大腸経といえば、商陽から始まり迎香に終わるというのが一般的な認識だが、臨床を高めるにはこれだけでは不十分である。《霊枢》には実に複雑な流注 (脈気の巡行) が記載されている。それは、経脈・経別・絡脈・経筋である。経絡とは、これら4つをまとめて言ったものである。
本ページでは、このなかの「経筋」について、《霊枢》を紐解きながら詳しく見ていきたい。
図を見ていただくと分かるように、陽明大腸経は腕だけでなく、頭・顔・背中に及んでいますね。経筋ですから痛みや痺れや引きつりです。たとえば合谷一穴を的確に見定めて上手に動かすならば、これらの痛みを取ることができます。ただし、鍵と鍵穴式 (〇〇に鍼をすれば✕✕に効く) ではなく、たとえ効いたとしても、株を守りて兎を待つの弊に陥らないように、切経を始めとした弁証論治を磨く必要があります。
手陽明之筋.
手の陽明大腸経の経筋は、
起於大指次指之端.結於腕.上循臂.上結於肘外.上臑.結於髃.
大指の次指の端に起こり、腕に結び、上って臂を循 (めぐ) り、上って肘外に結び、臑を上り、髃に結ぶ。
>> 商陽に起こり、陽谿に結び、前腕を上り、肘髎に結び、上腕を上り、肩髃に結ぶ。
このラインはすべて剛筋である。 “此皆剛筋也” 《類経》
【私見】
このライン上に起こる痛みや引きつりは、すべてこの経筋が関わる。
其支者.繞肩胛.挾脊.
その支なるものは肩甲を繞 (めぐ) り、脊を挟む。
>> その支流は肩甲骨を繞 (めぐ) り、脊椎を挟む。
【私見】
肩甲骨、脊柱起立筋、脊椎の痛みやその他問題は、この経筋が関わると見る。
たとえば側弯と便秘が同時にあれば、便秘を治すことが側弯を治すことにつながると発想する。
直者.從肩髃上頸.
直なるものは肩髃より頸に上る。
>> 直流は、肩髃から頸 (扶突・天鼎) に上る。
其支者.上頬.結於頄.
その支なるものは頬を上り頄に結ぶ。
>> その支流は頬を上り颧髎※に結ぶ。
※此支者.自頸上頬入下歯中.上结于手太阳颧髎之分.《類経》
直者.上出手太陽之前.上左角.絡頭.下右頷.
直なるものは、上りて手の太陽の前に出て、左角を上り、頭を絡 (まと) い、右頷に下る。
>> 直流は、頸から上って手太陽 (天容・天窓) の前に出て、左額の髪生え際のカドのところを上り、頭と細密にからみ、右頷に下る。
頷 (ガン) の場所については、
頤 (おとがい)・腮 (あぎと)・頷とは をご参考に。
【私見】
大腸経の経筋は頭に流注しているので、頭痛のときは大腸経の経筋にも注目する必要がある。
また、唾液が出にくい・唾液が出すぎる・顎下腺炎などは、頷の部位に病変が存在するため、大腸経の経筋にも注目する必要がある。
たとえば合谷に反応があれば、それを消すように治療すると効果が得やすいということになる。
経筋の治療
其病.當所過者.支痛及轉筋.
その病、まさに過ぐるところのもの、支痛 (支え痛む) および転筋 (筋痙攣) す。
>> 大腸経の経筋病は、ちょうど経筋が走行する所に、痛みおよび筋痙攣 (筋肉がつる)が起こる。
【私見】
筋痙攣 (筋肉がつること・こむらがえり) は、筋脈が栄養されないことによって起こる。筋と脈が病むのである。
痛みとは不通則痛でおこるのだが、現代医学的には神経が痛みを感じる。神経とは筋のことである。
「筋」とはなんだろうか?
経筋は筋肉であると考えてよい。ただし、筋肉の深くて見えない部分のことを言う。筋肉でも浅い部分 (目で見える部分) は肌肉という。現代中国語では “肌肉” という言葉が、日本語の “筋肉” のことを指す。つまり、筋とは、深い部分 (目に見えない部分) の「動」の根源となるものをいう。いわば、筋が司令官であるならば、肌肉は実働部隊である。動 (陽) を生むものとは、静 (陰) である。陰静とは血である。これが「動」の根源である。
▶肌肉は目に見える、筋は目に見えない をご参考に。
筋と肌肉をあわせて “筋肉” と考えれば良い。そして、肌肉と筋の境界線が脈である。筋肉の真ん中を脈が通って、脈の中を流れる営気が筋肉を養うと考えればよい。そして、営気から陽動 (衛気) が生み出され肌肉を満たし、また営気から陰静 (血) が生み出されて筋を充たすのである。
血とは、
・脾が生み出して、やがて肝の支配下に入るものである。
・脈が生み出して、やがて筋の支配下に入るものであると言ってもいい。
よって経筋は肝と血に深く関わる。
肩不擧.頸不可左右視.
肩挙がらず、頸左右視るべからず。
>> 肩関節を挙上することができず、頸を左右に向くことができない。
【私見】
古代人はその日暮らしに近い生活で、よく体を動かし余計なことを考える暇がなかった。現代人は取越苦労が多くストレスを溜めては過食し夜更かしをして、多くの疲労を蓄積している。五十肩や寝違いなどはみな、その蓄積した疲労が関わる。よって単純に経筋だけの問題として捉えることはほとんど無い。しかし、だからといって経筋を治療しないというわけではない。経筋は肝につながり、これを治療することによって肝が平らかになるのである。本としての病因を除去しつつ、標としての経筋を同時に治療するのが良い治療である。
治在燔鍼劫刺.以知爲數.以痛爲輸.名曰孟夏痺也.
治は燔鍼劫刺にあり。知をもって数となす。痛をもって輸となす。名づけて孟夏痺という。
【一般的な訳】
治療は燔鍼 (真っ赤に焼いた鍼) を用い、劫刺 (速刺速抜) を用いる。治療効果が出るまで何本でも鍼をし、何回でも治療をする。痛むところを治療点とする。
【私見としての訳】
治療は燔鍼 (真っ赤に焼いた鍼) を用い、劫刺 (強制的に邪を取り去る刺鍼法) を用いる。できるだけ少ない鍼・できるだけ少ない治療回数で効果を出すことを旨とする。痛むところに鍼をするのではなく、通じないところを見極めて (弁証して) 鍼をするのである。
このように、古文は幾通りもの訳が可能です。読む人 (臨床家) の力量 (ウデ) に合わせて解釈できるように、謎掛け的な文言を用いています。これは、痛 (甬) の字源、輸 (兪) の字源に精通すれば自明のことであります。
【一般的な訳】【私見としての訳】についての詳細は、
経筋の治療 >> 一般的な解釈・独自の解釈 をご参考に。
“以痛爲輸” は二通りの訳が可能である。
①痛むところを治療点とする。
②痛 (不甬;不通) をもって兪 (通行) とする…すなわち不通を通となす。
痛は、甬が病むことである。
通は、甬がますます進むことである。
甬とは、推動作用のこと、すなわち気である。
甬・通・痛については、不通則痛… 「甬」と「用」の字源をたどる
輸・兪については、癒やしとは…「兪」の字源に秘められた哲学
をご参考に。
手の陽明大腸経 記事一覧
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