7年前、手のひらと足のうらの皮膚炎でお越しになり、完治してからもずっと診させていただいている患者さん (67歳・男性) である。
大阪から奈良の山間部に移住、田舎暮らしを楽しんでおられる…はずだった。
「しんどいねん。100メートルも歩かれへん。」
「ほう、それはひどいなあ。例の足指が痛くて? 」
「趾 (ゆび) の痛みが出る前に、そもそも歩いてられへん。犬の散歩も、もうフラフラやねん。」
猟犬なみの賢い犬を数匹、山に放して1時間の散歩が日課。
冬はチェーンソーで薪ストーブの薪づくり。
夏は田んぼと草刈り。
「なんでまた。」
「わからへん。今は無理してないねんけどなあ。」
とりあえず診察。あれ? 灰苔 (かいたい) やん。鏡を出して、と。
灰苔とは、黒苔に進行する過程の舌証である。黒苔ほどではないが、黒苔と同じく生命力に大きな悪影響を及ぼす何かが存在することを意味する。黒苔にならないうちに、消しておくことが大切である。
「この鏡持って、ご自分の舌を見てください。ちょっと、黒っぽくないですか? 」
「あれ、ほんまや。」
「なんか、黒くなるようなもの食べたとか。」
「ないなあ。」
まあいい。診察を続ける。脈やツボに大きな異変はない。
しかし、この舌の状態、当該患者で何度か経験がある。
また何かたくらんでいるな。
「また、どっか行かはりますの。」
「え? う、うん、なんで分かんの。」
「前にもこんなのあったから、もう覚えましたわ。」
一年以上前、奈良から東京まで野宿しながら歩くと言い出して、一応は「悪化しまっせ」とは注意したが、その時 (2022年4月18日) も灰苔が出ていた。それも写真にとってあった (これは良くないと見たのだろう) 。そして、悪化したらそれはそれで学びになるから…と笑顔で送り出した。はたして、ふくらはぎの肉離れを起こし、足を引きずって満身創痍で来院された。
その前も、剣岳かなにかでゴジラの背中みたいな尾根があるらしく、そこに行くといい出したときも灰苔だった。
そうやって、行くたびに悪化する。体のあちこちが痛くなる。
行く前に灰苔が生じ、帰ってきたら灰苔は消失するのが常であった。
「で。今度はどこに行かはりますのん。」
「東京の、前の続きをな。いや、もうやめよと思ったんやで。前行った時、肉離れになったやろ。だからもう年やしやめよと思ったんやけど、やっぱり行きたいねん。準備のこととか考えると、ものすごく楽しい。」
「で。こんな寒いのに、まだ行かないでしょ? いつ行かはりますの。」
「来年の6月。」
「まだ半年も先ですやん。いつ決心しました? 」
「一週間ほど前。」
「で、フラフラで歩かれへんようになったのは? 」
「ははは、それからや。」
「行くなと言うメッセージが出まくってるなあ。」
「うん。」
「でも行くでしょ? 」
「うん。」
「まあ、体は止めとけって言ってるけど、死にゃあせんわ。もし、死にそうやったら、その時はとめますね。死にそうか死にそうでないかは、見たらある程度わかるんで。」
神シンがある。死ぬことはない。だから色んな経験をすればいい。あっちで頭を打ち、こっちで膝を擦りむいて、そうやって行くべき道はどの道かが分かるようになる。それは大人も子供もいっしょだ。本人がやりたいことを否定しない。しかし、それが体を弱らせている原因になるのならば、良くないよ…ということをそれとなく匂わせる。この、匂わせ具合が難しい。匂いが薄いと伝わらず、きつすぎると否定になってしまう。ていねいに、例え話をしながら伝える。そうすれば、痛みが出たのは自業自得だという納得がいく。
「もう冬至やろ。もう、日が暮れるのが遅くなってるねん。そしたら、なんかしよう! ってなんねん。居ても立ってもいられないというか…。」
「ははは、それはまだ早い。たしかにね。冬至を過ぎたら陽が増えてくるから、そうなんやけど、まだ冬至にもなってないのに、…冬至っていうのは一年でいちばん陰の深い時期ですねん。いわば深い土の中にある種の時期です。稲でもね、いま発芽したらあきませんやん? 」
「おれ、発芽してしまってんのか…。」
「そうそう、 (東京に) 行くと決めただけでね。フラフラになったのは、芽が霜にあたってフニャフニャになったようなもんで…。」
受付で、ほかの患者さん達の声が聞こえてくる。
両肩とも五十肩の患者さん。両腕とも下斜め45°しか挙がらなかったが、関元に治療して上斜め45°まで挙がるようになった。今日が2診目である。
「わあ、ぜんぜん痛くない! 服着る時、全然痛くないんです! 涙こぼれそうですわ! 」
……そうそう、いまの聞いた? 〇〇さん。
次に聞こえてきたのは、健康維持のために来院の患者さん。
「さっきの話で、わたし、もう分かりました。先生には絶対バレてる。だって旅行に行くことも分かるんでしょ? わたしも、ウォーキングをサボっていることがバレてるんじゃないかと思ってたんですけど、ウソついて “やってます” とか言ったら、絶対にバレてるから気をつけようって思ってたんです! 友達の△△さんにも、注意しておきます。あれ、絶対バレてるからウソついたらあかんよって。」
……いやいや、僕もそこまでは分かりません。
まあとにかく。
そんなこんなで当該患者、もう7年も見させていただいている。
この日は、関元一穴に鍼をする。
寄り添うことだけは忘れたくない。
その後の経過については、以下の記事をどうぞ。憤りについての談義にも注目。