手の陽明大腸経《絡脈》

大腸経といえば、商陽から始まり迎香に終わるというのが一般的な認識だが、臨床を高めるにはこれだけでは不十分である。《霊枢》には実に複雑な流注 (脈気の巡行) が記載されている。それは、経脈・経別・絡脈・経筋である。経絡とは、これら4つをまとめて言ったものである。

本ページでは、このなかの「絡脈」について、《霊枢》を紐解きながら詳しく見ていきたい。

絡脈の流注

手陽明之別.名曰偏歴.去腕三寸.別入太陰.
其別者.上循臂.乘肩髃.上曲頬.偏齒.
其別者.入耳.合於宗脉.
實則齲聾.虚則齒寒痺隔.取之所別也.

《霊枢・經脉10》

手陽明之別.名曰偏歴.
手の陽明の別、名づけて遍歴という。
>> 大腸経の絡穴は遍歴である。

【私見】絡脈とは、幹 (経脈) から別れた無数の枝のことである。十五絡とは、絡脈のなかの特別なものである。よってここは「手の陽明大腸経の絡脈の特な通路は遍歴である」と訳すと意味が通る。

去腕三寸.別入太陰.
腕を去ること三寸、別れて太陰に入る。

【私見】腕とは手関節のこと、ここを基準に三寸上ったところが遍歴である。遍歴から別れて太陰肺経に入る。

其別者.上循臂.乘肩髃.
その別なるものは、上りて臂を循 (めぐ) り、肩髃に乗る。
>> 陽明大腸経から太陰肺経に行く流れには支別があり、それは臂 (前腕) を循 (めぐ) り、肩髃に乗る。

【私見】 “循 (めぐ) る” という表現には、脈気がピッタリとその部位に盾のように守りながら寄り添いつつ走行するというニュアンスがある。 “乗る” という表現には、波に乗る→栄える という意味があり、 (車を) コントロールする→支配する という意味にもなる。大腸経の絡脈の脈気は肩髃を大きく支配していると言える。肺気 (表寒や気滞) が関わる五十肩は遍歴の反応が参考になる。

上曲頬.偏齒.
曲頬を上り、歯に偏す。
>> 曲頬とは頬のことである。頬とは下顎角から咬筋のあたりをいう。

頬とは・曲頬とは
《霊枢・経脈》で用いられている「頬」の場所について解説します。

>> 「歯に偏す」とは、「広がって歯全体に波及する」と訳すのが適当であろう。
経脈では “入下歯中” とあり、下歯に入る。
絡脈では下歯と限定せず “歯” と表記しており、「偏」すなわち広がるという意味を持たせている。

▶「偏」とは
「偏」とは 亻+戸+冊 である。戸板をならべて一枚にしたのが「戸」、木管を編んでつなぎ合わせたものが「冊」である。戸も冊も平べったいものである。このように「扁」には扁平の意味がある。扁平で平べったいものをさらに広げて大きくすると、辺縁部はどんどん中心から離れていく。離れてそれた部分は本筋からそれたものとなり、これが「偏 (かたより) 」である。

其別者.入耳.合於宗脉.
その別なるものは、耳に入り、宗脈に合す。
>> 宗脈とは目と耳に関わり、宗気から生まれた精陽気によって耳目を満たす脈である。これが耳目を満たすことによって耳が聞こえ、目が見えるのである。

宗脈とは…「見える」と「聞こえる」の源
宗脈とは、視覚と聴覚に関わる生理学的な基礎事項です。 にも関わらず、その説明が中医基礎理論にありません。これは、宗脈を形成する元となるところの「宗気」というものが、じつは明確になっていないことによるのではないかと考えます。

偏歴と耳との関わりについて。
偏歴は多く実の反応が出ることを経験している。耳が聞こえにくい時、あるいは車酔い (内耳に問題がある) しているときにもその反応が出る。実の反応を上手く浮かして瀉法できれば、宗脈が通じて症状が取れる。瀉法する場合はどんな場合でもそうだが、瀉法しやすい状態に穴処を浮かす工夫が必要である。その工夫とは、正しい弁証に従って正気を扶けることである。

車酔いしやすい人を、酔止めの薬を飲む前と飲んだ後で偏歴の反応に違いが出るかどうかを試してみると面白い。もちろんツボの診察ができる上級者でないと判別はできない。車酔いしやすい人と同乗した時、いま酔っているか酔っていないかを偏歴を見て当てる遊びをやるが、よく当たる。忘れているときは偏歴には何もなく車酔いもない。しかし多くは「酔うかもしれない」と意識し出すと偏歴が反応し出し、気持ち悪くなる。宗脈は感情によって動くというのは《霊枢・口問28》の解くところであるが、車酔いにもそれが該当するのだろうか。

車酔いと偏歴の関連は、僕のオリジナルで、たぶん誰も言っていないことである。そして偶然にも “入耳” という記載が古典にある。こういう意図せぬ一致が、勉強の面白いところである。

實則齲聾.虚則齒寒痺隔.取之所別也.
実すればすなわち齲・聾.
虚すればすなわち歯寒・痺隔.
別れる所にこれを取るなり.

齲歯などの歯の痛みには “偏歯” であるから上歯・下歯を問わず注目してよい穴処である。ただし、齲歯 (むしば) の痛みを鍼で度々止めて、歯科治療を軽んずると齲歯が進行してしまうので注意が必要である。《霊枢》は二千年前の書物であり、この時代は歯科技術が皆無であったため、歯が無くなろうが痛みさえ止めればよかった。現代はそれでは困る。

聾とは、難聴のことである。

歯寒とは、冷たい飲食などで歯がしみる、いわゆる知覚過敏のことをいう。

痺隔とは、膈が通じない病態をいう。
また歯寒痺隔を、歯が寒邪によって痛みかつ浮く状態を示すとの説もある (類経) 。

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