前回からの続きである。
二匹目のどじょうは、今度も柳の下にいた。
2023年12月8日。
1年3ヶ月ぶりに来院された患者さん (41歳・女性) の、3診目である。
指定難病222・ネフローゼ症候群である。
「すごいことが、また起こったんです。この数値、見てください。12月1日に悪化してから1週間、プレドニン (ステロイド) の錠剤は服用しているんですけど、いままで何度も入院してプレドニンの点滴を受けたんですけど、ほとんど変わらないんですよ。病院の説明によると、巣状分節性糸球体硬化症 (FSGS) のステロイド抵抗型らしくって、ステロイドは効かない難治性なんです。だから、主治医の先生も “点滴でも下がらないのに錠剤だけでこんなに下がるかなあ…” と首をかしげておられました…。」
巣状分節性糸球体硬化症は、ステロイドが効かないステロイド抵抗性のネフローゼ症候群となって、その後 腎不全に進行しやすいです。症状が落ち着いて安定した状態とならない(非寛解)患者さんの多くは、約10年で透析を必要とするような末期腎不全へ移行します。
恩賜財団済生会webサイト より
12月1日に尿タンパクの数値激増 (5.73) となった。5.00以上が入院の目安となる。急きょプレドニン (ステロイド) を服用。
12月4日、眞鍼堂を受診。関元に2番鍼。1分置鍼。
12月5日、眞鍼堂を受診。関元に2番鍼。5分置鍼。
12月6日、眞鍼堂は休診のため受診できず。明日が血液検査。数値が下がらなければ入院か。
12月7日、尿タンパクの数値激減 (0.76) との結果が出る。
そして今日、12月8日、当院の受診日である。
12月8日。
ぼくはいつものように患者さんを診ている。
挨拶する声が聞こえてきた。当該患者の声である。昨日は検査を受けた日だったはずだ。ああ、来たのか。入院はしなかったか。
この瞬間を冷淡に眺める。これが現実である。
また診察に集中する。淡々と患者さん達を診つづける。
次は当該患者の番である。
検査結果が机の上に置かれていた。
当該患者が、目をキラキラさせて話し出した。
すごいことが、また起こったと喜ぶ。
「ああ…またですか…。よかったですね。とりあえず、入院しなくてすみましたね^^」
「そうなんです! もう、覚悟していたんです。主治医の先生も “今日 (12/7) は入院かなって思ってました” とおっしゃっていました。まさかこんな短期間でプレドニンが効くかなあ…って不思議がっておられました。鍼のことは言ってないんで…。」
こうして今日、またここで逢えた。
県境をまたいで車で1時間以上の遠距離がつながる。
入院したならば、ここで再び逢うことはなかった。
ありがたい。
〇
7年前に (2016年) ネフローゼ発症以降、二度目の尿タンパク0台である。
その二度とも、当院を受診した直後であった。
一度目は去年の9月1日。そして二度目は昨日。
偶然ではなかったのだな。
奇跡は、僕が知る現実の中にあった。
鍼を信じ今までやってきたことは、やはり間違いではなかった。
〇
初診から3日目で、尿量が増えて体重が2kg減った。1回量が大さじ一杯弱、それが1日3回しか出なくなっていた尿が出だしたのである。
むくみもマシになり、脚が細くなった。
脚が鉛のように重かったが10→5になった。
専門家の方のために、少し種明かしをする。
まず表証である。
一年前にも表証があった。このときは、それを取ったから数値が下がったと説明した。たった一回の治療で数値が激減したのは、表証の有無が関わると説明した。
>> むくみ… 指定難病222;ネフローゼ症候群の症例
今回も、その表証があり、それを取り去った。
もう一つは、むくみである。
1回目治療 (12/4) で、むくみがあり、指で押さえると粘土のように凹んだ。それは足先〜膝下まで確認された。
しかしそれ (物質的むくみ) よりも重視するのは「気のむくみ」である。すなわち、切経 (手で触れる診察) で感じる気滞と水滞である。普通はいくらひどくても足先〜膝下くらいまでだが、当該患者は足先〜大腿の付け根 (鼠径部) まで及んでいた。見たことがないくらい、すごく悪い。だが反応は悪ければ悪いほどいい。こういう重篤な患者の体から、悪い情報を引き出せなければ手に負えない。悪いと分かるから、良くできるのである。
一回目治療の鍼を抜いた直後、足先〜スネ (上巨虚あたり) まで「気のむくみ」の範囲が狭まった。2回目治療でもそれは持続していた。
上肢においても同様のことが観察された。
これは、表証を取り去ったことによる二次的変化であることを強調しておきたい。難病に限らず、表証を取ることがいかに重要かということを、僕は臨床の中でままざまざと見せつけられてきた。
これらはみな、「気の世界」における診察・診断である。これで良くなっているという確信があった。すぐに数値に変化が起こらなくとも関係ない。良くなっている。そういう自信である。この自信を得るのは、僕の場合は脈診では難しい。水が動いていないならば、脈よりも体に直接触れたほうが早いではないか。
もちろん、一年前は数値が5.00に達しておらず (4.52) 、まだ余裕があった。
しかし、今回は5.00をはるかに超えており、時間がない。難易度の高いミッションだった。だから、もう一つ何かの情報がほしいのである。下腹部から下着の中に手を入れて鼠径部周辺のむくみを確認することをためらわなかった。それくらいの気迫と自信は必要である。
〇
人間は数字に弱い。サン・テグジュペリの言うとおりだ。
数値を見れば派手に良くなっているかに見える。
しかし当該患者が感じている自覚症状は、脚の鉛のような重さのみである。
数値が悪くても尿量が少なくても、それ自体に痛みや辛さはない。
数値を知らなければ、つらさは大したものでない。
実際は普通に効いているだけに過ぎない。
脚の重さは、2回治療して半減したに過ぎないのである。
半分くらいマシになる…こんなこと、しょっちゅうあることである。
どんな人でも、一回の治療でこのくらいの効き方をしているのだろう。
…というのが、やってる側から見た印象である。
〇
たった2回の治療。
明日は病院で検査。
数値が下がらなければ即入院、3度目の治療はない。
その不安が一瞬よぎったような気はする。
だが、ぼんやりしている。あまり覚えていない。
それよりも、どうなるかを楽しみにしていた。
こうなるという、自信でもあったのだろうか。
いや、やるべきことはやっという安心感だ。
この2回の治療でのことではない。この半生でのことだ。
現実はゆっくりと流れる。
時間は簡単に過ぎていく。
その中に奇跡はすでに存在している。
ツボは関元のみの一本鍼である。他は一切鍼をしていない。
なぜ関元を選穴したか。そこは興味のあるところだと思うが、説明は簡単ではない。
証候とは…「天突」の望診にいたる病態把握への挑戦
画像でみる気の動きと「生きたツボ」 の内容から読み取ってほしい。