いている考え方です。
疏泄太過って何だろう をご参考に。
高齢者の頻尿… “疏泄太過” の手引 をご参考に。

夫は表舞台に出て働く、妻は家 (臍下丹田) を守るものであるとするならば、臍下丹田 (下) が弱るということは、そこを支配する妻 (血) が弱くなったということです。妻の求心力が弱くなると、気 (夫) がいい気になって表舞台 (上) に上って、血 (妻) が待つホーム (下) に帰ってこなくなる。すると血はますます弱り、気を引きつけ制御する力を失っていく (陰不制陽) 。そうなると気はますます血に未練が無くなります (陽不恋陰) 。

表舞台は活気づいているので、一見元気に見えます。しかしこの夫婦、いつ崩壊するかわからない不安定さがありますね。

しかも、そもそも「血は気の母」であり、気は血から作られます。つまり、血の後ろ盾なくして気は一人では生きていけないのです。そんな気の行く末は…。

いずれ打ちひしがれボロボロになって戻ってくるしかありません。

≫脚に気がなく冷えていると、文字通り浮き足立つ感覚です。

何でもそうですが、土台は下にあります。人体で言えば、土台はヘソより下の下半身 (下焦) になります。臍下丹田は下半身を支配します。つまり臍下丹田の虚ろさが足に気が集まらないことにつながります。

土台が弱くてグラグラすると、浮き足立ちます。

また、気には温煦作用があります。温める作用です。これが弱るとと冷えが出ます。寒は下に、熱は上に行く性質があるので、温煦が弱ると、まず足から冷えてきます。

≫落ち着かないとしっかり休息出来ませんよね

下は陰で、上は陽です。気が下に下るというのは陰の働きとも言えます。陰とは静です。落ち着きです。

逆に上に気が上るというのは陽の働きとも言えます。陽とは動です。ハツラツさです。

陰を土台とした陽であれば、下に土台がしっかりした状態で上に気を伸ばし到達させています。伸ばしたものは自由に縮められるので、すぐに下に気が下がって落ち着きます。これが元気な人の状態です。

陰を土台としていない陽であれば、舌に土台がない状態で上に気が浮き上がります。これは元の場所に引き寄せることができず、不自然に活動的な状態が続いて落ち着けません。不健康な人の状態です。

血 (妻) は下のホームにいます。血の力が強い…つまり妻らしさが強ければ、気 (夫) はそれに引き寄せられ、気と血はホームで抱き合います。これが落ち着きであり、明日のハツラツさを発揮するための「ため」です。しゃがまなければジャンプはできません。これも陰陽です。

屈信相感而利生焉。尺蠖之屈,以求信也。龍蛇之蟄,以存身也。
《易経・繫辞伝下》

【訳】屈伸は互いに協力し合って利が生まれる。シャクトリムシは屈によって伸を得る。龍蛇は蟄 (冬眠) によって命を保つ。

落ち着きも体力 (正気) です。血が落ち着きを主導する体力です。

≫私は先天不足で小さな事でイライラしてしまいますが、過去へのこだわりが強く、嫌な記憶に苦しめられ昔の事をよく覚えています。

小さい頃から何らかの病気や症状がある人、たとえば喘息とかアトピーとか便秘とか…は先天不足と言っていいですが、バランスの問題に過ぎない場合がほとんどです。

電車で例えてみます。上半身 (上焦) を1両目、下半身 (下焦・臍下丹田) を2両目と考えます。バランスの問題があるというのは、生まれつき2両目がガラガラ、1両目はギュウギュウになっているケースです。上がギュウギュウなので、頭や胸に緊張が起こりやすく、些細なことでも受け入れるスキマがないので、ストレスになりやすくなります。

1両目のお客さんが、半分2両目に移動してくれたならば、1両目も2両目も仲良く座れますね。

1両目 (気) と2両目 (血) がバランスよくつながっている、仲良く抱き合っている姿です。
そのためには、1両目と2両目の継ぎ目がしっかりしていなければなりません。つまり、上と下との継ぎ目です。これは中です。陰陽図で言えば、白と黒との境界線です。

中 (中焦) は脾胃です。後天ですね。後天が先天を補うのです。

≫気が足りなくなると不安になる傾向です。しっかりと気を充実させる事が出来れば前を向ける気がします。

ここは大切です。気には推動作用というのがあります。前に進む力です。血液も前に進んで流れます。後ろに進んだら大変です。経絡を巡行する気血も、進むべき方向というのがあって、これが「前」です。メンタルも同じで、前を向く、前に進むのが本来の姿です。もちろん後ろを振り返る、反省することは大切ですが、それは前に進むためのものです。要するに、後ろを向くから、前に進めるのです。

これも陰陽です。休息と活動に似ていますね。

気と血は抱き合っていますので、気が動けば血も動きます。
血はホームにいる (静) とも考えられますが、気と血は “心は一つ” なので、やはり一緒に動いている (動) のです。こういう側面を「営気」と表現していると思います。

≫過去の経験を生かすのは大事ですが、こだわり過ぎてもなかなか前に進めない気がします。

“3歩進んで2歩下がる” という言葉がありますが、下がることも必要です。失敗がないと進歩はありません。2歩下がることが3歩進むためであるならば、下がることも進歩と言えますね。全体として前に進んでいるのであればそれでいい。

下がるのも振り返るのも陰です。それをバネとして利用し、前に進むのが陽です。ここにも陰陽の関係があります。陰は陽のためにある。陽は陰から生まれる。失敗 (陰) がなければ成功 (陽) はありません。

疏泄太過 (陽) はかならず疏泄不及 (陰) となります。疏泄不及とは、滞って前に進めなくなることです。太過と不及という波のない、中庸をゆくことが目標です。太過も不及も、中庸をしるための道具として利用すれば良い。

陰と陽とは夫婦のように、お互いがお互いを活かし合う関係です。相反する概念でありながら、2つで1つの世界をつくる。

過去 (陰) にこだわるということは、陰に偏り過ぎでいる。だからから陽を生むことができない。つまり、陰と陽とのバランスがうまく取れていない。太極図で言えば、黒い魚が大きくて、白い魚が小さく、円満な丸い姿になっていないということかも知れません。

しゃがまなければジャンブはできません。退歩すること (陰) は大きな意味を持っている。しゃがむこと (陰) は飛躍 (陽) を生むために必要不可欠である。これを陰陽論は、東洋医学は教えてくれています。成功 (陽) しか知らない人には味がありません。あらゆる境遇を経てきた人には、言い知れぬ奥深さがあります。

大きく退歩 (陰) し、大きく進歩 (陽) することが、大きな陰陽の姿であり、大きな「気」なのです。

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