39.5℃の発熱。2歳。男の子。××年12月。
今日の昼過ぎから発熱したので診てほしいと電話。病院は受診していない。
午後6時に来院。
食欲なく、お昼は食べていない。体は熱い。汗はかいていない。
お母さんに抱っこしてもらっている状態での診察、治療。
診察
目は表情なし。声をかけても視線が合っているのか合っていないのか分からないような虚ろさ。人形のような顔つき。待合ではぐずる声が聞こえていたが、明らかに元気がなく、ぐったりしている。
目視での診察 (望診) 。顔を診る。外感の寒邪がある。正気が負けていて寒邪は取れにくい位置にある。
「外邪って何だろう▶寒邪とは」をご参考に。
背中の懸枢を中心に望診。全体としては虚証。空間は左上。
「東洋医学の「空間」って何だろう」をご参考に。
脇腹の章門に軽く両手を触れる。邪気の絶対量に左右差なし。このままでは左右が動かない。左右が動かなければ陰陽が動かず、陰陽が動かなければ治癒力も動かない、治せない。
「陰陽って何だろう」をご参考に。
動かないということは正気・邪気が拮抗状態にあるからだ。正気を補いながら邪気を瀉す必要がある。
「正気と邪気って何だろう」をご参考に。
脈診を試みると、案外気前よく診せてくれた。左右とも沈脈。 (注:表面的に見れば浮脈)
選穴
空間が左上なので、左上半身の穴処を探る。
邪気は寒邪。温めて寒邪を散らすのに適した穴処を探る。
正気を補いながら邪気を瀉すため、奇経と交わる穴処を探る。
沈脈なので陰経の穴処を中心に探る。
以上の条件を満たすのは手首の左列缺だ。
左列缺を探ってみる。反応は…よし、効きそうな反応。
左列缺をじっくり診る。皮膚表面に邪気があって深い部分は空虚。
小さい子供はモタモタ診ていたらダメ。診せてくれている間に素早く診るようにしなければ。
治療
金製古代鍼を左列缺にかざす。まず皮膚に向かって垂直に立て、浅い邪気を散らす。その後、鍼を水平にねかせて深いところに正気を補う。その後、再び鍼を垂直にし、素早く離して瀉法。この一連の処置を数秒で行う。
鍼は皮膚にいっさい触れていない。
反応
鍼を離した瞬間、目が輝く。首を動かしキョロキョロしだす。好奇心旺盛で生き生きした表情。右足をリズミカルに動かす。
「おっ、なんか急に動き出したな。」と声をかけると、にっこり。
子供は正直。本当にいい処置をすると、その場で答えてくれる。
経過
帰宅後すぐ夕食。すごく食欲が出て、たくさん食べる。いつも通りの元気さ。
食後、検温すると37.1℃に下がっていた。食後は体温が上がるので平熱に復したと言っていい。
その夜、よく寝る。
翌朝、目覚めた直後、鼻血。血が止まってから検温、36.0℃だった。
この鼻血は「紅汗」という。汗が出てスッキリしてカゼが治ることがあるが、この鼻血はそれと同意義。いい反応だ。鼻血が出たときが治癒した瞬間といえる。ちなみに、発汗ではなく紅汗を見たということは、それほど寒邪の勢いがきつかったといえる。
紅汗については、「傷寒論私見…衄と併病の臨床例〔46・47〕▶紅汗…劇症は鼻血が出て治る」をご参考に。
元気だが念のために午前10時に来院。すごく元気。問題なし。その後も4日経過時点で問題なしとの報告を受ける。
発熱後16時間・治療後12時間で治癒。 (紅汗をもって治癒とする)
解熱したのは治療後、わずか2時間後だった。
陰陽からみる病因病理と治癒機序
外から寒邪 (敵軍) が襲ったことは間違いない。しかし、正気 (味方) の勢力が弱いため、一部が邪熱に変化しながら胃に内陥する。なので食事を摂りたがらず、熱も高い。邪熱が強く、心の営血分に迫る勢いなので、目の表情 (眼神) がない状態になる。
1、正気の優勢・邪気の劣勢…という陰陽
左右の章門が揃うと治しにくい。治しにくいのは正邪が拮抗し陰陽が動きにくいからである。正気・邪気は陰陽関係だ。この陰陽は、正気の優勢・邪気の劣勢という陰陽が本来の姿である。もし、正気・邪気が拮抗すると、優・劣という陰陽がハッキリしない状態となる。この状態では正気を補うことも邪気を瀉すことも難しくなる。これは陰陽の境界がぼやけているからである。境界をハッキリさせ、優・劣をハッキリさせることが治療の主眼になる。
では、どういう病理で境界がぼやけているのか。
2、傷寒論的な見方
▶二陽併病→衄
本症例では、表寒が襲ったことは間違いないので、傷寒論の六経で考える。最初の病位は太陽病。ここで太陽が働いて発汗し、寒邪を追い出せればよいのだが、正気のバックアップが足りないのでできなかった。本来、太陽がダメなら寒邪は熱化して熱邪となって陽明病になって糞便として邪気を排出する。しかし、本症例では寒邪と熱邪が同時に存在する。つまり、太陽には寒邪、陽明には邪熱となる。
下痢や嘔吐、喘もないので、太陽陽明合病ではなく、二陽併病と言える。静かに熱だけが上がっている感じだった。
太陽陽明合病については「傷寒論私見…太陽陽明合病とは」をご参考に。
二陽併病については「傷寒論私見…二陽併病〔48〕」をご参考に。
▶太陽・陽明…という陰陽
太陽 (表) と陽明 (裏) という陰陽を分ける境界 (以下「①の境界」とする) は少陽 (半表半裏) である。寒・熱が同時に存在するのは、①の境界が弱くなっているから起こる現象と考えられる。太陽なら太陽、陽明なら陽明に邪気を集めることができなくなっている状態。つまり、少陽という境界がぼやけているので太陽・陽明のどちらかに邪気を集めてまとめて排出することができない。
▶陽病・陰病…という陰陽
少陽は太陽・陽明の境界という役目もあるが、陽病 (太陽病・陽明病) ・陰病 (太陰病・厥陰病・少陰病) の境界 (以下「②の境界」とする) でもある。本症例では、激しい発熱は陽的であり陽病的である。ぐったりして表情のない目は陰的であり陰病的である。陽病らしさと陰病らしさが同時に存在する状態で、②の境界が本来の機能をはたしていない状態と考えられる。
▶境界は少陽
太陽と陽明の境界である少陽。陽病と陰病の境界である少陽。つまり①の境界と②の境界。本症例では、この2つを同時に動かすことができたので、このような効果が出たのだろう。
3、脈診からの考察
▶脈診にみる陰陽
脈診における境界を考えてみる。脈は浮位・中位・沈位と指の押圧の加減で区別するが、本来、健康な人は中位に脈の中心がある。浮位や沈位に脈の中心が現れるのは、健康とは言えない。中位は浮位・沈位の真ん中にあり、浮沈という陰陽を分ける境界と考えられる。つまり、中位に脈がなければ境界がずれているということになり、陰陽が例外的な働き方をしている姿が見て取れる。
浮位に脈があれば、境界が浅い部分にあるということ。沈位に脈があれは境界が深い部分にあるということ。つまり、浮脈は正気が表に集まっている状態。沈脈は正気が裏に集まっている状態。裏は陽明および陰分を意味する。
▶沈脈からみる病因病理
本症例の沈脈は何を意味するのだろう。表に邪気の侵入を許しているのだから正気は表に集まり、脈は浮くはずだ。しかし、邪気の勢いが強く、もしくは正気の勢力が弱く、表だけでは戦えなかった。正気はいったん兵を引くしかなく、勢いに乗って邪気は裏 (陽明) まで攻めてくる。正気は陽明で戦うだけの力も持たないため、陰分の領域ぎりぎり手前まで兵を引く。しかし、その領域まで邪気は侵入。正気は陰分の最前線を後退させまいと凌ぐ。これが正気が陰分に集まっている状態で、沈脈が教えてくれる意味と考えた。
4、邪気の排出
中位に脈を戻すためには、陰分手前まで引かざるを得なくなった正気の勢力を立て直し、少陽を立て直すこと。これは②の境界の復活。そのうえで、表の邪気を追い出す必要がある。これは①の境界の復活。
①の境界の復活について。左右 (少陽) が動くということは、太陽・陽明の境界がはっきりすることに等しい。邪気は太陽もしくは陽明に仕分けることができる。あとは太陽もしくは陽明が邪気を排出すれば治癒となる。太陽に邪気が移動すれば発汗で解熱。陽明に邪気が移行すれば糞便で解熱。
①②の境界を同時に復活させれば、本症例のように急激に回復する。まずは陰分を陰分らしく、陽分を陽分らしくさせる。これを仕切るのは②の境界である少陽。それができたら、陽分での太陽 (表) と陽明 (裏) の陰陽をハッキリさせる。これを仕切るのは①の境界である少陽 (半表半裏) 。少陽をしっかりさせるだけの陰分の正気があれば、少陽は邪気を太陽か陽明かのいずれかに仕分ける。
本症例の場合、少陽は、太陽に邪気を移動し排出する方が近道と判断した。太陽で邪気を排出する場合、発汗とともに治癒するが、本症例では汗の代わりに鼻血が出た。
傷寒論にも登場する紅汗である。
本症例は、「傷寒論私見…衄と併病の臨床例〔46・47〕」が最も近い。本症例は沈脈であると説明したが、これは胃の気の位置が沈んでたということである。脈を表面的に取れば本症例は浮脈である。
5、列缺の意味
改めて、列缺を考えてみる。
●列缺は陰経に属し、陰分の正気を補うことができる。
●列缺は陽明に流注し、胃気を鼓舞することができる。
●列缺は任脈の主穴。任脈に効く。任脈は「陰脈の海」であり、陰分の正気を中心に補うことができる。陰分に余裕ができれば、陽分の邪気を排除するための土台ができる。
●また任脈は中脘に流注しており、脾胃を補うことができる。
●また任脈は正中線を流注しており、左右の境界となるため、左右 (少陽胆経) を動かすことができる。
●列缺は手陽明大腸経とつながっており、手陽明は肩髃で足少陽胆経と交会する。よって少陽を直接動かすことも可能。
●手陽明大腸経の合谷は表寒実証を治す要穴であるが、手陽明とつながる列缺は表寒実にも効くと考えられる。
以上の意味が、本症例の左列缺という一か所の処置の後ろに存在する。
列缺で正気を補い、邪気を皮膚表面のギリギリまで追い詰め、瀉法で一気に散らす。これらを一つ一つ別々のツボでやっても効くが、解熱までにもう少し時間がかかる。一穴にまとめてこその即効性といえる。
教訓
●子供の体は本当に正直。正しく治療すればちゃんと答えてくれる。乳幼児の急性疾患ではこれくらい効いて当り前、治療に著効がないというのは、治療そのものに問題があるということを改めて思い知らされた。いつも本症例のように的確な治療ができるよう、効きが甘い時は厳しく反省し、研鑽を怠るべきではないと痛感した。
●脈診のみに頼るべきではない。乳幼児は通常、脈を診せてくれない。手首を握ると非常にいやがる。本症例の患者はカゼで何度か来院しており、僕のことを知っている。信頼関係が生まれているから脈をみせてくれたのかも。でもこれはたまたまである。脈を診ずとも体に触れて反応を知る訓練が必要だ。その上で、体に触れずとも、目で見ただけでその反応を捉える訓練が必要となる。目指すところは一瞥のみで病を知ることである。
「望んでこれを知る。これを神という。」 (難経六十一難)
●カゼは通常、3~4日で放っておいても治癒する。一方、慢性的な症状・病気は、放っておくと治癒しにくい。カゼを短時間で治癒に導くことは、慢性病をより早く治癒に導くトレーニングにもなる。