怒りが即座にスッキリした理由

かつて、怒りが「祈り」によって解決した症例を紹介した。

ストレス ✕ 〇〇 = 幸せ
心身一如。これが東洋医学の基本である。体を見て心を読み解く。心を見て体を読み解く。互いが互いを助け合う陰陽。その陰と陽である「こころ」と「からだ」に共鳴できれば、動くはずのないものがその場で動くこともある。

今回は、全く違う切り口である。
怒りに打ち震える人が、次の瞬間「先生、なんかスッキリしました…」と漏らされた。

心と体は一体のものであるとする中国伝統医学は、机上のものではない。

症例

男性。27歳。2024年2月10日。

幼い頃からのアトピー (手指の割れ・首・肘など) が当院で治癒し、健康維持のために通院を続けている方である。

助手の予診に答える当該患者の声が、カーテン越しに聞こえてくる。いつもは物静かな方だが、すごく怒っている。なにやら仕事でひどい目にあったらしい。今日は声が大きく、訴えが止まらない。助手も切り上げるタイミングを測りかねている。

あとで助手に聞くところによると、新規採用で入った新人男性がいて、当該患者はその世話を任されたが、その新人は普段からやる気がなく、「やる気はあるんだよね? 」と優しく言うと逆ギレしてそれから職場に来なくなり、同棲中の彼女から怒りの電話があって身にに覚えのないことをさんざん言われたあげく裁判で訴えるとまで言われ、そしてその母親が職場までクレームを言いにやってきて、対応した上司もブチギレた…という話であったらしい。

後日、すなわち次回の診察は心穏やかに来院され、そのとき助手が当該患者にうかがうところによると、1週間に2回も慰労会があったため、 “ゆうべ飲みすぎました…” と訴えられたという。1回目は課長主催のもの、2回目は係長主催のもので、当該患者他数名をねぎらう会であった。

診察室に入ると、怒りで顔つきまで変わっている。

僕はこういう場合、時間の許す限り話を聞いてあげて、患者さんの気持ちが落ち着くのを待ち、相手が受け入れられるタイミングを見極めながら、気持ちの持ち方の指導をする。ていねいにやれば小一時間かかる。

無刺大怒.令人氣逆.《素問・刺禁論52》とあるように、すごく怒っている人に鍼をするのは気をつけるべきである。気逆を起こす恐れがあると《素問》は注意を促している。まず、落ち着かせてから鍼を打つ必要があるが、それを短時間で行うのはすごく難しい。

しかし、今日はその時間がない。一人の患者さんにかけることのできる時間は、10分間しかない。その間に望診・舌診・脈診・切経・選穴を5分ほどで行う。刺鍼・抜鍼・効果判定に2分ほどかかる。つまり話ができるのは3分くらいしか無い。

  • 脈… “パン・パン” と弾んでいる。かつ非常に太い脈 。ただし無根で虚脈に分類される。いわゆる大脈に相当するが、ただ太いだけではない。診断上非常に重要で、まま見られるので、「弾脈」として個人的に分類している。
  • 邪熱スコア…左不容から左巨髎の終点に達し、右不容から再出発して歩廊にまで達している。入院レベルの異変があると見る。
  • 痰湿スコア…厲兌から足三里までに留まっている。これはギリギリではあるが合格 (合否のボーダー) である。
  • 曲池 (痰湿が主であることを示す) に実の反応がある。
  • 後渓 (邪熱が主であることを示す) に反応がない。邪熱は相手にしなくでも、痰湿さえ取れば邪熱は勝手に取れることを示す。
邪気の数値化…邪熱スコアと痰湿スコア
重症疾患を診るには、患者さんの言葉である「問診」に頼れない。邪気を数値化 (スコア化) して重症度を認識する必要がある。邪気とは正気 (生命力) を邪魔する力のことである。

この時点で、大丈夫という確信がある

診察中、黙って待ってくれている。そして、僕が先に口を切る。

「今日はね、邪熱のレベルがえらいことになってる。緊急入院とか、急変してもおかしくないレベルです。もしかしたら、いま肝機能の数値を測ったら、かなり上がっていることも考えられます。急性肝炎とか、起こしてもおかしくないレベルだと見ます。」

実は、1年前に部署が変わってから急に体重が10kgくらい増加し、肝機能の数値 (AST・ALT) が異常値となっている。

「いや〜、仕事のストレスだと思います! 新規採用の子なんですけどね、僕が教育係になっていて…」

「なんか色々あったみたいですね。でもね、大丈夫です! なぜかというと、邪熱がいくら強くても、痰湿を下げれば邪熱もつられて下がる状態に、体が今ありますので、邪熱は放っといていい。まあ、一応 “怒るのは体によくないよ” って、ほんのちょっと頭の片隅にチラつかせておいてはください^^。…で、痰湿の今のレベルはというと、これがね、合格点です。痰湿といえば食べることですね。気をつけるべき項目をおさらいしておきますと、まず間食でした。次に食べ過ぎですね。腹八分目で食べすぎないための必須項目としては、主食は白米、副食物 (おかず・デザート) は主食をやや下回る量にして、あと一口白米がほしいなというところでご馳走様にする。こういう事が、もちろん完璧ではないにしても、現段階での “できるだけ” のことができている。だから合格なんです。」

  • 間食とは食事時間以外の時間にとる飲食物のことである。水・白湯・日本茶は除く。
  • 白米とは、白粥・白ご飯のことである。味付けしたもの (寿司・チャーハン・カレーライスなど) や、加工したもの (だんご・米粉パン・ビーフン) は除く。
自分でできる4つの健康法 …正しい生活習慣を考える
健康とは自然な現象です。病気は不自然です。病気はして当たり前…などと思わないでください。健康が当たり前なのです。 生活習慣が健康をつくり、また病気も作ります。夜更かしが続けば体調を壊すでしょうし、そうでなければ何も起こらないでしょう。 では...

「こういう話をなぜするかというと、このように “これでいいんだ” とハッキリ評価することによって、痰湿がさらに減るからです。いま、レベルがグンと下がりました。怒っている最中になぜ痰湿かというと、今のこのお体は、痰湿さえ減れば邪熱も勝手に減るという状態にあるからです。ほら、さっきまで邪熱が入院レベル (邪熱スコアの危険域) だったのが、いま驚くくらい減って正常値になりました。」

「なんか、急に胸がスッキリしました。あれ? さっきまでモヤモヤ苦しかったのに。」

顔つきまで変わった。

脈もパンパンうっていたのが、完全に大人しくなった。こういう即座の変化は、普通では考えにくいことである。

若い人は心が柔らかい傾向は確かにある。カチカチのガンコな人なら、こうは行かないだろう。

邪気の数値化…邪熱スコアと痰湿スコア から転載

そして、はじめて鍼をする。
百会に一本鍼。

問診した助手に聞くと、楽そうに挨拶して帰っていかれたとのことである。

考察

主従とは、実に大切である。弁証において今、邪熱が主となるのか、痰湿が主となるのか。

今、当該患者の体は、
・痰湿が主 
・邪熱が従
である。そして、ほとんどの患者さんがこの時期 (冬土用から立春現在まで) その状態にあることに気づいた。
この主従に従えば、痰湿さえ減らすことができれば邪熱は放っておいても減る。
この主従を間違えば、罪なきものを罰することになる。

これは、 “標本” (標治・本治) といってもいい。

八宝菜のようにトロミの付いた液体は冷めにくい。サラサラの白湯や吸い物は冷めやすい。トロミとは痰湿である。痰湿が取れれば邪熱が取れやすくなる理由である。

天文学的なレベルの邪熱 (強烈な怒り) があっても相手にしない。
合格レベルである痰湿とその養生である食事のとり方をほめる。
すると痰湿がグンと減る。すると邪熱も激減し、怒りも激減したのである。

治療前の当該患者の痰湿のレベルは、合格ラインギリギリであった。そのため、そのままでは邪熱は減らなかったのだろう。しかし合格は合格、それを「これでいい」と言葉をかけ、評価することによって、痰湿が余裕で合格というレベルにまで減った。速やかな成長を促したのである。この言葉は、正しいものであるということと、体に良いものであるということを体が教えてくれている。

ただし、不合格なのに「合格だ」とウソをついても、痰湿は減らない。この場合は、 “自分でできると思える分だけ実行に移して下さい” という言葉が痰湿を減らす。

小学校1年生の段階であれば、足し算ができればいい。それを “足し算しかできない” としてはならない。 “足し算ができた” という自信と安心が、次の引き算という段階に進む原動力となる。それが成長である。成長とは天地自然の理法である。

「もう少し頑張れ」ではない。 「今の段階ではこれでいいんだ」という自信と安心を持つ。それが自然な成長を生む。
さらに、過度の「思」(クヨクヨ) が消え去る。思慮過度は脾を傷 (やぶ) る。その要素を消し去るのだ。
こうして脾土が安定することによって、肝気も正常に昇発できる。

これが立春以降の「春」、最も大切な養生になることが、多くの患者さんで見られる。本症例はその中の一例である。

春は、ほめて伸ばす
さがせばほめるところはイッパイある。春はほめよ…とは《素問》の言葉である。 ほんの少しの “できるだけ” 。 これをつまらないものと思ってはならない。 これでいい。できている。 自分をほめて伸ばしていこう。飛躍しよう。

春三月.此謂發陳.天地倶生.萬物以榮.夜臥早起.廣歩於庭.被髮緩形.以使志生.
生而勿殺.予而勿奪.賞而勿罰.此春氣之應.養生之道也.
《素問・四氣調神大論》

春は、
「生みて殺すなかれ」
「与えて奪うなかれ」

そして、
誉めて罰するなかれ
と言われる。

図らずも、素問の教え通りの臨床となった。

意図など無い。ただ体という問題集を読み解き、その文脈に見合う答えを書き込んだにすぎない。何故かそれが、説かれた「春の養生」に、自然とかなっていたのである。

こういうことができるようになったのも、切経を根気よく続けてきたからである。
邪気のレベルが見えるようになってきた。

ツボの診察…正しい弁証のために切経を
ツボは鍼を打ったりお灸をしたりするためだけのものではありません。 弁証 (東洋医学の診断) につかうものです。 ツボの診察のことを切経といいます。つまり、手や足やお腹や背中をなで回し、それぞれりツボの虚実を診て、気血や五臓の異変を察するのです。

そして、主従を明らかにする。

生命とはうまくできたもので、主となる脾はそう悪くない。
そう悪くないものを責めてはならない。

良いところを伸ばす。悪いところは、知ったうえで見守る。

この春の臨床である。

臨床とは、テンプレ的にやるものではないことをつくづく思う。

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