是動病・所生病とは

分かっているようで分かっていない

まず、藤本蓮風 (2010). 臓腑経絡学 アルテミシア pp.55 から引用させていただきます。

難経二十二難では「是動病」を「気の病」としており、張志聡は外感・内傷、徐大椿は本経の自病・他経から病が及んだもの等、その他にもいろいろな説がある。総じて是動病は、気の病、浅い、軽い、先病とし、所生病には血の病、深い、重い、後病とされている。張介賓の論理では、気がまず病んで、然る後に血が病む。是動がまずありて、是動が治らせないと所生を病むとされている。

体用理論の立場からからすれば、体は本体、「血」であり、用は働き、「気」である。中国哲学では作用を中心に考える。作用があって本体が動く、無形のものが有形のものに先行するとされる。無形 (気) が有形 (血) を動かしているのである。順序から言うと、先ず気が動かなくなり (是動病) 、気が停滞すると血も停滞する (所生病) 。

北辰会として現時点では、病因論の立場から、一つは「経脈〜臓腑に及ぶ病 (是動病) 」・「臓腑〜経脈に及ぶ病 (所生病) 」、二つは「難経」でいう「気・血によって病の深浅・軽重を判断する」といった臓腑経絡の病という認識で見ており、大きく別けていない。ただ霊枢で分けているのは、それなりに臨床的な意味があると思われる。今後の課題である。

藤本蓮風 (2010). 臓腑経絡学 アルテミシア pp.55

僕なりに、是動病・所生病の違いを解いてみたいと思います。

《素問・陰陽離合論》に鍵?

着眼点を変えて考えます。

《素問・陰陽離合論06》に注目します。

天覆地載.萬物方生.未出地者.命曰陰處.名曰陰中之陰.則出地者.命曰陰中之陽.
陽予之正.陰爲之主.故生因春.長因夏.收因秋.藏因冬.失常則天地四塞.
陰陽之變.其在人者.亦數之可數
《素問・陰陽離合論06》

天覆地載.萬物方生.
天覆い地戴く。万物まさに生まる。
>> 天は万物を覆い、地は万物を載せる。そのなかで万物は生まれる。

未出地者.命曰陰處.名曰陰中之陰.
いまだ地を出でざるものは、なづけて陰処という。なづけて陰中の陰という。
>> 種子がまだ地中に埋もれて発芽していないものは陰処 (陰中の陰) という。

則出地者.命曰陰中之陽.
則ち地を出づるものは、なづけて陰中の陽という。
>> 種子が発芽して芽を出したものは、陰中の陽という。

陽予之正.
陽、予の正。
>> 陽とは、生命を与えつづける正しい道 (生長収蔵の周回コース) である。

陰爲之主.
陰、為の主。
>> 陰とは、為す主体、つまり生長収蔵という道を載せる主体、つまり生長収蔵を生じる主体である春夏秋冬 (地球環境) である。

故生因春.長因夏.收因秋.藏因冬.
故に生は春に因り、長は夏に因り、収は秋に因り、蔵は冬に因る。
>> だから春によって生は生じ、夏によって長は生じ、秋によって収は生じ、冬によって蔵は生じる。

失常則天地四塞.
常を失すれば則ち天地四塞す。
>> 生長収蔵の正常なサイクルが失われると、天地万物が立ち行けなくなる。

陰陽之變.其在人者.亦數之可數.
陰陽の変、それ人にあるものも、またこれを数え数 (はか) るべし
>> このような大自然の陰陽の変動は、人においても同じように現れる (天人合一) 。一つ一つ観察し、類推し洞察すべきである。
【私見】このような陰陽関係は、人においては、是動病・所生病の関係、また経脈・経別の関係などで表現されている。

予之正

謎の言葉、 “予之正” とは?

「予」は与えるという意味があります。

上図では、二つの△が重なり合っていますね。これを手とみると、下に折れ曲がっているのは腕です。下の手が差し伸べられて、上の手に何かを手渡ししている図です。つまり、与えているのです。

生は夏に長を与え、長は秋に収を与え、収は冬に蔵を与え、蔵は春に生を与える。

※猶予・予備などのゆとりのある状態をさす「予」は「豫」を簡略化した文字であり、ここでいう与える意味を持つ「予」とは、本来は別字である。

「正」とは道です。しかも正しい道です。

正は、「囗」+「止」です。
「囗」は、国を守る垣根、また城を守る堀や城壁です。
「止」は、足です。足で踏ん張って前に進むという意味があります。

つまり、征伐のために軍隊が進むことが正です。征と同義です。
あるいは、国々が垣根をめぐらせて領土を主張している。せめぎあっている。そういう状態に足を踏み入れ、垣根を取り払い、一つ心に手を取り合う。これは本当に「正しい道」ですね。

予之正は「生長収蔵の持つ力」

予とは、大自然から力を与えられることです。これが得られなければ、人間を含めた万物は死に絶えてしまいます。正しい道を歩み続けることで、それが得られます。

植物を見ているとよくわかりますね。何を得て植物は生きているのでしょう。日光 (火) ・空気 (金) ・雨 (水) 、そして大地 (土) 。これらの要素によって、木性 (成長する命) が得られるのです。これらすべてが、生長収蔵です。生長収蔵は我々が生きる道です。

予之正とは、生長収蔵という「動き」、生長収蔵という「陽」なのです。

為之主

謎の言葉、 “為之主” とは?

自然 (じねん) って何だろう より

「為」とは動くものではなく、動かすものです。上図のように、象の上に人が乗り、手 (爪) で象を操る姿が字源です。

動くものとは… 陽です。生長収蔵です。
動かすものとは… これが陰です。

「主」とは、上図をみると、台座があり、その上に火を灯す受け皿があり、その上に🔥がのっていますね。この台座は、倒れてはならないのでシッカリとしています。つまり動かない。これが「主」の原義です。自らは動かず、火 (必要とされる機能) を手のひら (皿) の上に乗せて牛耳っている。これが「一家の主」という意味にも転義します。

火とは「用」であり「陽」です。これを支えているのが「主」つまり陰なのですね。

為の主は「生長収蔵を生む地球」

繰り返します。火とは「用」であり「陽」です。これが生長収蔵という周回コースをめぐる「動き」です。イコール「予の正」です。

これを動かしているのが「為の主」つまり陰です。生長収蔵を動かすものとして、《素問・陰陽離合論06》では春夏秋冬を挙げています。しかし禅問答みたいで分かりづらいですね。もっと突き詰めて言えば、春夏秋冬を演出するもので、しかも自らは動かないものです。「地球」といえばいちばんわかりやすいでしょうか。

是動病・所生病とは

さて、ようやく本題です。

是動病は、動の病です。動とは陽動です。 “是動則病” という決り文句があります。これ動ずれば則ち病む。
所生病とは “是主肺所生病” のような決り文句ですが、是動に対比するなら是主です。これ肺を主として病を生ずる所。

つまり、例えば肺ならば、
・肺が動じた病… 是動病
・肺を主とした病… 所生病

つまり、
是動」とは「予の正」のことであり、
是主」とは「為の主」のことである。

このように類推できます。

よって、例えば肺 (収) を病むならば、

  • 肺を病むことによって、肺の「収」に変動が起きた結果、他の臓腑との連携である生長化収蔵のサイクルに変動が生じた病を是動病という。
  • 肺そのものを病み、肺の臓腑経絡のみに変動を生じたものを所生病という。もちろん、臓腑の病ならば重症であり、経絡の病なら軽症である。

経別とは

《素問・陰陽離合論06》を深く理解すると、経別の理解の一助にもなります。

《霊枢・經別11》では経別の説明で、たとえば肺ならば “手太陰之” という表現がされています。

このフレーズの「正」は「正経の正」である。経別とは正経の別れであり、正経の一部である。これが一般的な認識です。従来の解釈は、もちろん意味があります。つまり経脈も経別も一体で、どちらも正経である…という考え方です。

僕がここに加えたいのは、「予之正」の「正」と捉えても、意味が通じる…ということです。むしろその方が理解しやすい。

つまり、経別を「 (予の) 正」すなわち陽と見た時、経脈 (正経) は「 (為の) 主」すなわち陰となる。

経脈・経別を陰陽と捉えると、経脈は臓腑から指先まで丁寧に流注しているが、経別はワープするような形で大雑把な流注である。しかも、肺であれば大腸に散ず…といった「表裏関係」で強力に結びついていて、他の臓腑との連携が際立つ。

そういう見方ができると思います。

経脈と経別は表裏一体の陰陽関係にあると捉えます。たとえば肺大腸が表裏一体の金性でありながら各々異なるものであるのと同様に、経脈経別も一体でありながら各々異なるものであると言えます。

大自然に例えるとわかりやすいでしょうか。
・経脈… 地球 (為之主)
・経別… 生命 (予之正)
経脈が地球だとすると、経別は生命です。地球は物質的で、陸 (土) あり海 (水) あり温度 (火) あり空気 (金) あり動植物 (木) あり、さまざまな要素に分割されて構成されます。その地球に宿る生命は、「生長収蔵」という共通点を持ち、一つの大きな流れ、一つの大きな機能であると言えます。

よって、以下のようにまとめることもできます。
・経脈… 身体 (為之主)
・経別… 生命 (予之正)
人体においては、経脈が身体だとすると、経別は生命です。身体は物質的で、手あり足あり心臓あり空腎臓あり脳あり、さまざまな要素に分割することができます。その身体に宿る生命は一つのものであり、分割することができません。

経脈と経別 >> 体と命という陰陽
経脈と絡脈 >> 幹と枝という陰陽
経脈と経筋 >> 静と動という陰陽

このように対比してまとめると分かりやすいでしょうか。東洋医学は物質的に理解しようとしてはなりません。陰陽 (機能) 的に理解するのです。

足少陰之正.合於太陽.此爲一合.…
足厥陰之正.…合於少陽.…此爲二合也.…
足太陰之正.…合於陽明.…此爲三合也.
手少陰之正.…合目内眥.此爲四合也.
手心主之正.…合少陽…此爲五合也.
手太陰之正.復合陽明.…此六合也.

《霊枢・經別11》

《霊枢・經別11》が “合” という字にこだわり、 “六合” という表現までつかっているのは、分割できない「生命」を表現するためであると考えます。六合とは、上下 (天地) ・前後 (南北) ・左右 (東西) を一まとめにした、全大宇宙のことです。

体 (陰としての経脈) は分割できるが、命 (陽としての経別) は分割できない。

ではなぜ、経別は “別れる” なのでしょうか。これだと絡脈との違いがハッキリしません。

たとえば、天地はどうして天と地に別れたのでしょうか。まず、宇宙空間があります。宇宙の塵が集まって地球が生まれます。つまりまず地が生まれる。地 (下) ができて、初めて宇宙空間は天 (上) となります。これをなんとか表現する言葉が「別れる」なのです。しかし実際には別れてはおらず、天地は一つのものです。

これが「離合」です。つまり「別」と「合」です。
《霊枢・經別11》で、黄帝が岐伯に問いかけます。
“請問其離合出入奈何.” 十二経脈の離合とは何ぞや。岐伯は答えます。
“足太陽之正.別…” 足太陽膀胱経の (予之) 正は、 (経脈から) 別れて…。

これこそが、経脈と経別がまるで天地のように一体のものであることを示している部分であると思います。別れたわけではないが、別々のものであることは確かなので、「別れる」という表現を使っている。そして一体のものであることを示すために「合する」という表現を執拗に使っている。

難しいですね。

《霊枢・經別11》では下記のように歌っています。

十二經脉者.此五藏六府之所以應天道.
夫十二經脉者.人之所以生.病之所以成.人之所以治.病之所以起.
學之所始.工之所止也.
粗之所易.上之所難也.

十二経脈は、五臓六腑が天地自然に応ずるものであるということを如実に示すものである。
十二経脈は、命の生ずるところであり、病が生じるところでもある。治癒も発病もここが起点となる。
医学はここから始まり、医術はここに終わる。
十二経脈を、未熟な医者は簡単なものだと甘く見、名医は生涯かけても解き難いものだと重く見るものである。

これはあくまでも「経別」の説明です。経別を知ることは経脈を知ることだ。しかし難しいぞ、と断りをいれていますね。

経脈と経別の関係を知ることこそ、人体生命に集約された「天地自然の法則」を知ることなのです。

張景岳の《類経》に見られる言葉を以下に掲げます。ちなみにこれは《霊枢・經別11》の注釈で景岳が吐露したものです。

経脈者,臓腑之枝葉。臓腑者,経脈之根本。知十二経脈之道,則陰陽明,表裏悉,気血分,虚実見,天道之逆従可察,邪正之安危可弁。

経脈と臓腑は、枝葉と根の関係と同じで一つながりのものである。よって十二経脈の道をたどっていくならば、陰陽・表裏・気血・虚実・順逆・正邪みな、手に取る如く弁証できるようにになるであろう。

中医学の基礎を築いたと言っても過言ではない景岳の至言は、中医学を学ぶものすべてが傾聴すべきででしょう。

ツボの診察…正しい弁証のために切経を
ツボは鍼を打ったりお灸をしたりするためだけのものではありません。 弁証 (東洋医学の診断) につかうものです。 ツボの診察のことを切経といいます。つまり、手や足やお腹や背中をなで回し、それぞれりツボの虚実を診て、気血や五臓の異変を察するのです。

まとめ

「正」の字源の説明のところで、
“国々が垣根をめぐらせて領土を主張している。せめぎあっている。そういう状態に足を踏み入れ、垣根を取り払い、一つ心に手を取り合う。これは本当に「正しい道」である。”
と述べました。

臓腑同士の垣根を取り払い、一つのまとまりに帰納する働き。

「経別」の概念、「是動病」の概念、この2つは「予之正」の概念と合致します。

生命を一まとまりのものとして考えるため、理解しにくいのが是動病、
生命を肺・肝・腎…と分割して考えるため、理解しやすいのが所生病、

そのようにまとめることができるでしょうか。

これはそのまま、予之正 (陽) と経別 (陽) も理解しにくいものであることを示唆するものです。
それに対して、為之主 (陰) と経脈 (陰) は理解しやすい。
陽は機能であり、物質は陰です。

物質 (たとえば「脳」) を理解するのは得意だが、
機能 (たとえば「こころ」) を理解するのは苦手である。

我々は、どうもそういう思考になってしまっているようです。

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