宗脈とは…「見える」と「聞こえる」の源

宗脈という言葉が陽明大腸経の流注で出てきます。

手陽明之別.名曰偏歴.去腕三寸.別入太陰.
其別者.上循臂.乘肩髃.上曲頬偏齒.
其別者.入耳.合於宗脉.《霊枢・經脉10》

手の陽明の十五絡は遍歴という。手関節から三寸のところにあり、ここで別れて太陰肺経に入る。
その支別は、腕を上って肩関節に行き、下顎角を上って歯に広がる。
その支別は、耳に入って宗脈と合体する。

手の陽明大腸経《絡脈》
手の陽明大腸経の十五絡は偏歴である。ここから始まる絡脈を、《霊枢・經脉10》を紐解きながら詳しく見ていきたい。

宗脈とは何でしょうか。
宗脈とは、視覚と聴覚に関わる生理学的な基礎事項です。
にも関わらず、宗脈とは何かについての説明が中医基礎理論にありません。これは、宗脈を形成する元となるところの「宗気」というものが、じつは明確になっていないことによるのではないかと考えます。

以下は、それを明らかにする試みです。

《霊枢・口問28》

《霊枢・口問28》に宗脈についての詳しい説明があります。まずはそこから見ていきます。

黄帝曰.人之哀而泣涕出者.何氣使然.岐伯曰.心者.五藏六府之主也.目者.宗脉之所聚也.上液之道也.口鼻者.氣之門戸也.故悲哀愁憂則心動.心動則五藏六府皆搖.搖則宗脉感.宗脉感則液道開.液道開.故泣涕出焉.液者.所以潅精濡空竅者也.故上液之道開則泣.泣不止則液竭.液竭則精不潅.精不潅則目無所見矣.故命曰奪精.補天柱經挾頸.

《霊枢・口問28》

黄帝曰.人之哀而泣涕出者.何氣使然.
黄帝が問うた。人が悲哀によって涙や鼻水が出るが、いずれの気がそうさせるのか。

岐伯曰.心者.五藏六府之主也.
岐伯が答えた。心は五臓六腑の主である。

目者.宗脉之所聚也.上液之道也.
目は宗脈の集まるところで、液の上る道である。

口鼻者.氣之門戸也.
口鼻は気の門戸である。

故悲哀愁憂則心動.心動則五藏六府皆搖.搖則宗脉感.宗脉感則液道開.
だから、悲哀憂愁すれば心が動き、心が動けば五臓六腑みな揺れ、揺れれば宗脈が感じ、宗脈が感じれば液の道が開く。

液道開.故泣涕出焉.
液の道が開くから、涙や鼻水が出るのである。

液者.所以潅精濡空竅者也.
液とは、精を濯 (そそ) ぎ空竅を潤すものである。
「灌」…農作物に水を送る、まく。

故上液之道開則泣.泣不止則液竭.液竭則精不潅.精不潅則目無所見矣.
だから液の上る道が開けば涙が出る。涙が止まらなければ液が尽きる。液が尽きれば精が灌 (そそ) がない。精が灌がなければ目が見えなくなる。

故命曰奪精.補天柱經挾頸.
そういうものを奪精という。天柱あたりの足太陽経が頸を挟む穴処を補う。

【解説】
泣きすぎると目が霞んだりしてモノがみえにくくなることがあります。その病理について説明しています。心と宗脈は密接に関係していて、たとえば悲しめば心が動き、すると宗脈が動くのですね。宗脈が動くと「液道」が開いて涙が出るということです。ここでいう液とは精のことです。そして、泣きすぎると精が消耗してしまいます。精が目を満たすことができなくなるので、目が見えにくくなるのです。

心が動けば五臓六腑が動きます。五臓六腑とは、五臓六腑を貫くところの経絡 (臓腑経絡) のことです。臓腑経絡を流れてやまないものは宗気です。だから心が動けば宗脈 (宗気) が動くのです。宗脈と宗気の関係については後半に展開します。

精が液となり、液が気となって目に達します。目に限定せず、清竅 (目・鼻 ・耳・口) すべてに達すると考えてもいいでしょう。

清竅の視覚・臭覚・聴覚・味覚の感覚は、気そのものです。だからこの部位のことを「出力」と言う意味で “気の門戸” と表現した、とも考えられます。しかし、下段に示す《霊枢・邪氣藏府病形04》と照らし合わせると、どうもそういう意味で言っているのではなく、本文にあるように「口鼻」のみに限定して「入力」という意味で “気の門戸” と言っているようです。門は出るところでもありますが、入るところでもあります。これも後半で解き明かしていきます。

黄帝曰.人之耳中鳴者.何氣使然.岐伯曰.耳者.宗脉之所聚也.故胃中空.則宗脉虚.虚則下溜.脉有所竭者.故耳鳴.補客主人.手大指爪甲上與肉交者也.

《霊枢・口問28》

黄帝曰.人之耳中鳴者.何氣使然.
黄帝が問うた。人が耳鳴りするのは、いずれの気がそうさせるのか。

岐伯曰.耳者.宗脉之所聚也.
岐伯が答えた。耳は宗脈の集まるところである。

故胃中空.則宗脉虚.虚則下溜.脉有所竭者.故耳鳴.
ゆえに胃中が空虚だと、宗脈も空虚になる。虚すれば下に溜まり、脈に尽きる部分ができる。だから耳鳴りがするのだ。

補客主人.手大指爪甲上與肉交者也.
客主人および少商を補う。

【解説】
さきほどは目についてでしたが、こんどは耳について言っています。いずれも、宗脈が精を運んで目なり耳なりを満たす。だから見えるし聞こえるのですね。

目については心が宗脈を動かすという説明でした。
耳について説明しているここでは、胃 (胃気) がしっかりしていれば精を生み出して耳を満たし、胃がしっかりしていなければ精を生み出せず耳を満たすことができない、だから耳鳴りがして耳が聞こえにくくなるのだ… と言っています。たとえば僕のメニエール病の症例では、食事の不摂生を改善すると耳鳴りが改善したという経過があります。

宗脈とは、精を運ぶ脈のことで、とくに清竅 (目・鼻など) を潤す作用の強いものをいう…ということが分かります。脈とはそもそも血をはこぶものです。加えてここでは、エッセンスに近い精を運び、そして清竅と繋がりの深い脈が宗脈であると言っています。精血同源という観点で見ると理解しやすいと思います。

精とは水穀の精のことを言っているようです。さらに、
“胃中が空虚だと、宗脈も空虚になる”
とありますね。宗脈を満たしたければ水穀の精を強くすればいい、水穀の精を強くしたければ脾胃を強くすればいい、ということになります。

《霊枢・邪氣藏府病形04》

脉宗氣也.《素問・平人氣象論18》

脈とは宗気である。この《素問・平人氣象論18》の記載から、宗脈とは宗気の流れのことであるという想像ができます。ただし、ここまで見てきたように、宗脈とは目と耳に関わる、口鼻は “気の門戸” である… と記載されていましたね。耳目と口鼻とに区別はあるのか。以下の《霊枢・邪氣藏府病形04》を見ると、どうも区別があるようです。

十二經脉.三百六十五絡.其血氣皆上於面.而走空竅.其精陽氣.上走於目.而爲睛.其別氣.走於耳.而爲聽.其宗氣.上出於鼻.而爲臭.其濁氣.出於胃.走脣舌.而爲味.
《霊枢・邪氣藏府病形04》

十二經脉.三百六十五絡.其血氣皆上於面.而走空竅.
十二経脈すなわち三百六十五経穴は、その血気はみな顔面に上り、清竅に向かって走っている。

其精陽氣.上走於目.而爲睛.
精陽気 (宗気から生まれたもっとも精錬された浮揚する気) は、目に走って物が明らかに見える。

其別氣.走於耳.而爲聽.
精陽気の別れは、耳に走って音を聞くことができる。

其宗氣.上出於鼻.而爲臭.
宗気 (精陽気の元になる気) は、鼻に上出して臭いをかぐことができる。

其濁氣.出於胃.走脣舌.而爲味.
濁気 (宗気から生まれ精陽気よりも濁った気) は、胃に出て舌に走り物を味わうことができる。

“精陽気” という聞き慣れない言葉が出てきましたね。じつはこの言葉は、《素問》《霊枢》を通じてこの一箇所のみに出てくるものです。聞いたことのない言葉ならば、聞いたことがある言葉を基準に考えます。このくだりで聞いたことのある言葉とは「宗気」です。宗気は鼻に出て臭いをかぐことができる.とありますね。

そもそも宗気とは何でしょう。じつは、宗気そのものがやや謎の概念です。宗気・営気・衛気って何だろう をまずは参考にしてみてください。

簡単に言うと、経絡が川だとするならば、宗気は流水です。
そもそもの「気」そのものです。気とは「動き」のことです。経絡を流れるのが宗気です。
衛気のように経絡の外を行くものではなく、営気のように気の燃料 (動いている状態の燃料) でもありません。

その宗気の、もっとも精錬され澄んだもの、それが精陽気です。
精錬されているので働きも精巧です。
澄んでいるので軽く上に登る陽の性質を強く持っています。

とくに精巧な働きをしているのが視覚です。
その次に精巧な働きをしているのが聴覚です。だから “別気” なのです。

宗気から精陽気というエッセンスが抽出されると、とうぜん残りカスも生まれます。残りカスは相対的に濁って重く、胃に下ります。胃に出てから舌に上る。これが “濁気” です。

精陽気や濁気を生む前のもの、それが宗気で、これは鼻に出るのですね。

清陽と濁陰を別ける力、これは脾胃の力 (土の力) です。耳目を満たす精陽気 (清陽の気) を強くしたければ、脾胃を強くする。清陽が生まれれば濁陰も生まれます。濁陰は味覚でしたね。耳目がハッキリしてくれば、味覚もハッキリする。さらに清陽と濁陰のもとになるのは、ここでは宗気です。すると嗅覚もハッキリする。

宗気がシッカリしていなければ元も子もありません。宗気がシッカリしているためには、脾胃がシッカリしている必要がある…とは先程述べたとおりです。

宗気・営気・衛気って何だろう で詳しく展開したように、宗気は胃上口で生まれ、霧の如きものです。空腹で元気がない時、食べ物を口に入れただけで既に得られる元気、それが宗気だと説明しました。濃霧のように凝集する力を持ちつつも、力強く拡散します。こうして軽く澄んだものは耳目に向かって拡散し上昇して、精巧な働きをするのですね。

そして重く濁ったものは胃 (胃中) に向かって下降し、再び上って口舌に到達して味覚をなすのです。

そして、軽くも重くもない宗気そのものは胃上口から鼻に直行します。胃中からは口舌に出ましたね。胃中の少し上 (胃上口) に位置するのは、口舌の少し上に位置する鼻のことなのでしょう。さきほど “食べ物を口に入れただけで得られる元気” が宗気だといいましたが、胃上口が宗気の生まれることろであり、胃上口が鼻に相当するならば、食べ物の臭いを嗅いだだけで得られる生命力が、宗気なのかもしれません。

たしかに、飢えてフラフラになっていても、食事を前にしてその臭いをかぐと、急に元気になってすごい勢いで食べ出しますね。かぐと急に元気になる。これが正しいかもしれません。宗気は鼻で得て胃上口で発生するのです。

飢えて死にそうな人は、目もうつろでモノを見定めることもできない。しかし臭いをかいだだけで俄然元気を取り戻し、目もはっきり見えて食べ物を見定め、せわしなく手を動かし、ガツガツと口に運び、モグモグ顎を動かす。

その様に考えると、冒頭の “口鼻者.氣之門戸也” 《霊枢・口問28》という言葉は、
口鼻は宗気の門戸である… という意味であるといえます。

まとめ

《霊枢・邪氣藏府病形04》と比較すると、冒頭の《霊枢・口問28》のぼんやりした部分が明確になりました。

“悲哀憂愁すれば心が動く” 《霊枢・口問28》というのは、精陽気が精巧極まりないものであると同時に、心 (精神活動) とも密接に関わっていることを示すものです。視覚聴覚の精微さの元が宗気であり、さらに高次である心神の元が宗気なのです。

おなじく、 “胃中が空虚だと、宗脈も空虚になる” 《霊枢・口問28》から、精陽気の元は宗気であることを示します。宗気から精陽気がつくられて、精陽気が宗脈を作ると考えるのです。宗気は食べた (嗅いだ) 瞬間に得られる気 (食物の気のもっとも根源) ですが、それを維持するのは営気 (食物を精製した栄養) です。先天の精が、後天の精によって維持されているのと同じです。だから、
胃上口や胃中が空虚だと、宗脈も空虚になる”
と、「胃上口」を加えて言ってくれれば丁寧なのですが、くどいので省いていると考えられます。

以上から、
宗脈とは、宗気から生まれた精陽気 (最も精錬された精巧な気) を、目と耳に運ぶ脈のことをいう…とまとめることができるでしょう。

耳目を正常ならしめるにはどうすればいいか。

  • 心 (心神) と肝 (感情) が、宗脈 (精陽気) を動かします。《霊枢・口問28》ですね。心の持ち方が良ければ宗気も精陽気も動きが良くなる。動きが良くなれば耳目がよくなる。全身が良くなる、健康になる。
  • 脾胃が宗気を作り、精陽気を作ります。《霊枢・口問28》と《霊枢・邪氣藏府病形04》ですね。ここを丈夫にする。それはどうしたらいいか。本ブログに書き散らかしてきました。脾胃とは、気血生化の源であり、現代医学で言う肝臓のことです。“肝臓” を考える…東洋医学とのコラボ をご参考に。

心 (心肝) を正しく持ち、脾胃を丈夫にするような生活習慣を身につける。

白内障・難聴などが出てくる老年期に近づけば近づくほど、そのように気をつける。

そこに帰結します。

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