患者さんからお菓子をいただいた。
神戸のお店、こじゃれた小箱に入ったクッキー。
いい箱だな、なにかに使えないかな。
そうだ、パソコンスタンドはどうだろう。ダンボールを切って箱に挟む。
パソコンを乗せてみる。おお、画面が見やすい。キーボードが叩きやすい!
この箱はかなりお気に入りである。ちょうど鞄に入る大きさであり、高さもピッタリで、暇さえあればパソコン作業している僕にとっては、いまや無くてはならない相棒である。
いつものように、治療の合間にパソコンをカチカチやっていると、この箱 (お菓子) をくださった患者さんがそばを通られた。
「いただいたお菓子の箱、こうやって使わせて頂いてるんです。ほら、角度も調節できるし、充電器もUSBも箱の中にしまえるんですよ。いいでしょ ! ? ちょうどいい大きさで、使いすぎてもう何度も壊れているんですけど、糸でつないだりホッチキスやテープで補修したりして、ずっと使わせていただいているんです^^」
「へえ…そんなに大事に使っていただいて…。先生は物を大事になさるんですね。こんなふうに物を大切にする方は、きっと奥様のことも大切になさるんでしょうね。」
「はい。大切にできているかどうかわかりませんが、すごく大切に思ってます^^」
常に “ありがとう” という習慣は、もう10年を過ぎた。いってらっしゃいの代わりに “ありがとう” 、おやすみを “ありがとう” と言い間違え、寝言でも “ありがとう” 。
大切に思っているだけではダメだ。
行動に移さなければ “大切にする” はできない。
そんな僕を見て妻も、どうしても言えなかった “ありがとう” が言えるようになった。
今は僕よりも言う回数が多いかもしれない。
真剣に行じて10年、実を結んだのだ。
思っているだけでは感謝にならない。たとえば朝、顔を洗うとき、手に水を受けて素早く蛇口の水を止める。そしてその水でゆっくりと顔をこする。改めて水を出し、顔をすすぐ。使う水の量を、最小限にするためだ。水道代がどうのこうのではなく、もったいないのである。大事に思えてくるのである。だからそうする。
箱で作ったスタンド。
水。
こんな単純なもの (モノ) を大切できないようなことで、どうして複雑な妻 (ヒト) を大切にできるだろうか。
〇
学生のころからジーンズが好きで、洗いの入っていない、真っ黒でカチカチの利尻昆布のようなものを買ってきて、履きつぶしては綺麗なブルージーンズを何着も作った。汚さないように丁寧に、たまたま汚したときだけ洗濯するのが年に2回くらい、おしりの生地が痛まないようにコンクリートの上には絶対に座らない。毎日、一年中そればかり履く。
時間が経てば経つほど、大切になる。
そして、一番キレイなハゲ方や破れ方のところで、タンスにしまう。そしてまた新しい利尻昆布を買って履く。少し色目の濃いもの、クタクタで自然に破れたもの、いろいろ作った。今はもう履かないので、大学生の子供が喜んで使っている。みんなに「どこで買ったの?」と聞かれるらしい。
ビンテージものは嫌いで、メーカーにもこだわらない。普通の安いものを良いものにかえていくのが好きだった。
今やってる野菜づくりもそんな感じだ。育てるのが好きなのだろう。ていねいにていねいに耕す。道具は何度でも何度でも修理する。
ジーンズ。
野菜。
育てるのが好きでなくて、どうして夫婦愛 (普遍愛の原型) を育てることができるだろうか。
〇
結婚したては、みんなポンコツである。
40になっても50になっても、僕はまだまだポンコツだ。
でも、少しずつ妻のことを大切にできるようになる。
それはきっと、死ぬまで続く成長だ。
妻は、他人代表、世間様の窓口なのである。
妻を大切にすることは、世間様を大切にすることだ。
少しずつ、世間様のことを大切にできるようになる。
それは確実に、死ぬまで続く成長である。
身近なモノ、身近なヒト。
これを大切にすることは、もっと身近な、あるものを大切にすることにつながる。
この体である。この自分である。
ぼくは、ぼく自身をとても大切にしている。
どんなふうに大切にしているか?
たとえば、体をきたえる、誠をきたえる に詳しく書いた。
また、自分でできる4つの健康法 …正しい生活習慣を考える など、
カテゴリー自分でできる健康法 に書き散らし、自分と向き合ってきた。
だから、体ともうまく付き合えている。
これも成長だ。成長し続けているからこそ、健康でいられる。
〇
モノを大切にする。
だから水も、食べ物 (命) も大切にできる。
だからヒトも大切にできる。
妻を大切にできる。
だから患者さんも大切にできる。
そうすれば、みんなを大切にできるかもしれない。世界中の人々みんなを。
そうなりたい。だから妻を大切にするのは最低限できなければならない。
いや、大切で大切でしかたない、だから自然と大切にする。
一番身近な人が愛おしくて愛おしてくしかたない。そう思えないのに、どうして患者さんのことを大切に、愛おしく思えるだろうか。
患者さんを愛おしく思えないで、患者さんの気持ちをどうやって察することができるだろう。
患者さんを大切に思えないで、学問 (医学) をどうやって生かすことができるだろうか。
医学を生かさないで、どうやって鍼がうまくなることがあるだろうか。
だからぼくは、仕事よりも妻が大切だといい切ってはばからない。
求心力 (家族との絆) が強いからこそ、遠心力 (他人への愛) が強くなる。
求心力は腎 (封蔵) 。遠心力は肝 (昇発) 。 >> 三陰三陽って何だろう
この二つが肝腎。そして腎が土台。
身近なものが土台である。
身近なものを大切にすることこそ大事。そこに磨きをかける。
「この人」を大切にできないで、「あの人」をどうやって大切にできるだろう。
〇
僕は腕時計はしない。
だから、ずっとしまってあったものがある。
早世した父の形見の腕時計である。
それを見つけた娘が気に入って、懐中時計として使っていた。
それが故障だという。動かなくなったのだ。
娘が大切にしてくれるのなら、修理しようと思った。
修理される時計が、もし人間ならば、嫌に思うかもしれない。
バラバラにされるのである。部品を交換されたりもする。
そんな事しなくても…と思うかもしれない。
イロイロ言われるのである。過去を否定されたりもする。
そんな言い方しなくても…と思うかもしれない。
僕はウワベでごまかすのが嫌いだ。
内と外を使い分けたり、相手の機嫌を取ったりするのが大嫌いだ。
妻であろうが、患者さんであろうが。
大切な人が誤った方向に行こうとしているのに、媚 (こ) びることはできない。
叱ると伸びないと判断した時には断じて叱らないが、
叱るしかないと判断した時には、大声で怒鳴り叱りつけることがある。
しかしそれは、大切だからである。
その時計が大切だからこそ、それを修理するのである。壊すのではない。
本当に大切なものは、失ったときに分かる。
だからこそ今、意識して大切にしなければならない。
そうだ、何十万円かかっても修理しよう。
モノを、ヒトを。
妻を、患者さんを。
そして世界中の人々を。
大切にしたい。
大切に思わないものを、良くすることなどできようか。
この時計を。
この妻を。
この世の病める人すべてを良くするのならば、それは此処からだ。