幻覚・幻聴… 統合失調症の症例

29歳、女性。2023年5月26日初診。

午前の診療も終わりかけの頃、電話が鳴った。

受付「ああ、お久しぶりです。娘さんですか。初診ですね。ええ〜と、今日午後1時からの初診枠には往診が入っているのてちょっと無理で、明日も初診の予約が入っていて、あさっては日曜なので、初診の方は早くても週明けになってしまうんですが…。」

僕「どなたさんから?」

受付「〇〇さんからです。今朝から娘さんが統合失調症で幻覚・幻聴がひどくて、診てもらえないかということなんですけど…。」

他府県の患者さんである。

僕「ちょっと変わって。…ああ、もしもしご無沙汰しております。娘さんが “急を要する状態” なんですね?」

「そうなんです…。」

僕「これから往診先に電話して、時間をずらせてもらえるように頼んでみます。1時にお越しください。時間があまりないので、その中でできるだけのことをさせていただきます。」

施術所は『駆け込み寺』でなくてはならない。これは名医・藤本蓮風先生の教えでもある。午後1時から初診、しかも簡単には行かない統合失調症の急性期、その初診を終えたらすぐ車に乗り込み、往診で2人の患者さんを診て、そして午後診までに戻る!

相手は急性の統合失調症である。一筋縄ではいかないのは承知の上、しかしここは「診る」。患者さんが今、助けを求めておられるのだ。決断は早く、そしてゆるがない。

ここまでの経過

母親の運転で来院。

1年前に統合失調症を発症する。抗神経病薬 (リスパダールOD1㎎) の服用を続けて落ち着き、ここ3ヶ月は薬なしで生活できていた。薬を常用していた時期に、副作用としてのアカシジアを起こした経験がある。

病気のために仕事は週に半分くらいの勤務にしていたが、調子がいいので週4、週5と出勤日を増やしていくと、目の痛みが出た。開いていられないくらい目が痛く、眼科で目薬をもらって使用すると痛みが取れた。目薬の使用は40日ほど前からで、今も使用している。

そんな中、4日前から急に幻覚・幻聴・不随意運動 (震えをともなう) が起こる。
・頭を指でつつかれる。
・耳の穴に指を差し込まれる。
・肩をつかまれる。
・足首をつかまれる。
・声が聞こえる。
・前腕が回外方向に勝手に動く。

抗神経病薬の錠剤 (リスパダールOD1㎎) の服用を4日前から再開する。

ところが、今朝から症状がさらに強くなった。薬を飲み、仕事を休んでいるにも関わらず、である。

そこで、さらに強力で即効性のある液剤 (リスパダール内用液1mL) を使用する。これは酷いときのみに頓服として飲むよう医師から指導されている薬である。

初診時、液剤が効いているのでボーっとしているとのことであるが、受け答えはシッカリしている。本人いわく、液剤はかなり強力で長時間 (8時間くらい) 効くので、今はそれが効いて、つつかれたりつかまれたりの幻覚は無い。ただし幻聴の「声」は聞こえている。不安感が強く、いても立ってもいられない状態である。

原因は血虚

なぜこのような症状が起きるのか。

血の弱り (血虚) である。

東洋医学の「血」って何だろう をご参考に。
血虚証 をご参考に。

これは当該患者の舌の写真である。全体に赤く (紅舌) 、邪熱があることがうかがえる。しかし邪熱は現時点での主体ではない。邪熱はあるにはあるのだが、それを取るのは弱った血を補ってからである。

この舌診で血の弱り (血虚) が見て取れるのだが、これだけ赤いと一見して見破りにくい。そもそも血虚の証候は淡い色であり、こんな赤い色ではないのである。

それでも血虚があると見破るポイントは、舌裏の透明感である。ゼリーのような透過性があることが分かるだろうか。透過性を診るのは僕のオリジナルだが、血虚を示すと考えている。ちなみに舌の表側は苔が覆っているので舌そのもの (舌体) は診断しにくい。

血脱者.色白夭然不澤.其脉空虚.此其候也.《霊枢・決氣 30》

夭然とは、みずみずしく、なまめかしい様子である。
不沢とは、生命の源である血が足りない様子である。

夭然とは をご参考に。

この写真の舌裏に、これを感じ取れるだろうか。

スピードあり、燃料なし

血とは燃料である。

車で言えばガソリンである。ガソリンが足りなくなったら車は? 何も変わらない。相変わらず時速100kmが出る。

ただし不安定である。

・時速100km
・ガス欠寸前の不安定さ
この矛盾する両者が生むのは “過敏さ” である。血 (燃料) が足りなくなると、気が立つ (気滞や気逆が生じる) のである。

光が眩しい、音がうるさい、あいつがうざい。これもすべて過敏さである。発達障害でもよく見られるが、東洋医学的に見るとみな血虚が関与する。本来受容できるはずの些細な刺激や情報が、まさに針小棒大に感じられる。あいさつ程度に肩に手を触れられただけで、金属バットで殴られたように感じるのである。

肝魂と肺魄▶幻覚・幻聴 をご参考に。

その延長が、統合失調症である…そう考えると分かりやすいだろうか。たとえば体性感覚は、たとえば左のほっぺたに意識を置くとそこに違和感を生じる。右のほっぺたに意識わ置くとやはり違和感を生じる。しかしその違和感は些細に過ぎるものであるため、すぐに忘れてしまう。しかし時速100kmとガス欠寸前によって生じる独特の緊張感は、その些細な違和感を大げさにし、リアルなものとするのである。

スピードを落とす必要がある。10から8程度で良い。スピードが出すぎていると急発進・急停車となり、燃費が悪くなる。ほんの少しスピードをゆるめれば、燃費は少し良くなる。その「少し」の積み重ねは、ガソリンの大きな蓄積となる。血の、大きな蓄積となるのである。

血が強くなれば、安定する。安定すれば、変なものは見えなくなるし、いわれのない声も聞こえなくなるし、体をつかんでも来なくなる。

時速100kmとは…肝気偏旺。疏泄太過
ガス欠寸前とは…血虚である。

この得体のしれない不安感は、スピードを無理やりにでも落とそうとするブレーキ、体が必死で踏み込んだ急ブレーキだったのだ。

ブレーキが壊れる

じつは、4日前から統合失調症の症状が出るその前に、もっとやさしいブレーキがあった。

目の痛みである。

ここまでの経過を読んでいただければ、ある「その場しのぎ」がそのブレーキを「破壊した」ことが分かるであろう。そこがターニングポイントだった。その使用を始めてから眼痛は見られなくなった。しかしまもなく、眼痛と「入れ替わるように」幻覚幻聴が起こった。

「その場しのぎ」が分かれ道?… 〇〇と入れ替わるように✕✕が起こる
中医臨床からの視点。悪化とは何か。改善とは何か。病因を改善することの大切さを考える。

目が開けられないほど痛ければ、閉じていればいい。それが最善の方法である。にも関わらず、われわれは目を閉じることを良しとせず、自分の見たいものを見たいと思い、したいことをしたいと思い、その欲が抑えられない。だから別の方法に逃げる。

目を閉じれば、陰が補われる。陰とは血である。落ち着き・安らぎ・潤いである。

体がブレーキを、せっかく踏んでくれているのである。それを邪魔したのでスビードはますます上がり、本当にガス欠が起こる寸前に陥ったのである。ちなみに本当に本当にガス欠になると人間は死ぬ。血虚→血脱→気脱→亡陽という過程を取り、死に至る。

そうなると困るので、気がおかしくなるくらいの急ブレーキを、体がかけたのである。

胆とは

胆が弱るとリアルに怖い

こうして血の弱りが生じる。この弱りは、「胆」の燃料も足りなくさせている。

左胆兪に、虚の反応が出ているのである。

胆 (たん) とは、キモである。 “胆力 (たんりょく) が備わる” “胆 (きも) がすわる” “胆っ玉が強い” などの慣用表現があるように、胆が強い人は決断力がある。たとえば、こういうことは気にしても仕方ないと判断すると、もう取越苦労はしないという決断をする。ここは気にすべきだと判断すると、手を抜かずに気配りをする決断をする。

▶胆の字源

「肝」もキモと読むが、こちらは “肝心要 (かんじんかなめ) ” “ここがキモだ” など、重要なものを示すイメージが強い。「干」は幹を表す。根幹・基幹・本幹となるものである。

「胆」は、もともとの字は「膽」で、「詹セン」は、絶え間なく話す・くどくどしつこくものを言うという意味で用いられる。本義を古典にたどってみよう。

大言炎炎,小言詹詹。《庄子》

この表現は、言葉の陰陽的な対比である。
「大言炎炎」とは、大声かつ大げさな言葉を意味し、言葉が燃え盛るように響き渡る様子である。ここでの「炎炎」は炎が舞い上がる様子である。
一方、「小言詹詹」とは、小声かつ控えめな言葉を意味し、言葉がささやくように軽やかに響く様子である。ここでの「詹詹」は言葉がサラサラと流れる様子である。

胆汁が少しずつ排出され、しかもサラサラと疏泄する様子が「胆」の字源字義である。胆の疏泄は “炎炎エンエン” ではなく、 “詹詹センセン” なのである。

ところが、胆に血が足りずにこれが弱ると…。

胆は肝と同じく、疏泄を主 (つかさど) り、血によって支えられている。もともと胆にウイークポイントがある人は、血が弱ると胆が弱くなり、胆力 (決断力) がなくなる。気の流暢さが得られなくなり、
気にしても仕方がないことをリアルに気にする。
心配しても仕方ないことをリアルに心配する。
怖がらなくても大丈夫なことがリアルに死ぬほど怖い。

その延長線上に統合失調症はあるのだ。

胆気虚怯

パニック発作の病理も、基本的な部分はこの説明と同様である。

このような胆の弱りのことを、胆気虚怯という。情報や刺激をうまく捌 (さば) けず、不安や恐怖を感じ、ビクビクするのが特徴である。胆気虚怯は、気虚は気虚でも血虚から発展して生じた気虚である。だから不安定なのである。

胆は肝に支えられている。肝は血に支えられている。胆を支えるベースは肝であり血である。よって肝証 (肝鬱や肝火) と血虚 (肝血虚) が必ず背後にある。

また気虚があれば温煦作用が衰えて寒証が出るし、肝火があれば口苦などの熱証も現れる。胆病に寒熱が並立するのは胆が少陽であることを考えると当然のことではある。

また胆は六腑の一つであり、消化器の一部である。肝血虚ベースの肝鬱で胆が弱ると水湿が疏泄できなくなり、痰湿が生じる。この痰湿を、とりあえずさばくのが温胆湯である。

血を強くせよ

つまるところ、血を強くすればいい。

そのためには血がどうやってできていくかを知る必要がある。

言うまでもなく、血は飲食物から作られる。作るのは脾胃 (消化・吸収・気化・栄養機能) であり、ここで「血の赤ちゃん」が誕生する。

赤ちゃんのままでは使えないので、これを「大人の血」に成熟させる必要がある。それが夜の睡眠であり、早寝早起きである。これで働ける血として完成する。

完成した血を無駄遣いしては話にならない。もっとも無駄遣いするのは目の使い過ぎ、それにともなう頭の使い過ぎである。

目を使ってしまった

ところが当該患者は、食生活に問題があって、仕事の日の朝はコンビニでクリームパンやアンパンで済まし、夜はスーパーのお惣菜のみで白米はあれば食べるという調子である。一人暮らしをしているのだが、若い人はこういうパターンに陥りやすい。

就寝は午前1時。

週の半分は休みにしているが、休みの日は午前10時に目覚め、12時ごろにおかきやインスタント食品を口にして朝食代わりにする。

もちろん仕事を週4・週5と増やしたことは、さらに血を消耗する引き金となったが、これは「大切な」仕事なので一番目の原因とすべきではない。第一義は「特に大切にせねばならぬものではないもの」とすべきである。すなわち、アンパン・クリームパン・スマホの夜更かしである。これらが仕事以上に大切なものと言えるだろうか。これらを改善した上で、なお仕事のし過ぎが問題になるのならば、仕事量を減らすことを考える。これが順番である。

そういう生活が血を消耗していることに気づけず、それが原因で前出の「目の痛み」が出たことにも気づけていない。目薬で痛みは止まったが、生活習慣の乱れは止まらない。

むしろ目が痛くないことにより、スマホなどを見る時間は増える。

久視傷血.《素問・宣明五氣 23》
【訓読】久しく視れば血を傷 (やぶ) る。
【意訳】目を使いすぎると血を消耗する。

血の消耗が、急加速することとなる。ガス欠寸前の時速100kmである。

その結果として「気の乱れ」が生じ、幻覚が見え幻聴が聞こえるまでに「リアルな不安」が生まれたのである。

成長してほしい

しかし、そうは言っても生活習慣とは改善しにくいものである。

完璧主義の人ほど、養生を息苦しいと感じる。これは価値観に誤りがあるからである。

完璧主義はよくない。成長主義が正しい。

完璧でなくとも、1mm、1cmの成長があればいい。健康はその上に乗っかる。
理想を見つつ、しかし理想にはとどかなくてもいい。これが正しい心構えである。

太陽にはとどかない、でも成長をやめない
成長とは何か。これを自然から学ぶ。植物の成長である。

百会に一本鍼

以上の説明を与える。鍼をせずとも、これだけで患者さんは落ち着く場合が多い。なぜこんな症状が起こったのか、理由が腑に落ちるからである。

このように「気の乱れ」を落ち着かせてから鍼を打つ。非常に大切なことである。

そのためには、患者さんを理解することが大切。理解するには知識と経験が豊富であることが大切。知識が豊富であるためには勉強が大切。経験が豊富であるためには、世の中のあらゆる苦難から逃げずに向き合うことが大切である。
落ち着かせてから鍼を打つから、さらに整うのである。

百会に一本鍼。補法。2番鍼を1mm刺入し、1分間置鍼する。抜鍼後5分休憩させて治療を終える。

笑顔で挨拶して院を辞し、母親とともに帰路についた。

2診目 (6月1日)

その6日後、6月1日 (木) に再診。初診日 5月26日 (金) からの経過を聞くと…。

帰りの車中、不安感は無くなっていた。
診察中は聞こえていた幻聴の声も無くなっていた。
初診の夜は、眠くて眠くてたまらず、午後6時に寝た。午後11時にいったん目覚め、またすぐに寝て起きたら翌朝の7時だった。

こように7時に起きて、その日 5月27日 (土) は調子が良かったので仕事に行った。しかし仕事中に症状が出そうになり、この日だけ薬を飲んだ。

次の日は日曜日で休み、月曜日から今日 6月1日 (木) まで、仕事を休ませてもらっている。

生活には気をつけている。体の反応も大幅に改善している。

初診時は左肺兪に12cmもの大きな虚の反応が現れていたが、もう見受けられない。正気が回復した証候である。煩雑になるので省いたが、肺衛 (肺の衛気) が弱って表証を呈していたのである。表証によって内熱が閉じ込められて暴れる。だから幻覚・幻聴に伴う焦燥感 (熱) がひどかったのだ。

表証の説明… 冷えに取り囲まれた「カゼ」のような病態 をご参考に。

このように、効く治療とは病態を把握する力 (患者さんを理解する力) があって初めて成り立つ。日々の勉強で得た力だけでなく、列挙した多くの意味付けを一本の鍼に封じ込める。だから効くのである。

ストレスから不安になるのが常であったが、それが少なくて済んでいる。血が回復しつつあるのだ。

今日まで5日間、薬なし。

幻覚・幻聴は出ていない。

治療は初診におなじ。

3診目 (6月15日)

2診目 6月1日 (木) から2週間後 6月15日 (木) に来院する。経過を聞くと…。

6月3日 (土) まで仕事を休んだ。翌週からは5日間皆勤、今週も今のところ休まず仕事ができている。薬を飲むレベルの症状は一度も出ていない。

百会に補法。3番鍼を1mm刺入し、5分間置鍼。

他府県にお住まいの20歳代、治療機会は得がたいことは分かっていた。
しかも、緊急の受け入れで強行軍。

だが、診させていただいて本当によかった。

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