命をかけて散るもみじ

“裏を見せ 表を見せて 散るもみじ”

良寛の辞世の句と言われます。美しい句ですね。
以下は、一般的な解釈 (裏も表もさらけ出しありのまま生きればいい) とは違います。僕なりの解釈です。

もみじの最も美しい瞬間とはいつでしょう。あどけない手を広げた幼葉も、涼風を誘う緑葉も、もちろん秋の紅葉も美しい。しかしその掉尾 (ちょうび) をかざるのは、まさにこの句のごとく舞い散る姿でしょう。その美しい姿色を余すところなく見せ、裏を見せ、表を見せつつ散ってゆく。

命を賭して赤く染まり、命を捨てて舞い散るその時こそ、真の美しさと言えます。

良寛和尚は、みずからの懸命の生涯を、もみじの一葉に託したのかもしれません。

命を懸ける。

命を懸ける人がいます。

茶道の稽古に命を懸ける人がいました。
貼り絵の習い事に命を懸ける人がいました。
アマチュアコーラスに命を懸ける人がいました。

そういうものに命を懸ける。そういう患者さんはみな、結局良くならなかった。

少し良くなると、すぐに無理をするからです。
少し体力がつくと、すぐに使い果たしてしまう。
少しお金が貯まると、すぐに使ってしまうのと同じ。結局お金がたまらない。

僕もかつては鍼に命を懸けた。
しかし、命のかけ方が間違っていた。
だから病気になった。

命を懸けるのは、
いい思いをするためではない。
自分を押し通すためではない。
それは利己です。
利己のために命を懸けてはならない。
身欲のために命を懸けてはならない。
病気になります。

いま、
この体を犠牲にして、
家族につらい思いをさせて、
身の回りの人や世間様に迷惑をかけてまで、
何が何でもそうしたいと思い、それを行っていることがあるとするならば、
それは利己です。

いま、
この体をねぎらうために、
家族の苦しみを除くために、
身の回りの人や世間様を救うためにこそ、
この身を捨て、何が何でもそうしたいという思いを捨てるとするならば、
それは利他です。

裏を見せ、表を見せ、この身を捨てる。それを是とする。
裏にも表にも、一点のけがれ (執着) なき姿で散ってゆく。

利他のために命を懸ける。
みんなが幸せになるために、命を捨てる。
この小さな私欲など、かなわなくていい。
自分は犠牲者でよい。

毎日の食事でいただく食材 (命) は、われわれのために命を捨ててくれています。
われわれも、この大自然ために、いずれ命を捨てるのです。命を与える。

利他のために命を懸ける。

これは、健康 (生き生きさ) を得るための必殺技です。
誰も知らない秘技ともいえるでしょう。
天地自然の理法にかなう。

究極の美を得るのはもみじの願いです。
その願いを手にしたいのであるならば、この枝にしがみついていてはならない。
何かを手にしたいのであるならば、身を捨ててこそ願いがかなう。

大自然のために、この命を犠牲にして、尽くす。
大自然は、その心意気に大きな感謝を与えるでしょう。
その感謝は、大きな力となってこの命を生かします。
捨てようとするこの命にこそ、大きな力が宿る。
これが天地自然の法則です。

大自然とは、この体であり、家族であり、世間様であり、この全大宇宙のことです。
利己では思うようにならないものばかりです。
利他なら思うようになる。願ったままに力が得られる。

自分の思いをかなえるために為すならば、
その力は得られません。それどころか、
大自然の力が得られなれば、
やることなすことが上手く行かない。
これも天地自然の法則です。

世の中のために命を捨て、
身欲を捨てる覚悟を持って、
生きる。

その覚悟を持ったからと言って、死にはしません。失いもしません。

いや逆に、生き生きと生きる。願ったままに得られる。

生まれてきたのは、利己をかなえるためではない。

人の役に立つためだ!

その時得られる幸福感は、利己を満たした時のそれを遥かに凌駕する。

人生の目的。

自らの命を捨てて、美しく「生きる」もみじのように。

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