妊娠・出産・産後…疏泄太過と疏泄不及

【質問】
子供を授かり、それはありがたいのですが、産後の体調不良に悩んでいます。何に気をつけて生活していけばいいでしょうか。二人目も欲しいと思っているのですが…。

まずは、おめでとうございます。

授かったお子さんをこれから大切に育てつつ、ご自身もこれから健康的な生活を送り、健全な子育てをしていくということです。常に “今” がスタートラインです。良いことは伸ばし、悪いことは改めて行き、子供だけでなく、親も成長し続けてゆくのですね。

それを大前提として、これから注意すべき点、行うべき努力とは何なのかを中心に考えます。妊娠出産とは命を生み出す大仕事です。それだけに、知識としてシッカリ持っておくことは非常に重要だと思います。

まず、なぜ妊娠できるのか、出産できるのか、メカニズムから行きます。

▶︎妊娠の東洋医学的メカニズム

男性の精と、女性の精、この “二精” が合体して固有の精が生まれます。この “精” から何が生まれるのか。 “動” が生まれる。

精とは静です。ただし、ただの静ではありません。「動を生む寸前の静」です。

静は動を生みます。止まっているから動くことができる。ずっと動き続けているものはもう “動” ではありません。地球もずっと自転・公転しているので、止まっていますね。静があるから動がある。陰陽です。

動とは “気” です。気とは機能 (はたらき・うごき) のことで、実体を持ちません。陽とも言います。肉体という物質を動かすのは気です。

そして、動が生まれると “静” も生まれる。この静は「純粋な静」です。動と陰陽関係で対比される静です。ですから精と非常に似ていますが厳密には異なります。

精から動と静がほぼ同時に生まれる…と理解してください。

この静は “血” です。血とは物質ですね。物質は静 (動かない) です。血液だけでなく、物質的肉体 (筋肉とか骨とか) の総称と捉えてください。陰とも言います。

このようにして、精から気と血が生まれる。精から陽と陰が生まれるのですね。

気とは活動です。精神活動・肉体活動です。
血とは物質です。肉体です。

こうして心と体を持ち、その体を動かすことのできる「人間」が誕生するのですね。

東洋医学の「空間」って何だろう
ここでいう空間とは、前後・上下・左右・内外のことです。東洋医学には、これらの概念を用いた「空間弁証」というものがあります。近年生まれたばかりの概念で、藤本連風という日本人が提唱したものです。まだ東洋医学の中で定説とはなっていませんが、いずれ...

▶︎妊娠出産は “腎気”

健康的な妊娠出産とは、この3つ (精・気・血) がそろっていることが必要です。

まず、二精合体による “新しい精” ができなければ話になりません。この精が、まず気を生みます。それと同時に、その “気” の大きさに見合った “血” が生じます。血は精を土台として存在し、気を生みます。血は燃料、気は火であると考えてください。燃料と火、つまり気血という陰陽のバランスが取れているので、健全な子供が生まれるのです。

その母体もまた、気血のバランスが取れています。だから妊娠できるし安産です。そのバランスが子にも受け継がれる。

ところが臨床を見ていくと、必ずしもバランスが取れているとは限らないことがあります。気だけで妊娠・出産してしまっているものがある。血 (体) がついてきていないのです。

“気” だけでも妊娠はできるのです。

妊婦さんを診るときは、脈診の「右の尺位」に気をつけます。ここが太く脈打っていれば流産しません。ここが細くなると流産のリスクが高くなります。右の尺位とは、  “命門の火” を表します。命門の火とは “腎気” のこと、つまり気のことです。

つまり、不妊は腎気が足りないのですね。そして、腎気 (火) が足りない原因は血 (燃料) が足りないということ、これは悪いなりに自然な姿です。燃料が足りないから、体は妊娠を “危険だ” と判断するのです。

ところが、燃料が足りなくても火が燃え盛っていることがある。

腎気さえあれば、妊娠できます。逆子にもならないし、予定日に子宮口は開くし、安産でもあります。これらがうまくいくためには腎気さえあればいい。

しかし、もし血 (体) がついてこない、燃料がついてこないとなると、その後が大変になります。

しかも、いつ “大変になる” かは予測できません。これが燃料が少なくなった時の特徴です。

▶︎血 (燃料) が後回しに?

さきほど腎気を火に、血を燃料に例えました。あらためて、石油ストーブで説明します。

血とは燃料、つまり石油です。
気とは火、つまり温かさです。

普通は、燃料が足りていて火が燃えていますね? しかし、燃料が底をつきそうなのに火が燃えている場合もあります。部屋はすごく温かい。でも、次の瞬間は…。ご存知のように、出産後に病気を発症する人はいくらでもいますね。

次の瞬間でなくとも、数時間経過して後にストーブが機能しなくなるかもしれません。40、50代と重なることもありえるのです。

弱かった人が、産後から見違えるように元気になる人もいますね。これは瘀血が下ったからだ…と教わり、かつての僕はそう信じて疑いませんでした。しかし、患者さん方のお話を何時間もかけて詳しく問診していると、必ずしもそうではない、燃料が足りないのに部屋が正常に温かい状態になっている人がたくさんいることに気が付きました。足りない石油を気前よく火に変え過ぎている。使ってはならない “老後の定期預金” まで切り崩してしまっている。

これは “疏泄太過” の一つの形態です。出産では急に臍下丹田が虚します。臍下丹田の求心力の弱りは、疏泄太過の原因となります。

臍下丹田 (下焦) は、気 (夫) と血 (妻) のスイートホームであり、その家は妻が支配します。夫は表舞台 (上焦) に出向して働きます。臍下丹田が虚すということは、妻が求心力を失うということです。すると夫が家に戻ってこなくなります。その結果、表舞台のみに気が集まり、活動的であり続けられるものの、夫婦関係はいつ瓦解するか分からない不安定な状態となります。表舞台に気が疏泄したままになる。疏泄太過の一つの臨床表現です。

気と血の関係…疏泄太過を考える をご参考に。
高齢者の頻尿… “疏泄太過” の手引 をご参考に。
疏泄太過って何だろう をご参考に。

切迫流産というのがありますね。これは、 「燃料が足りない、このままではやばい!」 と体がブレーキをかけている姿でもあります。たとえ本人は元気でも、入院してジッとしているしかなく、でもこの間に火力は節約され、石油が増えているのです。

疏泄太過 (陽) を起こそうとしたのを、体がそうはさせまいと疏泄不及 (陰) に陰陽転化させた。この転化はとても大切で、もしこれが起こらなければ “生命の拡散” が止まりません。

  • 疏泄太過とは、スムーズすぎる生命の拡散です。命が漏出する。スムーズすぎる燃料の消費と火力の増大です。つらさを感じません。健康と見誤りやすいですが、似て非なるものです。
  • 疏泄不及とは、滞りです。スムーズすぎる拡散を防ぐために症状を出し、命を閉じ込め、火力を抑えて燃料を確保します。つらさを感じます。一般にいわれる “病気” です。

▶︎アリとキリギリス

貯金もないのに海外旅行ばっかりしてる。そのツケはいつか精算しなければならない。これは、切迫流産で一時的にジッとさせられることの比ではありません。

ツケがある。

その収支をよく理解して、ツケがあるならこれを返していく。そうすれば何も恐くはありません。ただ、いったん借金ができてしまうと、それを返すのが思った以上に難しい…というだけのことです。 “海外旅行” に慣れてしまっているからです。

“夏のキリギリス” に、なってはいけない、してはいけない。

血も燃料も貯金も “深いところ” にある。だから今どうなっているかが見えにくい。気づけないのは無理からぬところですが…。

しかしこれは、とても大切な考え方です。そこに段差が「あるかもしれない」と注意している人は、つまずきません。段差など「あるわけがない」と油断している人は、つまずきやすくなります。

▶︎虚実がテーマ

妊娠・出産・産後を通じて、東洋医学を用いた治療をする場合、「収支」を見抜く力が不可欠です。石油があとどの程度あるかを知っている人でないと、火力を強めてはいけないのです。

しかし、それを知らなくても火力は強くできます。これが “蛮補” です。

燃料の残量にそぐわない火力は邪気です。この邪気は見えにくい。見えにくいが、正気 (燃料) を邪魔し、確実に追い詰めてゆく。正気と邪気、結局は虚実です。虚実という基本かつ永遠のテーマがいかに見えているか。

壯火之氣衰.少火之氣壯.<素問・陰陽應象大論 05>
【訳】
壮火 (強すぎる火) のもと気 (正気・生命) は衰える。
少火 (ほどよい火) のもと気 (正気・生命) は盛んとなる。

強すぎる火 (壮火) に「うるおい (血) 」を与えると、ほどよい火 (少火) になります。
強すぎる火 (壮火) に「燃料 (血) 」を与えると、壮火はますます暴れだします。

単に血を補えばよいというわけではなく、壮火そのものを減ずることこそ大切です。壮火とは “欲” です。 “怒” です。補血でこれらが下火になる時もあれば、ますます炎上することもあるのですね。壮火を少火に変える「こころの瀉法」…これは単にどこかを刺激したり何かを飲んだりすれば良いというわけでなく、真心のこもった “指導” が随所で必要です。そういうことができる力量が必要です。

状況を常に診立て、その診立てに基づいて、「からだ」を治す時、「こころ」を治す時、それを判断する。その出し入れが自由自在にできる。「からだ」と「こころ」は陰陽、どちらに偏しても邪気を作ります。

そのような治療や指導ができれば、それによって邪気が浮き、取り去ること (瀉法) が可能になります。

▶︎持続可能な考え方

現代社会は、ほとんどの人が 気>血、すなわち疏泄太過です。

変なところで無理をしすぎている。欲 (食欲・行動欲・金銭欲・利己欲) の制御ができない。怒りの制御ができない。これらはすべて “邪気” です。 “壮火” です。そして、これらはすべて “不自然” です。

簡単に言えば、まずはホッとさせる治療です。そして、欲の行き過ぎは良くないなあ、プリプリ怒るのは良くないなあ、と心から思えてくる治療です。よい治療ならば、かならずそういう変化があります。疏泄太過を中庸に戻し、気も血も仲良く和合する状態にします。これが “自然” です。

自然でさえあれば、体の燃費が良くなりガソリン (血) が減りません。スピード (気) の出し過ぎも無くなります。事故のない安全運転は、かえって目的地に早く着くものです。

その結果として得られた妊娠が、安全で健康的…、つまり、持続可能な妊娠・出産・育児となります。

持続可能とは、これからさきの母と子の、生涯に渡る “健康と成長” です。その収支を、ちゃんと見届けた治療をする。

これが “自然” にのっとった本来の東洋医学です。

ぼく個人としては、不妊治療で妊娠・出産が得られた時ほどうれしいものはありません。結果がはっきりするからでしょうか。命が生まれるからでしょうか。とにかく、難病を治したときよりも嬉しい。

その喜びを得るためにも、“自然” とは何か、治療家がよく理解する。そして患者さんの体が、 “自然” であるにはどうしたらいいか、よく考える。

▶︎ “自然” への介入

そもそも、妊娠・出産というのは自然なことです。自然がなせる技です。

ところが、この “自然” に、我々は “介入” できるようになった。

東洋思想は “天人合一” が基本です。 “天” とは日月星辰そして地球をも包み込む「大自然 」です。そして “人” はその大いなる自然の「縮図」です。大自然と人は相似関係 (大きな正三角形と小さな正三角形) にあります。そういう前提をふまえてお話を進めています。

▶︎一線はどこに

火を使うこと、自然に介入すること、それほど悪いことでしょうか?

悪いことではありません。必要です。少しならいいのです。

少火が壮火になると邪気です。

地球温暖化と共通しますね。真鍋叔郎さんがノーベル賞を受賞された今、これは人類共通の認識といえるでしょう。

では、 “一線” とはどこなのか。何で判断すればいいのか。これは、自分のために、そしてまだ見ぬ子のために、我々自身が考えるべきことです。 “いま” のためではなく、未来を見据えた “いま” のために。

その指標を、気と血のバランス、陰陽のバランス、すなわち東洋医学は、指し示すだけものを持っていると思うのです。

太極図に見る陰陽とは、丸く円満具足、世の中に不必要なものは何もない、という前提を示す円形です。まるで受精卵のようですね。善も悪も、自然も人工も、幸せもつらさも、得ることも失うことも、有るか無いかにいたるまで、すべて意味のあること、使命のあること、必要不可欠なもの、それが円満な形で具有される。

その円満な形を持続する唯一の道…

それが “自然 (じねん) ” なのです。

自然 (じねん) って何だろう
自然を眺めてみます。まず目に映るのは生命です。それは草木、樹木です。植物は静止しているかに見えて、少しずつ成長しています。勝手に、しなやかに、美しく健全に成長しています。成長の向かう方向、それは肯定的であり、健全にして健康です。

▶︎まとめ

“今さえ便利で楽しければいい。数十年後? さあ、ま いいんじゃない?”

たしかに、 “いま” は満たされます。しかし…

今と未来…そういう陰陽のバランスを欠いている。
火と燃料…そういう陰陽のバランスを欠いている。

人体も地球も、その環境を守りつつ、持続可能な営みが大切です。持続可能であるために、どの程度の “介入” ならば許されるのか。それは自分のことだけではなく、これから “温暖化” という「困難」に直面するであろう “次世代” という「未来」のことをも、「親身」になって考えなければ解けない問題でしょう。

真に自然な妊娠・出産であれば、その後のことも、川のごとくスムーズに流れていくのです。

そして今、もしも不自然さがあるならば、それを今から “自然” に変えてゆけばいい。その都度その都度変えてゆく。今から地球を大切に、今から心身を大切に、丁寧に丁寧に。

それが進歩であり、成長であり、そして本当の “自然 (じねん) ” であると言い切ってはばかりません。

 

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