「先生、前回の治療なんですけど、右膝が何をやっても重くて、痛くて仕方なかったんです。それが治療を受けて、翌朝起きたらすごく軽くて、楽になっていて、…どうしてそんなことが起こるんでしょうか。」
前回治療は2026/7/2 (木) 。
今日は1週間後の7/9 (木) である。
66歳。男性。整体師。ぼくとつで温厚、多くは語らない人柄である。それが、職業がらもあってか自分から口を切られた。
丁寧に答えた。
「なるほど、では真面目にお答えしますね。それはね、体を人間として扱うからなんですよ。整形外科では体をモノ (物質) として扱いますね? 膝もモノとして扱います。靭帯がどうとか半月板ががどうとか、それってモノなんですよ。たとえば僕が、誰かにモノ扱いされるとしますね。すると僕はその人に機械的にしか対応しません。冷たく振る舞う。みんなそうでしょ? 膝もそうなんです。モノ扱いだと、機械的な冷たい反応しか返ってこない。人間として扱ってもらうとしますね。僕なら真心で返します。膝もそうなんですよ。その人にできるだけのことをしてあげたい。温かい反応を返してくる。それが治るということです。」
「人間…ですか…。」
前回治療では、全体の正気レベルは悪くなかったが、右膝の正気レベルが極端に悪くなっていた。原因は何かと思って探すと、照海が反応していた。これは「陰」の窮乏を意味する。陰とは、やすらぎ・おちつきである。多くは夜ふかしが照海の反応につながることが多いので、当該患者に聞いてみたが、寝る時間はいつもと変わらないとのことだった。なにか陰が弱ることをしていないか聞くと、最近車で県外に外出することが多いとのことである。なるほど、この一週間、梅雨の雨が続いている。
「雨の時はね、陰 (おちつき) をチャージするのに向くんです。だから逆に、そういう日に活動すると陰を損ないます。ゆっくりしたほうがいい。ただし仕事は雨でもしなきゃいけませんね。その事情は体も分かってくれているので、一緒に頑張ってくれるんですよ。でも、もしそれが無用の外出であるならば、体は “コラッ” てやってきます。」
この瞬間、照海の反応が取れた。当該患者が「そうか、それなら気をつけよう」と思ったからである。と同時に、右膝正気レベルが全体正気レベル (可もなく不可もなく) に追いついた。全体と部分 (右膝) がリンクしたので、全体を良くすれば部分も良くなるという構図が出来上がった。
ここで関元に一本鍼、これで全体正気レベルを上げ、部分正気レベルもそれに追従させる。
この日は照海の反応とともに、当該患者としては珍しく紅舌を呈していた。急性に陰虚内熱が生じ、それが右膝という部分に現れたのである。それを、養生指導と関元穴のダブルで取り去る。
こういうアプローチを前回治療時にしていたのである。

そして今日。
膝が、その翌朝にかけて急回復したことへの驚きを口にした。なぜこんなに早く治るんだろう。
右膝には言い分があった。「雨の日の休日くらいゆっくりしてよ!」…それを僕が代弁した。すると当該患者が「そうか、それなら気をつけてみるよ」と思う、それを右膝は聞いていた。「そうなんだよ、それを分かってほしかったんだ。分かったくれたんだね。もう、それだけで十分だよ。ありがとう。」
そしてすかさず僕は、右膝の気持ちを伝えたのである。
「100点じゃなくて良いんです。合格点でありさえしたらそれでいい。いま〇〇さんが “これくらいなら自分でもできるかな” と思った、その思った分が合格点です。そしてそれをそのまま実行に移す。それが合格です。」
この瞬間、当該患者と右膝 (=体) が和合した。仲良くなった。
だから右膝は何も言わなくなった。
真の治癒である。


整形外科として扱うと、生体はモノとして振る舞う。人間として扱うと、生体はイノチとして振る舞う。まるで量子力学のマクロ版である。 “世界で最も美しい実験” と呼ばれる二重スリット実験では、すべての粒子 (モノ) は「粒子と波動の二重性」という法則を持っていることが実証されている。粒子 (モノ) は、観測すると (見ると) モノとしての性質のまま振る舞うが、観測しないと「可能性の波」が広がって波動さながらに振る舞う。つまり、観測するまではこの世のすべては波動であり、観測した時点ではじめて粒子 (モノ) として存在する (発見される) のである (存在確率)。「可能性の波」を求めるならば、観測してはならない。つまり、物理学的 (古典ニュートン力学的) 法則を無視した結果 (奇跡) を求めるならば、「見ちゃダメ」なのだ。「見る」とは? 物質的に見ることである。モノとして見ることである。古典ニュートン力学的に見ることである。整形外科的に見ることである。西洋医学的に見ることである。では、どう見たらいいのか? ミクロの世界の物理学である量子力学を、ニュートン力学としてしか見えてこないマクロの世界で、しかも医療的に応用するにはどうしたらいいのか? ここが今後の思案のしどころであり、本ページでそのヒントを導くことができれば幸いである。
>> 逆証 (死の証) のさらなる考察…量子 (ミクロ) と地球 (マクロ) と人体
人体を物質として捉えるやり方はニュートン力学を基礎としたものであり、それを西洋医学は極めたと言っていい。戦争や交通事故などによる大怪我は、それによって起死回生の著効が得られた。しかし病院にあふれかえる患者の多さは、視覚的・物理的なその手法が限界まで来たことを意味するのではないか。たとえば銃弾が発射されて体に命中した場合、原因は銃弾という物質なので、物質的な外科手術がベストである。それと同じように今回の症例を捉えてよいのか? 後述するように、本症例の原因が「雨天時の無用外出」であるならば、その原因は「情動による行動」である。これは物質ではない。銃弾ならば発射された瞬間に結果は決まるが、「情動による行動」は行き着くところまで行くまでは可能性の広がりがある。「銃弾のような物質」を病因として特定せず、「情動による行動」つまり生活習慣を病因として特定する場合、それは「可能性の波」であることを医療者は認識するべきである。そしてその波 (波動関数) を、治癒という的 (まと) に命中させる (波動関数の収縮) には、視覚的・物理的な手法 (古典ニュートン力学) はそぐわない。…と、ここまでは明白にいえることである。